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この復讐は、正義だ  作者: 安達ちなお
2章 崩壊

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決壊

 ――皇帝に刃を向けたクォン族を征伐せよ。


 銀月帝国から突き付けられた理不尽な要求に、アイセン・カアンの執務室は熱の籠った議論が交わされていた。言葉の応酬に耳を傾けながら、アイセンは胸の奥で熾火のように熱を持つ感情に努力して蓋をしていた。

 その感情は、憤怒だ。


(……怒りに身を任せてはならん。落ち着け、アイセン)


 内心で自分に語り掛けながらゆっくりと木椀を取り、ヤギの乳を口に含んだ。

 アイセンが執務室として使っているのは、大きめの天幕だ。東方平原を支配する五氏族同盟主の宮殿としては質素なつくりだが、これが好きなのだ。暑ければ風を入れられるし、寒ければ布を重ねられる。いざとなれば移動も出来る。

 アイセンは十四歳で盟主を継いでから五年間、この天幕を愛用している。遊牧民の知恵と利便を愛し用いているのだ。


 その天幕が、いつになく緊迫している。

 天幕の内には“五騎四槍”と呼ばれるアイセンの腹心たちが、車座で詰めている。皆が専門的な知識や技能を持つ高位高官で、何より心からの信頼を置くことができる者たちだ。本来であればクォン族長キンメルを含めた九人だが、今は八人しかない。

 しかしこの天幕にはアイセンを含め、東方平原の政治を決定する首脳がそろっている。

 目的は当然、帝国の要求にどう対応するか、その結論を出すことにある。


 クロカゲらクォン族が帝国と衝突し、帝都で戦闘に発展した。その一報がアイセンのもとに飛び込んできたのが、五日前。四日前には、キンメルや随行のクォン族の者たちの訃報が飛び込んできた。

 そして、クロカゲがカ・エルによって討たれたと伝わったのが三日前。


 さらに二日前、帝国が「皇帝に刃を向けたクォン族を征伐せよ」との要求を突き付けてきたのだ。

 満足に状況も把握できず、そこへ次々と情報が飛び込んできては、目まぐるしく更新されていく。そんな状況だからこそ、討議には熱がこもっている。


 なかでも、アイセンの叔父で、老齢ながら軍を統括する万騎大将ハイエンは、帝国に対する強硬的な論調を崩さない。


「魔王討伐から幾月も過ぎていないというのに、これだ。だから帝国は信用ならんと、ワシは常々言っておったろう」


 痩せた体と柔らかな声ながら粛々と語るハイエンに対して、若き正絹査官しょうけんさかんゼ・ノパスが、太い腹を揺らしていなすように応じる。


帝国あちらさんは、“魔王がいなけりゃ、いつもどおり”ということでしょうね。これまでどおり、付かず離れずの心でやっていくようですかな」


 親ほどに年が離れ、数々の武勲に彩られているハイエンを前にしても、ゼ・ノパスは堂々としている。

 正絹査官は、もとは交易品目の一つである絹を検査する官職であった。だが絹織物は、銀月帝国や西方のロムレス王国で需要が高まり、今では最重要交易品となっている。絹の重要度の高まりを受け、今では交易の統括官としての位置づけになっているのだ。


 その要職にあるゼ・ノパスは、当然ながら交易から得られる利益を重く見ている。もちろんアイセンにも、その考えは十分に理解できる。

 東国から西方に流れる絹だけでも、莫大な利益が生まれる。その他香辛料や南方の海産加工物などは、東方平原を介して帝国方面に運ばれ、その過程で東方平原に莫大な利益をもたらしている。その利益は、平時の交易があってこそだ。


 そうした背景から、ハイエンは主戦論を唱えるも、ゼ・ノパスは穏健策に寄せようとする。ハイエンが率直な意見を漏らすと、ゼ・ノパスが難しい顔で応じる。先ほどから、これを繰り返している。


「いつもどおりと言うなら、それこそいくさだ。帝国相手には、今までも弓と槍で外交をしてきたと……ワシは、そう思うんだがのう」

「ですが魔王を相手にした消耗が存外大きかったですしねえ。無視できん傷ですよ」

「帝国とて、魔王戦で疲弊しているはずではないのか」

「やつら農耕民は、数万の歩兵くらい、すぐに補填してきますよ」


 帝国との因縁は一方ひとかたならぬものではあるが、ここでの一戦を避けたいという思いは、アイセンを含めた皆の胸にある。

 魔王軍が東方平原に侵入したことで、少なくない被害を受けている。人や家畜に犠牲が出ているし、草地が荒れ井戸が壊されもした。人家や家財、交易施設などに被害を受けた町もある。

 また、魔王との戦いには、二人の勇者のほかに、約一万の騎馬弓兵を送っている。その負担は決して小さいものではない。


 さらには情報の不足も、論争に拍車をかけている。クロカゲらが帝国において反逆者とされたこと、そしてカ・エルによって討たれたことしか分かっていない。常日ごろの情報網のみならず、新たに人を派遣してもいるが、大都ジンドゥを発って数日では、まだ東方平原を出ることも出来ていないはずだ。

 その点を勘定に入れるゼ・ノパスは、帝国の要求を一蹴するには材料が足りないと主張するのだ。


「しかし、キンメルを失ったのだぞ? あの神槍キンメルをだ。そして勇者であるクロカゲも。これだけで、ワシらが出兵するに足りるはずだ」

「こちらから攻め入るってことですか? 帝国領での戦闘は論外でしょう。東方平原であればこそ、我々が優位に戦えるというものですよ」

「ならば、帝国の言いなりになるのか? それは悪手だ。後代にまで響くぞ」

「うむ、確かによくないですな。近く交渉を持つとして……帝国あちらの言い分を呑むのではなく、東方平原こちらの理屈で返答すべきでしょうな」


 議論が煮詰まったと見たアイセンが、合図をするかのように手を打った。

 すると意見の応酬がぴたりと止まる。そして皆が押し黙ってアイセンの言葉を待っている。美しい長い黒髪をさらりと揺らすと、アイセンは口を開いた。


「皆の考えは分かった。対話にしろ戦にしろ、なかなかに厳しい道になりそうだな。だが私の結論は出た」


 そこで一息を溜める。自分自身の怒りを鎮めるために、静かに深く息を吐く。


(帝国の理不尽な要求は、断じて許せん……)

 感情に任せて使者の首を刎ねてしまえたら、どんなに胸がすいただろう。だが、当然ながらそうはしなかった。


(キンメルとクロカゲを失った穴は、大きい……)

 彼らの死の責任を問いたい。帝国に出兵し痛撃を加えて、叩きのめしてやりたい。だが、自分の感情を満足させるために兵を動かすべきではない。

 理を以って進むべきだ。

 アイセンは皆に気づかれぬように下腹に力を入れると、敢然と決断した。


「クォン族は盟友だ。帝国の要求を呑めるはずがない。呑む意思もない。帝国が一戦も辞さないというのなら、受けて立つ。戦うか否か悩んだときこそ、戦うべきだ」


 アイセンが明言すると「おお」と興奮気味の声が漏れる。座が明らかに熱を帯びている。その熱を受けてもアイセンは玻璃はりのように凛とした目で「それに……」と続ける。


「対話の余地など既に無いはずだ。近く、必ず戦になろう」


 アイセンの断言に、ハイエンは頷き、ゼ・ノパスは面食らったように目を見開く。


「恐れながら……それは何ゆえでしょうか」

「キンメルとクロカゲに対する帝国のやり方から、奴らの思惑が見て取れる。そも、対話を持つとなれば、我らは帝国に対して二人の死の責任を問わねばならぬ」

「アイセン様、しかしそれでは、魔王戦での共闘を機にせっかく改善した帝国との関係は……」


「そう、関係だ。ここでこちらの憤りをぶつけなければ、戦わずして服従するに等しい。しかし闇雲に帝国を攻撃するのでは、意味がない。道理を以って怒りを示すのだ。そもそも、銀月帝国がクロカゲらを罪人としたとしても、その決定は東方平原われらを縛るものではない。しかしカ・エルは、帝国の意向を受けて、盟主わたしの確認を取ることもせずにクロカゲらを討った。これは筋が違うな?」

「あ、いや、それは確かにそのとおりです」


 シカ族を出自に持つゼ・ノパスがうろたえる。


「私の見立てでは、戦いは近い。それほど時を置かずして。帝国は兵を出すやもしれん。今日から戦の準備を始めてもよいくらいに……」


 アイセンの言葉を遮るように、天幕の入口が荒々しく開かれた。入ってきたのはアイセンの傍に仕える側臣だが、いつにないこわばった表情で駆け寄り片膝をついた。


「ご討議中、失礼いたします!」

「よい、話せ」

「クォン族から救援依頼の使者がありました! シカ族長にして狩人の勇者カ・エルの名において、兵を率いてクォン族を攻撃すると布告を受けたとのことです!」

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