結果
アイセンは見た。
ハイエンの頸部と頭に、カ・エルの矢が突き刺さる。それでもハイエンは止まらず、最期の力を振り絞ってカ・エルに斬りかかった。
不意を突かれたカ・エルは、とっさに弓で曲刀を受けるが、握りから両断される。その破砕音がここまで聞こえてきそうなほどの、剛腕の一刀だった。
その一合ののち、カ・エルは腕から血を流しながら逃げるように走り去り、ハイエンは糸の切れた人形のように力なく馬から落ちた。
「叔父上殿っ‼」
アイセンにとって、この叔父は第二の父のような存在だった。
盟主であった父の死後、真っ先にアイセンの支持を表明し、盟主就任への後押しをしてくれたのも、ハイエンだった。
ハイエンは、先々代の盟主であるアイセンの祖父の庶子であった。だから長子であっても、正妻の子である弟に盟主の座を譲った。それがアイセンの父である。
庶流であったハイエンは、若いころから戦場を駆け廻った。幾度も帝国と矛を交え多くの勝利を重ねてきたハイエンの武名は、東方平原の隅々まで鳴り響いている。当然、彼を慕う者たちも多い。
しかしその老将は、盟主の急な戦死を目の当たりにしたとき、真っ先にアイセンの擁立に動いた。まだ小娘であったアイセンの麾下に入ることを良しとし、東方平原の分裂を未然に防いだのだ。
もしアイセンとハイエンが両立していれば、東方平原は必ずや二派に分かれたはずだ。それぞれを領袖として掲げる二つの勢力が対立することになっただろう。
それはアイセンとハイエンの二人が手綱を取って抑えられる規模を超えていたかもしれない。いや、ハイエンであれば、その配下や支持者を抑えることが出来ただろう。だがアイセンは、自分を神輿として権益獲得に動き出す輩どもを、抑えきれなかったかもしれない。
ハイエンは、自身がアイセンの第一の臣下となることで、それを抑えたのだ。自分自身を重しとして、東方平原での権力闘争を生じさせなかったのだ。
その先見の明は、軍事にとどまらない才覚の発露であったと、アイセンは確信している。しかしこの文武に秀でた老人は、東方平原のため、可愛い姪のため、何の屈託もなく軽々とやってのけた。そして今日までアイセンを補佐し続けた。
アイセンにとって、かけがえのない英雄だった。
「叔父上殿……」
その死を悼む暇は、ない。
背後で鬨の声が上がった。ジュチ族とフラグ族の軍勢二万が到着し、アイセンを守る六千の兵に襲い掛かったのだ。
ゼ・ノパスが、アイセンの袖を引く。
「ここは、負けを認めて逃げましょう。捲土重来、次で勝てばよろしい」
その目には、吏僚には出せぬ気迫がこもっている。何としてもアイセンをこの場から逃れさせようと、固く決心しているのだろう。
(……怒りや悲しみに身を任せてはならん。落ち着け、アイセン)
自分に語り掛けながら、考える。
頼みの重騎兵隊は、万騎大将ハイエンとともに壊滅した。前線で戦う弓騎兵隊は、カ・エルの神弓に翻弄され、押されている。手元には無傷の六千騎があるが、指揮者がいない。ゼ・ノパスは、戦争の経験がないわけではないが、現在の本領は文官だ。
アイセン自身は、弓を巧みに扱う騎兵であるし、戦場の経験も一度や二度ではない。だが最前線での細かな駆け引きはハイエンなどに任せていたので、経験が多いとは言えない。十四で盟主たる父を失ってから五年。内政や折衝、経済、戦略と多岐にわたって政を主宰してきたが、戦場での細かな駆け引きまでを身に着けている余裕などなかったのだ。
頼みの腹心である“五騎四槍”は、ある者は大都ジンドゥに残し、ある者はこの戦場に散っている。
撤退する理由は、いくらも出てくる。
だが、感情が許さない。
ハイエンの亡骸をそのままに、この場を離れるなど考えられない。ハイエンを殺した仇であり、私欲から東方平原に争乱を招いたカ・エルを許せるはずがない。
だがアイセンは、決断した。
「退こう」
アイセンが決断すると、兵馬の動きは早かった。
両翼の弓騎兵は、あらかたの将や隊長格を失って崩壊しかけているものの、めいめいが自己の判断で敵を足止めしつつ戦場を離れ始める。
それを見ながらアイセンも馬首を巡らせる。アイセンを守る弓騎兵たちも、自然と周りを囲むように動く。
「ジュチ族とフラグ族に族長旗がない。この場をしのげれば、何とかなる」
叱咤しながら、アイセンは馬を駆った。
シカ族の軍勢同様に、ジュチ族とフラグ族の軍勢も、それぞれ一万と数が少ない。本腰を入れた動員を行えば、数倍の兵が集まるはずだ。性急に編成する必要があったなら、族長を含めた精兵を送り込むところだろう。
だが目の前の軍勢は僅少で、族長旗もない。
「もしかすると、カ・エルはジュチ族とフラグ族の一部を誑かすことが出来ただけかもしれんな」
半ば独り言のようにつぶやいたアイセンに、ゼ・ノパスが勢いよく首を縦に振る。
「ええ、あり得そうな話です。シカ族さえも兵数が少ないのは、自分の足元ですらアイセン様への支持を崩せていない証拠でしょう」
「ならば、この場さえ凌げればどうにかなる」
三方から迫るシカ族、ジュチ族、フラグ族の軍勢を避けるように西へと馬を走らせた。周りを固める弓騎兵隊が、追いすがる敵の足を遅らせるために、アイセンを囲む兵が五百や三百といった数に分かれて離れていく。時間差で矢を射かけながら、少しずつ戦場を離脱していくのだ。
追手としては、いずれ逃げていくと分かっていてもこれを放置することはできないため、兵を割くことになる。殿を犠牲にせずに、逃げる本隊を守るための戦法だ。
そうして兵を減じつつも走り続け、日が暮れて追手の影が見えなくなったころには、アイセンを守る兵は、三十騎ほどしか残っていなかった。
「逃げる先に伏兵がいない……ということは、やはりカ・エルの兵は多くない」
「そのようですな。このままクォン族領に入り、北を迂回して大都ジンドゥに戻りましょう」
「うん、そうしよう」
ゼ・ノパスの案を採ったアイセンは、馬首を北に向けると、平原北西部へ向かった。
南はシカ族の領域だ。選択肢はない。
平原北西部は、クォン族が多く住む場所だった。馬を進めると、カ・エルに襲撃され、焼け落ち破壊された集落がいくつも見受けられた。魔王軍の侵入による破壊の後もあった。
「魔王軍の襲来に加えて、銀月帝国でのキンメルらの奇禍、カ・エルの凶行と、クォン族は苦難が続くな」
「ええ、本当に。キンメル殿もクロカゲ殿も、部族の主だった者たちも亡き今となっては、復興は難しいでしょうね」
小さな火が煙る中を、痛ましい思いで進んでいると、周囲に不穏な気配を感じた。
アイセン一行を遠巻きに見ながら、追うように並走する一団がある。騎兵もいれば、歩兵もいる。そして歩兵は、大きな盾に長い槍を持っている。その影には、見覚えがある。
銀月帝国の長槍兵だ。
「カ・エルめ、帝国を平原に招き入れたのか!」
ゼ・ノパスのうめき声を聞きながら、アイセンは努めて冷静に思考を巡らせた。
「そうか。カ・エルがクォン族を攻めたのは、私を大都ジンドゥからおびき出すためだけではなかったか……。クォン族を駆逐し、銀月帝国兵が安全に銀月川を渡れるようにという算段でもあったのか」
話す間にも、西方から続々と帝国兵が数を増やしていく。
「こんなところで、野に骨をさらしてたまるか」
アイセンは、手綱を強く握った。
だが一日を走りとおした馬は、既に疲れ切っている。兵たちも、残る矢は乏しいし、腹を減らし体力も使い果たしている。
太陽が平原の西に沈もうとする中、銀月帝国の長槍部隊と騎馬隊が、アイセンたちを取り囲むように動き始めていた。
ここで、アイセンの消息は途絶える。
ストック無くなったので更新が遅くなるかもです。




