絶望のユユ 2/2
ユユは、素直に感心していた。
(ハヤト……強い!)
巨大な魔獣や魔物の大軍を相手にするのであれば、剣と魔法を使いこなすユユの方が戦力になる。これは、はっきりしている。実際、魔王討伐の旅程でもそうであった。
自らの刀の届く範囲でしか戦えない戦士は、時には狩人や魔法使いに後れを取ることさえある。
だが、こうして一対一の対人戦となった時、すべてが変わる。
勇者は、戦士の膂力と盗賊の素早さを持ち、魔力は魔法使いに匹敵し、遠距離でも狩人並みに戦える最強の職だ。しかしユユは、すでに数十合と斬り結びながらもハヤトに一太刀さえ与えることが出来ていない。
もちろん、ひたすらに距離を取っての魔法攻撃や、“無敵”を前提とした捨て身の攻撃などに頼れば状況は変わるだろう。だがハヤトの巧みな剣技がそれを許さない。距離の詰め方、間合いのはかり方、視線の配り方まで、全てがユユを追い詰めていく。純粋な刀剣の応酬に終始している。
ここまでとは、思っていなかった。ユユは、とうとう笑い出してしまった。
「あはは、楽しいね、ハヤト!」
「ええ、まったく」
ハヤトも、今まで見たことのないくらいの満面の笑みだ。三日月のようにぱっくりと口を割り、目元は愉悦にゆるんでいる。
皇族であるとか勇者であるとか、女であるとか、子供であるとか、一切を忘れて、剣にすべてを預けて、無我の境地に至ることが出来る。
ああ、楽しい。きっとハヤトも同じなんだろうなあ。
ユユが戦士の本能に身を委ねてさらに踏み込もうと剣を上段に構えたとき、背後で爆発が起こった。
「なに? どうしたの?!」
爆音に遅れて、大きな震動が辺りを襲った。
振り返ると、帝都の東側城壁外に巨大な火柱が出現していた。火柱は炎の竜巻へと姿を変え、燃え盛りながら空を明々と照らしている。
この光景に、ユユは見覚えがあった。
「メイプルの火炎魔法?」
魔法使いの勇者メイプル・ハニートーストが、七勇者を危地から救うために幾度も使った代名詞的な魔法である。
「ねえ、ハヤト、帝都で何かあったのかもしれない! 一度戻ろう!」
ユユが剣を下すが、ハヤトは静かに首を横に振った。
「見るに、あれはメイプル殿の炎魔法でござろう。それに帝都の城壁外である様子。ならば、心配はござらん。拙者は、今が至上の時。一瞬たりとも失いたくござらん」
そう言って刀を顔の横で構える。一部の隙も無い満々の闘志だ。
「でも……」
ユユには不安があった。
確かにメイプルの魔法のようだし、帝都には他の勇者たちがいる。何かあったとしても、きっと造作もなく解決できるだろう。だが炎が上がったのは、城壁外の東側。その方向には、昨日ユユも訪れたクォン族の宿営地があったはずだ。
クォン族のみんなやクロカゲに何かあったのではないだろうか。その一抹の不安をぬぐい切れない。
そうこうしているうちに、続けて帝都から地鳴りのような破砕音が響いた。
帝都の中心で時を告げる大鐘楼が、傾きだしたのだ。百万人が暮らすこの都市を象徴する巨大な石塔は、上部の装飾彫刻が落ち、壁のレンガが崩落し、瓦礫をまき散らしながら倒壊していった。
「絶対におかしいよ! ねえハヤト、一度戻ろう!」
「確かに、何かが起きているようですが……ですがビィル殿やメイプル殿、ガイウス陛下がおられるのであらば、きっと大丈夫でしょう。何より、拙者には今この時を、失うわけにはいかない……いかないのです!」
その目に執念の炎を燃やし、ハヤトが吠える。
「拙者の生まれは、しがない藩士の次男にござる。父は登城するより、庭で野菜を育てる時間の方が長いほど。家は貧しく、常に飢えていました。そこから身を立てるため、ひたすらに刀を振った」
普段のハヤトなら、身の上話などしない。そんな女々しいことに時を費やすなら、刀を振る。ハヤトがそんな男だと知っているからこそ、ユユは話を遮ることはできなかった。
「昼には煙が出るほどに立木を打ち、夜には川面に映った月を斬る。物心ついたころからひと時も休まず鍛錬し、秘剣を身に宿した。藩王様に剣腕を見込んでお引き立ていただき、魔王討伐にご推挙いただいた。サツマ姓さえも賜った。藩王様のご恩に報いるためにも、拙者は最強の戦士にならねばならぬ。その称号を掴まねばならぬのです!」
「ハヤトの気持ちは分かるけど……あとで再戦しようよ、ね! 今は……」
「なりませぬ。七勇者だと形を飾ろうとも、拙者は帝国の属領であるサツマ藩王国の家臣にすぎませぬ。そんな陪臣ごときがいくら望んだとしても、皇女にして勇者であるユユ殿との決闘がいかに難しいことか……貴女ならば分かるはずだ!」
ハヤトの慟哭は、ユユも身にしみて分かっている。
皇族というくびきには、ユユ自身も苦しめられてきた。皇族を相手とすれば、決闘どころか、普通の会話をすることすらも難しいのだ。
出会う人のすべてが、ユユを仰ぎ見る対象として扱った。年の近い者も側にいたが、いずれも高度な教育を受けた貴族の子女ばかりだ。
対等な友人など、存在しなかった。溌剌とした笑顔の下で、ユユは常に寂寥感を抱えていたのだ。
クロカゲと出会うまでは。
年が近く、隔意なく接してくれるクロカゲという存在は、ユユにとってかけがえのない大切なものだった。
だからこそ、クロカゲに何かあったのではないかという不安を、そのままには出来なかった。
「ごめんね、ハヤト。あとで再戦できるよう、お父さんにお願いするから! 絶対に、お願いするから!」
ユユは、ハヤトに背を向けて駆けだした。
「待たれよ、ユユ殿!」
後ろからハヤトが追ってくるが、取り合わない。無視する。
ハヤトとの決闘は、やり直せる。でも、やり直せないものもある。今はそちらが大事だ。
既に大鐘楼は、姿を消している。完全に倒壊したのだろう。その跡地からは、帝都を覆うような砂煙が立ち込めている。百万人が居住する都市の中心で、巨大建造物が倒壊したのだ。怪我人は十や二十では収まらないだろう。
だがユユの鋭敏な知覚は、その大災害の中心に“神官の勇者”ビィルの魔法の煌めきを捉えていた。その極致まで上り詰めた回復魔法は、欠損した四肢さえも復元する。
きっと怪我人の救助をしているのだろう。彼女がいるのであれば、大丈夫だ。
そう即断したユユは、向きを変えて、火柱が上がった東側城壁外を目指した。
ハヤトと剣を交える中で、帝都からかなり離れてしまっていたが、ユユの足であれば指呼の距離だ。
大穴を開ける勢いで地を蹴り、風を切って、音を置き去りにして駆けた。
そうしてたどり着いた先では、黒く焦げた景色が広がっていた。
周囲では青々とした芝や木々が繁茂しているのに、炎魔法の範囲である円の内側だけが、真っ黒だった。クォン族の宿営地があったはずのところだ。
その惨状に心臓が痛くなる。
昨日はあんなに親しく話した人たちが、もしかしたら死んでしまったのかもしれない。そう思うだけで、言いようのない怖気がまとわりついてくる。
(クロカゲは?!)
まさか犠牲になってしまってはいないだろうか。そんな恐怖を拭い去る様に、辺りを見回す。そして、少し離れたところで黒髪の少年を見つけ、心の底から安堵し、何も考えずに駆け寄っていた。
だが、よく見ればクロカゲの衣服は乱れ汚れている。そして彼が抱きかかえているアサギは、足を赤く染めている。
「どうしたの、クロカゲ? 大丈夫?」
そう声をかけると、クロカゲはこちらを振り返った。その表情は、今までに見たことが無いほどに青ざめ、こわばっている。
大丈夫だろうか。何があったのだろうか。不安と心配で胸がいっぱいになる。そして、クロカゲから返ってきた言葉は、想像もしないものだった。
「ひどい……ひどいよ、ユユ」
「どうしたの? 何が悲しいの、クロカゲ?」
「ふざけるな……! 僕は、君を許さない。僕を裏切った君たちを、死ぬまで恨み続けてやる」
「え……?」
戸惑うユユを置き去りにして、クロカゲは馬を駆って、近くの茂みに飛び込んだ。
―――
(クロカゲに嫌われた? なんで? どうして? 私がなにかしちゃったのかな?)
今日一日を振り返ってみても、クロカゲの態度の理由は見つからない。
混乱しながらもユユは、走り去る馬を追って走った。よくわからないけど、クロカゲもアサギも怪我をしている。何かに怯え、あるいは憤っている。
(じゃあ助けてあげたい。力になってあげたい!)
その一心で、茂みをかき分けながら「クロカゲ、待って!」と叫んだ。そして馬に追いついた。だが馬上にクロカゲの姿はなかった。
馬を囮として走らせ、自分たちは林に身を隠したのだろう。
「どうして……」
勇者級の盗賊職が本気で身を隠したのであれば、たとえユユの知覚をもってしても、見つけ出すことは難しい。
打ちひしがれたユユが帝都に戻ると、そこには驚くべき事態が待っていた。
皇帝ガイウスの命を狙ったクォン族及び盗賊の勇者クロカゲは、銀月帝国への反逆を問われ、追われる身となっていた。大鐘楼を破壊したのも、クロカゲだという。帝都の象徴を破壊され、また多くのけが人が出たこともあり、帝国の怒りは大きかった。
あっというまにクロカゲは極悪人として知られるようになり、同時に、報復として東方平原への出兵の準備が進められた。
「クロカゲがそんなことするわけないよ。話し合ってみようよ」
にわかに戦乱の気配が漂いだした情勢のなか、ユユは父である皇帝や帝国高官を相手に必死に説いて回った。
しかしユユの思いも空しく、悲報が舞い込む。
狩人の勇者カ・エルが、クロカゲの殺害に成功したのだという。
カ・エルの報告では、二人の勇者の戦いは銀月川に架かる大橋で行われた。結果、橋は崩落し反逆者クロカゲの遺体は川に落ちていった。
しかし確実に殺したという。カ・エルはその証として、橋のがれきの下から見つけた、クロカゲの右腕を帝都に送り届けた。
その右手首にはめられた腕輪に、ユユは見覚えがあった。
細かな彫刻が施された銀の腕輪は、先祖伝来の武運長久のお守りだとクロカゲから聞いた。二つと無い大切なお守りを、父親がクロカゲ用に加工してくれたんだと。腕にぴったりとはまっているので、壊さない限り外れないんだと。そう教えてくれた。
それは本当だった。
その腕は肘から先しか残っていなかったが、確かにぴたりとはまっていた。
それが何を意味するか、ユユは考えたくなかった。
だがそんなユユに、皇帝ガイウスは言った。覇王の勇者であるガイウスのスキル“王眼”でも盗賊の勇者の死が確認できたと。
“王眼”は、全てを俯瞰するように把握する。たとえ戦場であっても、逐一、兵一人一人の動きさえも知ることが出来る。そのスキルが、クロカゲの死を感知したのだという。
全ての状況がクロカゲの死を示していた。
それでもクロカゲの死を信じ切れずにいたユユは、ギリギリのところで精神の均衡を保っていた。ユユの周りには、仲間がいるからだ。
だが、戦士の勇者ハヤトは、早々に帝都を離れた。ユユがどれだけハヤトとの再戦を願い出ても、ガイウスが許すことはなかったからだ。
そのうちに、それぞれに褒美を得た魔法使いの勇者メイプルと神官の勇者ビィルは、自らの領地に去っていった。
狩人の勇者カ・エルは、東方平原を掌握したらしい。皇帝から弓王の称号を与えられ、藩王として即位した。東方平原は、藩王国として帝国に組み込まれたのだ。
そして、ユユの愛する姉であるララは、カ・エルへと嫁ぐことになり、帝都を離れていった。
皇帝ガイウスは、魔王軍の残党や西方のロムレス王国の侵攻に対応するため、出征していった。
ユユのそばには、もう誰も残っていなかった。




