進撃
ディ・エンジとの一戦で大した損害を受けなかったアイセン軍は、すぐに進軍を再開しジンドゥへと迫った。そしてジンドゥ近郊で、予め連絡を通じていたジュチ族と合流した。
ジュチ族は、肥沃な南東の土地を支配する一族で、毛織物や乳製品などを積極的に輸出し外貨を得ている。一部では農耕を行い、小麦や稲のほか、家畜の飼料を栽培している。
また、東国からの交易隊が通行することから、中継地点となる町がいくつも作られており、定住する者も他部族より多い。
そんな生活のあり方からか、ジュチ族は、一族の財物や人材の棄損を極端に嫌う。損失を忌避しながら、長期的な計画を基に暮らす傾向があるのだ。つまり、飾らず言うならば、日和見で勝ち馬に乗るのが上手い。機を見るに敏であるとも言える。
カ・エルの反乱に際しては、ジュチ族が単独で抗ったとしても勝ち目はないと素早く見切りをつけ、早々に服属を決めた。そして今回は、アイセンの挙兵に即答で応じたのだ。
合流したジュチ族の族長ラーナールーは、悪びれもせずにアイセンの天幕を訪れた。
「息災のようでお喜び申し上げますわ、盟主様」
長い赤髪を雅に結ったラーナールーは、娘ほどに歳の離れたアイセンへ媚びるような笑顔を向ける。
「参集ご苦労。ラーナールーには礼を言うぞ。今日のためにジュチ族の兵を温存してくれたのだろう?」
皮肉とも労いとも取れるアイセンの言葉に、ラーナールーは満面の笑みで答えた。
「はい。そのとおりでございますわ」
胡散臭い。その思いが頭をよぎる。だが、アイセンにはジュチ族に二心がないと分かっている。ラーナールーが率いてきた五万という兵数は、ジュチ族としても出し得る最大の数だろう。
アイセンの呼び掛けに即応して、これだけの軍勢を捻出したのだ。最大限に誠実な対応と言える。カ・エルと裏で通じる余裕も無かったはずだ。であれば、裏切りはない。アイセンは、そう判断した。
これでアイセンの軍は、ジュチ族の軍勢を加え、十二万の大兵力となった。東方平原において近年まれにみる極大規模の動員だ。
この大軍勢が、誰の目にもつかないはずがない。これを見たある者はアイセンの帰還を歓迎し、ある者は弓を片手に参陣し、ある者は喜んで兵糧を差し出した。
そして中にはジンドゥへ通報した者もいる。
ジンドゥの近くに住む羊飼いの一人に、ミロスという男がいた。遡ればシカ族に連なる家系だが、二男だった父が下流の諸氏族へと養子に出され、ミロスはそのまま父の家畜を相続し、素朴に羊を追って暮らしていた。
そしてその日、羊に食ませる草地の様子を見に遠出をしたときに、アイセンの大軍勢を目撃した。右から左まで、視界のすべてを、大地のすべてを覆うほどの兵が宿営をする様子を前に、ミロスは素直に思った。これは町の衛兵に伝えねばなるまいと。
ミロスにはアイセンとカ・エルの戦いなど理解できていない。どちらに与するという考えも持っていない。日々、羊の様子と家族の健康を考えるだけで終わる男なのだ。
単に、見慣れぬ兵隊がいるという常ならぬ事態を役人に知らせようと、純朴に感じただけだった。
ミロスは馬を駆り藩王邸へ駆け込んだ。だが、これまでも欺瞞情報に騙されていた藩王邸の門番たちは、誰もミロスの言葉を信用しなかった。あるいは、列国の諸侯をジンドゥに招くにあたり、衛兵を多く配するため諸部族から兵を集めていた。それを見間違えたのだろうという者もいた。
ここでミロスはかっとなった。彼は飾り気のない性格の羊飼いだが、短気で短慮で、間違いなく誠実な男だった。
「私が嘘を言うわけがない。もし私の言葉が真実だった時、諸君ら一介の門番に責任が取れるのか!」
そう叫んだ。
そこで門番は、渋々とミロスの件をジ・ヤクシへと報告した。ジ・ヤクシは、弓王カ・エルの副官であり、藩王邸の執事であり、シカ族の若手でも出世頭として知られている。彼に任せれば問題ないと踏んだのだ。
だがミロスの話を聞いたジ・ヤクシはというと、不快に顔をしかめ、内心を隠すことさえしなかった。
折しも、新劇場の落成式典が迫り、カ・エルを筆頭に藩王邸の高官たちは、訪れた諸侯の接待や藩都の治安維持で忙しくしていたところである。そのあまりに見計らったような間の悪さから、ミロスの言葉を、機を見て混乱を誘おうとした敵の奸計であると見たのだ。
「貴様、弓王殿下を惑わすつもりか? 誰に頼まれてここに来た?」
ミロスを引見したジ・ヤクシは、笑顔で恫喝する。
「そんなつもり、ありません! 本当です!」
「嘘を言うな。アイセンを名乗る反乱軍へは、既にディ・エンジが軍を率いて向かっている。あの粗忽者の老害であっても、虚報であれ真実であれ、何かあれば弓王殿下に報告の使者を立てるはずだ。それもなく突然、大軍がジンドゥに現れるはずが無いだろう」
そう言ってミロスを斬ろうとしたので、この愚かな羊飼いは哀願した。
「明日までお待ちください! 必ずあの大軍は来ます! 自分を牢に入れ、もし明日の朝に敵の大軍団が来なかったら、その時は斬ってください!」
翌朝にアイセンの軍は現れず、ミロスはジ・ヤクシの手によって斬られた。
アイセンの軍は、確かにジンドゥの間近に来ていた。だがジュチ族と合流したので、陣容を再編していたのだ。このわずかな時間差が、誠実なミロスの不運だった。
だがミロスを斬った後、ジ・ヤクシは、不安になった。
カ・エルに報告もせず、判断を仰ぐことなく処断したが、果たしてこれで良かったのだろうか。しかし新劇場の落成式典を前に、多忙を極める弓王殿下を煩わせるのは躊躇われた。「この程度も自分で考えて処理できないのか」と叱責されるのが怖かったのだ。だから、これで良かったと自分に言い聞かせた。
そもそもジ・ヤクシにはこういった采配の経験が乏しかった。幼いころからカ・エルの後ろを付いて歩き、何でもカ・エルの言う事を聞いていた。言われたことは人並みにこなすし、何より常にカ・エルに忠実だった。カ・エルの機嫌を伺い、カ・エルのために心を砕いた。
そのためカ・エルが弓王として即位した後も副官の位置に収まっていたが、ジ・ヤクシ自身に何かがあるわけではない。
カ・エルとしては、自身に忠実であればそれでよかった。経験不足も、そのうちに補われるだろうと楽観していた。
その楽観を、ジ・ヤクシは全幅の信頼であると捉えていた。カ・エルが自分に寄せる信頼が毀損される。それは恐ろしい想像だった。
そこで念のため、練兵と称してわずかな兵を発たせた。ミロスを斬った手前、アイセンの軍を探せとも言えなかったので、本当にただ「練兵だ、周辺を行軍して来るように」と言っただけだった。異変があればきっと知らせて来るだろうと、一方的に思い込んでいた。
送り出された兵たちは、首を傾げながらもジンドゥを出た。するとしばらくして、アイセン軍の斥候らしき人影がちらほら見受けられるようになった。兵士達は、もちろん怪しんだ。だが、物見の役割を負わされていると知らなかったため、ミロスの末路に怯え、誰もジ・ヤクシへ報告できなかった。
そうしているうちに、ジンドゥの東方に土煙が立ち上る様が見え始めた。アイセンの大軍が現れたのだ。
そのころジンドゥの新劇場では、今まさに落成式典が行われており、弓王カ・エルが諸侯の接待をしていた。カ・エルはまだ、アイセン軍の襲来を知らない。




