決意
「シカ族は……カ・エルは血迷ったか?!」
ゼ・ノパスが血走った眼で立ち上がる。
大都ジンドゥに移り住んでおり今やアイセンの腹心といえる彼だが、生まれはシカ族だ。シカ族を出自に持つ以上は、シカ族の振る舞いが進退に関わる。本心からも、その姿勢を示す必要からも、憤慨しないわけがない。
ゼ・ノパスが興奮し他の者は驚愕のあまり言葉を失う中、アイセンは座したまま「随分と早いな」と静かに呟いた。太った腹を揺らしてカ・エルへの非難を吐き続けるゼ・ノパスを手で制し、アイセンは意識してゆっくりと側臣に尋ねた。
「カ・エルは、クォン族を攻める大義は何と説明している?」
「帝国との間に戦の火種を落とすクォン族を成敗する……と主張しているようです」
側臣の報告に、ハイエンが剣呑な鋭い声を上げる。
「これは互いの不可侵を約した同盟条項に対する、明確な違反だ。ワシらも兵を出さねばなるまい。シカ族の兵数はいかほどか? クォン族の様子は?」
「兵数不明ながら、シカ族を挙げて攻撃をするとのことで、実際にシカ族領ではぞくぞくと兵が集まり糧食が運ばれているようです」
「ゼ・ノパス、お前は何か聞いているか?」
アイセンの問いに、ゼ・ノパスは激しく首を横に振る。
「と、とんでもない。寝耳に水で……」
「ならば、シカ族全員に動員がかかっているわけではないな。兵数は……多くて1万といったところか」
シカ族は総数およそ40万人の大部族だ。
そしてそのほとんどが馬に乗り弓を扱うことができる。弓馬を操れれば、老人であっても戦力になる。子供や傷病人などを除いても、その数は20万を下らないはずだ。
しかしそのすべてを動員するわけにはいかない。家畜の面倒を見る者、赤子や老人の世話をする者、そういった人数を残す必要がある。
そして動員をかけたとしても、全員が戦闘に参加するわけでもない。伝令や兵站、斥候など戦場外でも多くの人手が必要だからだ。
また、兵を集めるにはそれなりに時間と手間がかかる。遊牧民の生活の在り方から、一か所に集住しているわけではない。ゼ・ノパスのように氏族を離れて生業を行っている者もいる。多くの者に召集を伝え、実際に集まるまでには日数が必要だ。
出陣を急ぐならば、近傍の者だけを集めるだろうが、少数にならざるを得ない。帝国から戻ったばかりのカ・エルは、きっと十分な動員は出来ていないだろう。
「状況を考えるならば、1万程度の動員が限界のはずだ」
アイセンはそう判断した。その考えを支持するように、ハイエンが頷いた。
「ワシも同じ考えですじゃ。対するクォン族がすぐに動かせるのは、ほんのわずかであろうな。キンメルをはじめ、主だった者を亡くしておる。魔王軍の被害もあるはずじゃ。クォン族は、数でも質でも劣る。援軍は不可欠かと考えますが、いかがでしょうか盟主殿」
ハイエンは、クォン族救援の出兵を促すようにアイセンを見つめる。それを受けてアイセンは一堂に向けて口を開いた。
「カ・エルはいずれ乱を起こす。私は、そう思っていた」
アイセンの言葉に、座は二つの反応に分かれる。静かに驚く者と、やはりとうなずく者だ。だがいずれもおとなしく耳を傾ける様子に満足したアイセンは、冷静に、しかし歯切れよく話し始めた。
「私はもともと、カ・エルを信用していない。目から鼻に抜けるように優秀で、どこへ行ってもそつなく社交し、戦とあれば巧みに兵を用いる。だが、信用に値しない。誠実さがないからだ。武断一辺倒ではあるものの、義に篤く筋を通すことにこだわりがあるキンメルなどの方が、よほど好ましい」
この発言は本心であるし、実際にキンメルを重用してもいた。その子クロカゲは、実力に見合わぬほどに控えめで、心から平穏を愛しているように見えた。アイセンは、彼らのことが好きであったし信頼もしていた。
だからこそ十日前にクロカゲの凶報を耳にしたときは、信じられぬ思いだった。
争いを嫌う気弱なあの少年が、自ら剣を手にすることはないはずだ。帝国の思惑に乗せられたに違いない。すぐにそう判断した。
そして反逆者クロカゲを討った英雄としてカ・エルが名乗りを上げ、銀月帝国から追加の報奨を得たとき、アイセンはこの事態を予想していた。きっと銀月帝国とカ・エルは、悪しき企みで襲い掛かってくるだろうと。
だが、想定よりずっと早い。
「帝国とカ・エルは、よからぬ野望を抱き、手を結んでいる。魔王討伐の報奨のやり取りに始まり、キンメルおよびクロカゲの殺害、そして一連の出来事について私への報告を欠くなど、その行状から見て間違いない。クォン族への攻撃は始まりに過ぎない。間違いなく、この私アイセン・カアンの首も狙ってくるだろう」
アイセンの言葉に皆が息をのむ。
東方五氏族同盟は、帝国という強敵を前に、常に結束を固めてきた。その地の結束が、割れる。まさかその時が来ようとは……と、皆が戦慄した。
だがアイセンは、まるで平時のお茶時のように落ち着いている。アイセンが慌てふためくことなど、ほとんどない。
五年前に帝国との戦争で父を亡くして以来、東方平原を支配する東方五氏族同盟の盟主として、あまたの戦争や政争を戦い抜いてきた。
盟主であった父の死後、アイセンが最初に手を付けなければならなかったのは、盟主の座を継承するための根回しだった。父の死を悼む暇もなかった。
そして東方平原が混乱する中、各氏族の同意を取り付けると、その後も、繰り返し侵攻してくる帝国に対応し、並行して各氏族の紛争処理や交易路の維持管理などをこなし、多くの難題を越えてきた。
急な情勢変動や突然の鉄火場の到来など、幾度も経験している。
だからこそ、落ち着いた声音で命令を下せる。
「盟主アイセン・カアンの名において、カ・エルの討伐を命じる」
アイセンが宣言すると、五騎四槍と呼ばれる俊英たちの目に、にわかに炎が宿る。
「万騎大将ハイエンに命ずる。陣立てをせよ。兵数は三万以上とし、可及的速やかに進発する」
「承知いたしました。大都ジンドゥから一万五千の兵を出し、明日の早暁に出立。同時に周辺部族や砦などへ召集をかけておき、クォン族の領地への道すがら二万以上を合流させましょう」
「それでよい。正絹査官ゼ・ノパスに命ずる。兵糧及び資金は万騎大将の指示のとおりに手配せよ。私への報告は、概算で構わん。詳報は戦後だ」
「はっ! かしこまりましたっ!」
「この度の戦、私も出陣する」
アイセンの決然たる言葉に、座にざわめきが生まれる。その動揺を代表するように、ハイエンが口を開く。
「老骨ではありますが、大将の役目、ワシに任せてはいただけませんか。盟主たる貴女が、大都ジンドゥを空けるわけにもいかんでしょう」
「いや、行く。今回は東方氏族同士の戦いだ。かつては相争うこともあった東方の諸氏族だが、主要五氏族を中心に同盟を結んでからおよそ150年。互いに争って血を流すことなど、数えるほどしかない。誰が正義であり、誰が悪なのか。それを明確にしなければ、皆が判断を迷う。だからこそ絶対の正義として、東方五氏族同盟主であり東方平原の支配者たるアイセン・カアン自身が陣頭に立つのだ。盟主が出て旗色を明らかにせねばならん。こちらが正当であり、シカ族が……いや、カ・エルが反逆者なのだと」
「なるほど、ご慧眼にございますな」
一同の納得を、やはりハイエンが代弁する。
方針が決まれば、動きが速いのが東方平原の民だ。翌日の未明に、アイセンは軍を率いて大都ジンドゥを出発した。




