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この復讐は、正義だ  作者: 安達ちなお
3章 狩人への復讐

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対話

「もっと近くに寄って良いぞ、クロカゲ。一緒に火に当たろう」


 天幕の中心に座ったアイセンが、手招きする。

 アイセンの横に置かれた大きな鉄鍋の中には、十分に熱された炭が入っている。きっと、じんわりと温かいのだろう。日暮れの東方平原に吹く風は、冷たい。その冷風を遮る天幕と、体を温めてくれる暖房は、心からの安心を与えてくれる。

 だがクロカゲは天幕の隅から動かなかった。


「いえ、僕はここで」

「そうか……。久しぶりに湯を浴びたが、やはり気持ちいいな。焼いた羊肉も搾りたてのヤギ乳も、身に染みるほど美味い」


 アイセンは、綺麗な白い絹衣を身にまとい、楚々(そそ)と肉をかじっている。不思議な表現になってしまうが、威厳と優雅さを感じさせつつ、変に気取ることのない彼女の振る舞いには、清楚さと力強さの両方が同居しているように思える。

 黒く長い髪は、よく手入れがされていた以前ほどではないが、湯で汚れを落としただけでも艶やかで美しい。盟主として身にまとう正絹をふんだんに使った豪華な衣服など無くても、東方平原の主たる品がある。


 アイセンはクロカゲより年長だが、そう年は離れてはいない。だが彼女の持つ凄みに、クロカゲは向かい合っているだけで不思議な圧力を感じる。

 クロカゲも同じように服を替え、肉を齧っているが、アイセンのような貫禄は出ない。アイセンに対して不快感を覚えるわけではないのだが、この生まれながらの盟主からは、余人にはない確かな存在感を受け取るのだ。


「救援が遅くなりましたこと、心からお詫び申し上げます」


 アイセンの前に座るフラグ族の女が、慇懃に頭を下げ、床へ額をつける。


「いや、そう頭を下げる必要は無い、サンサ」

「しかし……」


 サンサと呼ばれた真っ黒に日焼けした細身の女は、神妙な面持ちで顔を上げた。傭兵稼業で知られるフラグ族らしく、肌の色は濃く、髪色は薄い。


「私への救援が遅れたとは言うが、こうして間に合っている。それにフラグ族の動きは的確であったと考える。カ・エルの反乱、帝国の侵攻、盟主の不在……混沌とした情勢の中でクスサスク族長は、よくフラグ族を守り、秩序を維持した」

「ありがとうございます。そうおっしゃっていただけると、父の苦労も報われます」


 サンサが、再び深く頭を下げる。

 クロカゲは、この三か月に起きた情勢の変化を、既に説明されていた。


 カ・エルは、帝国と密約を交わして父キンメルらを殺した後、シカ族を率いてクォン族を攻めたらしい。そしてクォン族を救援しようとした盟主アイセンの軍を、シカ族、ジュチ族、フラグ族の連合軍で打ち破った。

 その後、大都ジンドゥを手に入れ、東方平原を銀月帝国の傘下とした。今は藩都となったジンドゥで弓王を名乗り、まつりごとを行っているらしい。


 そんな激動の情勢の中で、フラグ族も大いに混乱し苦労しているようだった。

 そもそもカ・エルの反乱に加担したのは、フラグ族の全てではない。現在の支配体制に不満を持つ一部の者たちが、勝手にシカ族と共にアイセンに牙をむいた。そしてカ・エル一人の力であったとしても、勝利してしまった。


 混乱に拍車をかけたのが、盟主の不在だ。もしアイセンが大都ジンドゥに戻ることが出来ていれば、カアン族、フラグ族、ジュチ族を糾合してカ・エルに対抗し得ただろう。

 だが、アイセンが行方知れずとなったため、反抗しようにも旗頭が無い。


 他の氏族と碌に連携も執れぬままにカ・エルと戦えば、アイセン軍の二の舞になる。そう判断したフラグ族とジュチ族は、カ・エルに服することとした。

 また、カアン族も主だった者は大都ジンドゥから脱出することが出来ていたので、職責の軽い文武の官や一般の民たちは、そのままカ・エルに支配されることとなった。


 ではアイセンはどうしていたかというと、こちらも辛酸をなめ尽くしていた。

 カ・エルとの一戦の後、東方平原に侵入した帝国兵の追尾から逃れるため、平原北端からさらに北へ進み、北方の山林に身を隠したらしい。


 北方の国々へと続く街道沿いならば人の往来もあるし、集落もある。

 だが、そこを外れた地域となると話は変わる。東方平原の民すらあまり足を踏み入れない、深い林と急峻な山からなる難所だ。さらには、魔王軍の残党である魔獣も徘徊している。帝国兵やカ・エルの勢力に襲われなくても、生きていくことさえ難しい。


 ここで、わずかな手勢と装備で何とか命を繋ぎながら、捲土重来を期して東方平原の様子を探った。諸氏族のすべてがカ・エルに心服しているわけではないと分かっていたが、では誰が信頼できるかといえば、確信は無い。

 少ない手元の兵を各地に送り出し、渡るべき橋を一つ一つ叩くかの如く、各勢力を吟味した。


 広い東方平原だ。カ・エルの勢力に見つからないように行き来するだけで、ひと月やふた月はあっという間に過ぎる。そうして時間をかけながらも、平原の北東方面を支配するフラグ族長クスサスクが、カ・エルに面従腹背しつつアイセンを探していると分かった。


 そしてクスサスクと連絡を取りつつ、ようやく平原に戻ったところで、運悪く帝国兵に見つかったということらしい。

 クロカゲという偶然がなければ、アイセンは命を落としていた。サンサはそれを、いたく気にしているらしい。


「我らフラグ族は、傭兵稼業で食っています。守るべきものと心に定めているのは、信義であり契約です」

 もちろん報酬が確約されていることが前提ですが、とサンサは続ける。

「アイセン様が東方五氏族同盟の盟主である。これは主要五氏族を含めた東方平原全体の盟約です。何の大義も無くこれを破るなどという道を、フラグ族が選ぶはずもありません」

「それを心から断言するサンサを、そしてフラグ族を、この盟主たるアイセン・カアンも衷心ちゅうしんから信頼しよう」


 アイセンがまっすぐな目で応えると、サンサは目を潤ませ頬を赤らめながら「ありがとうございます!」と三度、深く頭を下げた。

 暫らく平伏していたサンサが顔を上げたところで、頃合いを見計らったかのように天幕の扉が開かれた。


「お待たせしました、アイセン様。ひとまずこの砦が安全なことは、このゼ・ノパスが確認いたしました。今晩は枕を高くしていただいて、結構ですぞ」


 ゼ・ノパスが少し小さくなった腹を揺らしながら天幕に入り、アイセンと向かい合うようにサンサの隣に座った。

 アイセンは、ゼ・ノパスやサンサらと合流したあと、帝国兵に襲われた場所から馬を東に走らせ、クォン族領内にある街道沿いの砦に入ったのだ。


 この軍事拠点は、簡易の砦に糧食倉庫を併設したもので、東方平原の各地に一定の間隔で設えられ、街道で結ばれている。あらかじめ補給点とそれらをつなぐ道を整備することで迅速な行軍を可能とするものだったのだが、今この砦は打ち捨てられていた。

 それもそのはずだ。砦を維持すべきクォン族がいなくなっていしまったのだから、仕方がない。だが、井戸は生きているし、蓄えられた薪や干し肉はまだ使える。砦の再利用は簡単だったようだ。


「早速、手足を伸ばして横になりますか?」

「それは魅力的な提案だな。だが、その前に……」


 アイセンが、ちらりとこちらを見る。すると自然にゼ・ノパスとサンサもクロカゲを見る。


「クロカゲ、こちらへ来ないか? 少し、話をしたい」

 アイセンが両手を広げて招く。だがクロカゲは動かない。

「僕は話したくないです」


 動かないクロカゲに、アイセンは少し寂しそうに「そうか」と言っただけで咎めはしない。

 ゼ・ノパスは鼻から勢いよく息を漏らすが、アイセンが何も言わぬのならばと、我慢している様子だ。サンサは冷静な目でクロカゲを見つめている。


「ならばそのままでいい。クロカゲ、一つ教えて欲しい。帝国で起きたことだ」


 アイセンの言葉に、クロカゲは呼吸が早くなる。父キンメルやアサギ、死んでいった仲間たちを思い出すと、今でも胸が苦しくなる。怒りで総毛立つ。

 今までアイセンたちは、クロカゲを気遣ってか、帝国での一件の話には触れてこなかった。だが、聞かざるを得ないということだろう。


「帝国は、クォン族が帝都で反乱を起こしたと主張していた。私は、そんなことは無いと思っている。だからこそカ・エルとも戦ったし、今日まで雌伏の時を過ごしてきた。だから私の信頼を確信に変えて欲しい。君たちは、無実なんだろう?」

「当たり前だ!」


 クロカゲは叫んでいた。本当は、信頼してくれたことを喜び、感謝を口にしても良いはずだ。いや、確かにクロカゲの心には、アイセンの信頼を嬉しく思う気持ちがあった。だがそれを覆い隠すほどに、怒りが強い。憎しみが強い。


「帝国は、僕の……盗賊の力を危険視していた。ガイウスは、僕を殺したかったんだ」


 皇帝という立場には、帝国の平和と安寧を管理する責任がある。その目的のためならば、いかなる手段であっても粛々と遂行する……ガイウスは、そう語った。

 殺す側はそれで良いだろう。でも、殺される方にとっては堪ったものではない。


「あいつらは、自分の利益の為ならば、嘘を吐こうとも、他人を殺そうとも、許されると思っているんだ。でも僕は、絶対に許さない……!」

「そうか。辛いことを思い出させてすまない。そして、ありがとう」


 アイセンは、気遣わし気な表情でクロカゲを見つめる。その優しさも、今のクロカゲは受け入れることが出来ない。怒り、悲しみ、不信……どろどろと渦巻く感情で胸が苦しくなる。アイセンの視線を避けるように、俯いて黙った。

 けれどアイセンは、再び優しく語りかける。


「クロカゲ、こちらへ来ないか? 少し、話をしたい」


 アイセンが招き寄せるように両腕を開くが、クロカゲは黙って首を横に振った。

 今度こそゼ・ノパスが顔を赤くして立ち上がるが、アイセンが手で制し、サンサが袖を引いて座らせる。


「ならば、私が一方的に話そう。少し聞いてくれると嬉しい。これからの私達のことについてだ」

 そう言ってアイセンは語り始めた。

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