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この復讐は、正義だ  作者: 安達ちなお
3章 狩人への復讐

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潜入②

 開け放たれた窓を見つけると、クロカゲは滑るように飛び込んだ。

 廊下は窓から日の光が入り、明るい。それでもクロカゲならば、身を隠すのは難しいことではない。人影を見つければ、部屋に入ってやり過ごし、あるいは物陰に潜みつつ建物を検分していく。

 そうして廊下を折れたところで、カ・エルの執務室らしき部屋を見つけた。


(いる……!)


 そう確信した。

 他と違う豪奢な飾りつきの扉には、二人の衛兵が立番をしている。そして位の高そうな衣服の男が、衛兵の確認を受けながら入室している。


(どうにか中を確認できないかな)


 一度屋外に出ると、窓や張り出した露台を手掛かりに屋根の上へ登った。そして見渡せる場を探して、身を低くして走る。

 建物全体が方形になっており、真ん中には大きな中庭が作られている。その庭を挟んだ向かいの棟の屋根に張り付けば、窓から室内の様子を見ることが出来た。


(見栄えにこだわった帝国式の造りになっているから、侵入も潜伏も楽で助かるな)


 採光のために開けられた窓からは、執務室内の様子が丸見えだ。クロカゲならば、会話すら聞き取れる。これが東方平原風の天幕であったら、ひとつひとつ確認しなければならないので、簡単にはいかなかったはずだ。


 室内では、長椅子を囲んで幾人かのシカ族が話し込んでいる。長椅子が陰となって座っている者の姿は見えないが、おそらくそこにカ・エルがいるのだろう。 


 そのうち一人の男が、「アイセン・カアンは、必ず兵を率いて来るでしょう」と話しだした。

「最近の度重なる誤報は、兵禍の予兆。城壁を高くし、兵を集め、備えるべきかと」


 髭を蓄えた壮年の男で、乾風に荒れた肌と節くれ立った手指から、生粋の軍人と思われた。

 これに対して、若い男が対抗心をむき出しに反論をしている。


「ディ・エンジ様は、随分と大袈裟に騒がれるのですね。私といたしましては、全くの思い違いでいらっしゃると愚考いたしますが?」

「黙れ、ジ・ヤクシ。戦の何たるかを知らぬ若造めが、何を偉そうに語るというのか」


 ディ・エンジと呼ばれた男は、感情露わに憤慨するが、ジ・ヤクシと呼ばれた慇懃無礼な若者は気にした風も無い。


「戦のみを知るご老人こそ、口を慎んでいただきたいものですね。なにせ我々は、東方平原を正道によって導く使命がございます。ただ戦にのみ費えをしていれば良いというものではありません」

「蝶々と語るな、ガキめ。かのアイセン・カアンが万が一にでも兵を起こして襲来するのであれば、備えぬ理由はない。これを止めるは、利敵行為と断ずるぞ」


 ディ・エンジは強い口調で威圧する。だが、ジ・ヤクシは変わらず涼しい顔だ。


「自らの意見の穴を指摘されれば利敵行為と決めつけるとは、実に大したご人格でいらっしゃる。不要な備えこそ、東方藩王国を害するものです。この国を統べ、指図する立場にある我々は、この国の発展を見据えねばなりません。起きもしない心配事に苦労するのではなく、その資源や財源を他に振り分けるべきでしょう」


 支配者の前で議論の応酬を行う様は、アイセンの御前で議論する五騎四槍にも似ているが、カ・エルのそれは決定的な違いがある。ここで行われているのは、より良い結果を求めての議論ではなく、派閥争いだ。互いの主張の不備を指摘するだけではなく、個人や人格の攻撃まで厭わない。そんな醜悪さがある。


「敵を侮ることの愚かさが、若造には分からんか」

「愚かな老人には、カ・エル様のご聖道が理解できないようですね」


 更なる口論に発展する、すんでのところで長椅子から起き上がる者がいた。

 カ・エルだ。

 その姿を目にした瞬間、クロカゲの胸の内で、強烈な殺意が膨れ上がった。今すぐにでも奴の首をかき切ってやりたい。この短剣をあいつに突き立ててやりたい。その衝動を抑えることが出来たのは、カ・エルの言葉が聞こえたからだ。


「今もっとも重視すべきは新劇場の落成式典だ。弓王として初めて正式な外交場に出ることになる。どういうことか分かるか? この俺の権勢を示し、他に抜きん出ていることを帝国内部にも、諸外国にも、広く示さなければならないということさ。他は些事だよ」


 それを耳にした瞬間、クロカゲは決心した。


(ああ、そうか。それがお前の大切にするものか。それなら、必ずお前から奪ってやる)


 ただ殺すのではない。カ・エルの全てを奪い、壊してやる。その権利を持っていると、クロカゲは確信している。その思いが、クロカゲの殺意を抑えた。冷静になったクロカゲは、再び静かに室内を見つめる。視線の先ではカ・エルが自信満々に自説を披露している。


「ジ・ヤクシの意見こそ、俺の考えに一致する。どうせ最近の騒ぎもカアン族の欺瞞だろう。いまさらアイセン・カアンが戻るものか」


 カ・エルに肯定され、ジ・ヤクシが表情を輝かせる。


「そもそもアイセン・カアンなどは恐れるに足りない。五騎四槍と呼ばれる老害どもに担がれた御輿に過ぎない小娘さ。万騎大将ハイエンに神槍キンメルに剣神ウドウといった歴戦の将は既にいない。いまさらあの娘が戻ったとして、何が出来るというんだ。俺の神弓に抗う術がない以上、どの部族も力を貸さないだろうしな」

「しかし殿下……」

「もういい、ディ・エンジ。話は終わった。今は式典と外交が最優先、次に経済政策だ」


 さらに言い募ろうとする武骨な男を、煩わしそうに手を振って追い払う。ディ・エンジとジ・ヤクシが退出すると、カ・エルは早速とばかりに女を呼び寄せ執務室で情事にふけりだした。

 それを尻目に、クロカゲはディ・エンジを追った。室外で待っていた配下と思しき男達を引き連れ、気炎を吐きながら歩いている。


「進言は退けられた。これでは万が一のとき、十分な軍事行動がとれん。軟弱な経済主義者のジ・ヤクシこそ、まず斬るべきか」

 怒気を隠さないディ・エンジを周りの者たちが必死になだめている。

 これなら大丈夫だろう。カ・エルを翻意させるような意見具申は出来ないだろうし、もしかすると本当に仲間割れに発展するのかもしれない。

 そこまで至らなくても、アイセンに対しては、若干の警戒が取られる程度がせいぜいだろう。


 今度はジ・ヤクシを探して、屋根の上や壁を走った。ディ・エンジとは反対方向へ歩いていた若者は、執務室にも引けを取らない豪華な部屋に入っていくところだった。

 部屋の中には、波打つような癖のある銀色の髪の女性がいる。


「失礼します、ララ王妃殿下」


 ジ・ヤクシのあいさつで、正体が分かった。王妃ということは、カ・エルの妻だ。銀月帝国の皇族から妻を迎えると言っていたはずだ。きっと、ユユの姉なのだろう。

 そう思って見ると、柔らかな雰囲気ながら、確かにユユに似ている気がする。


「あら、ジ・ヤクシ。殿下とのお話は終わったの?」


 その声音は、優しさに満ちている。


「ええ、やはり軍事よりまずは目の前の式典に、そして外交や経済に重きを置くことになりそうです。ご安心ください、戦争などは起きませんよ」

「そうなの? ああ、良かった。戦争があるかもしれないと聞いて、とっても怖かったんですもの」

「大丈夫ですよ。もしかするとディ・エンジら軍の派閥が勝手に悪さをするかもしれませんから、念のためにこの後、カ・エル様に軍役拒否の奏上をしておきましょう。軍が動かなければ、戦争などありえませんからね」

「ありがとう、ジ・ヤクシ。あなたって、とても頼もしいわね。殿下も、あなたのことをとても信頼していらっしゃるのよ。ぜひこれからも殿下を支えてくださいね」

「いえ、大変恐縮です。……それにしても、両殿下はとても仲睦まじくいらっしゃいますね。あちらは、殿下のために?」


 ジ・ヤクシの見る先には、織機がある。固定された経糸には、まだ半分ほどしか横糸が通っていないが、複雑な模様の布が出来つつある。


「ええ。東方平原では、女性が愛する男性のために衣服を贈る習慣があるのでしょう? それなら私もカ・エル様のためにたくさん作って、たくさん贈らなくっちゃね」


 クロカゲは、また一つ見つけた。

 カ・エルから奪うべきものを。


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