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この復讐は、正義だ  作者: 安達ちなお
6章 大戦争

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初戦 ――ナルサーフの打算

 ナルサーフ・ネメアーは憐れみを込めて目の前の美女を眺めていた。


 厳寒の終わりも間近に迫る晩冬、不快な寒風が吹く早朝。銀月帝国東方、銀月川のほとり、新都市カエリアへ向かう道中のことだ。


 ナルサーフが家宰を務めるネメアー家は、皇帝の命を受けてとある貴賓の護衛のために兵団を動かしていた。その貴賓とは、皇女ララとその息子カエリオンだ。


 かつて銀月帝国と東方五氏族同盟は、銀月川を境界として対峙していた。この川は、北方の山脈から流れで、南方の湾に流れ込む大河だ。川幅と水深だけでなく、周囲の峻険な地形もあって、川を越えて侵攻するのは国運を賭けた難事業であった。


 だが情勢は変わった。東方平原は属領となり、銀月川を越えた東方平原側に帝国の新都市カエリアが建造された。


 そしてこの新都市の太守に任じられたのが、皇帝の孫カエリオンである。とはいえ本人はまだおしめも取れぬ幼子である。母の腕に抱かれたまま馬車に揺られ、うとうととしている。


 この馬車を中心に護衛の兵を配しているのだが、ネメアー家の家長でありナルサーフの従弟であるタイタスは、馬車に張り付いたまま動けなくなっていた。そしてナルサーフも苦心するタイタスの補佐に徹しなくてはならなかった。


 それもこれも、この憐れな女――ララのせいだ。


「ネメアー将軍!」


 ララの叫び声に、タイタスが愛馬を馬車の隣に並べながら「はい」と答えている。


「この先の木立が動いたような気がするわ。東方の蛮族が潜んでいないかしら」


「冬の風に木々が揺れたのでしょう。ご心配はいりません」


「でも万が一ということもあるでしょう? カエリオンに何かあったら、どうするというのっ?」


「……念のため兵を先に走らせて様子を見ましょう」


 そんな会話が終わるのを待たず、ナルサーフは近くを進む兵に「二騎ほど先行させろ」とささやいていた。


 帝都を出てからずっと、同じようなことが繰り返されている。何かに付けて過敏に反応して騒ぎ立てるララと、それ刺激せぬよう心を砕くタイタスという構図だ。これには言い様の無い憐みを覚える。


 タイタスはいい。あいつは生粋の軍人にしてネメアー家の当主なのだ。それも当主の座をかけた争いで、従兄弟であるナルサーフを下して家長となった。これまでも多くの苦労を経験しているし、これからもすべきである。それらを耐えていける男だ。


 だがララは、あまりにも憐れだった。

 以前は皇女として皇城の奥に住み、特段に野心も持たずにいたと聞く。それが弓王として東方平原に即位したカ・エルへと嫁ぐこととなり、その弓王が斃されるとすぐに帝都へ戻された。


 それら一連の出来事が原因でララは精神の均衡を失しているという噂を耳にしたことはあった。これまでのやり取りを見ていると、あながち噂と言い切れないのかもしれない。


 そこらの女なら、ナルサーフは気にもかけなかっただろう。だがララは違う。皇女であることに意味がないとは言わないが、それはあまり関係ない。


 何より美人であるからだ。波打つくせ毛の銀髪が愛らしく、見る者の庇護欲をくすぐる。子を産んだとは思えぬほどの若々しさだ。


 ナルサーフは女が好きだ。美女なら大好きだ。だから女遊びをするためには労を惜しまない。武で名高いネメアー家には珍しく、つるりと白い肌を保ち、洒落た振る舞いを好む。だからなのか、帝都ではそれなりに浮名を流すことができた。

 ララは、そんなナルサーフが思わず見とれるほどの美女なのだ。


 だからこそナルサーフには、ララの落ち着かぬ様子が憐れに見えた。


 その後もララは過敏に反応した。銀月川に架かる橋に差し掛かったときには、川面が光ったからというだけで川底を調べるようにさえ言った。この寒空の中、川に入れば命に関わる。橋を封鎖して通ることで、何とかやり過ごした。


 そうして見えてきた新都市カエリアの賑わいは、想像を超えていた。


 城門前に設けられた交易市場では、威勢よく商品が売り買いされている。布の筒を山と積んだ筋骨たくましい商人が、髭面の男と算盤を弾き合って商談をしている。肉屋ではビュンと振られる大包丁で枝肉が切り分けられ、干し肉をいっぱいに詰めた籠が次々に売れていく。その他、宝石にも水にも乾燥果実にも、木籠から釘一本にも値段がつけられ売られている。


 知らぬ者が見れば、喧嘩や暴動にも間違えそうな熱気だ。護衛の兵達は、太守の馬車を取り囲んでならず者が近寄らぬように気を張っている。


 二万の人口を見込んで計画的に作り上げられた新都市カエリアだが、既に三万人が集住していると聞く。すべては交易が生み出す財の成せる業だ。


 城門を潜る前から、カエリアの熱気がナルサーフの頬を打つ。タイタスも同じだったのだろう。感心したように呟く。


「さすがは東方平原を往来する交易商隊だ。戦場の兵士のごとく勇ましい」


「それにしても荒くれみたいな、おっかないやつが多すぎないか? 俺の知っている商人っていえば、もっとこう……」


「おいナルサーフ、この程度で驚いてもらっては困るぞ。帝都の御用商人みたいに礼儀を重んじる者ばかりじゃあない。いざとなれば盗賊と干戈を交えても商品を運び、財を得る者達だ。下手をすれば並みの兵より腕が立つ」


「へえー、さすが当主様だ。知見の広さが違うね。やっぱりタイタスが家督を継いでよかったぜ。俺は帝都だけで世間を知った気になっていたよ」


 タイタスは生粋の軍人だ。背は高く、細身の筋肉質でよく日に焼けている。今年で三十歳だが、貫録を付けるために生やした髭もあって、四十以上に見られることもある。


 一方でナルサーフの得手は事務仕事だ。後詰こそ得意だが、戦場に立つことはあまりない。経験の差が出たな、と内心で自嘲する。


「頼むぞ、家宰殿」


「まあ、任せてくれよ。これからの成長にも期待ってところで、ひとつよろしく」


 そんな軽口を聞いているうちに一団は街の中心部に入っていた。都市計画に基づいて作られた新都市カエリアは、区画が機能的に配置されている。役所や神殿、競技場など多くの民が使う施設は街の中心部に集中している。


 中でも一段高い丘上に建てられた太守の館の前で馬を降りた。周りには、新太守の着任を待ち構える人々が列をなしている。その顔ぶれは、辺境には似つかわしくないほどに豪勢だった。


 有力な貴族家は軒並み顔をそろえている。それも当主や嫡男など、各家の重要人物ばかりだ。東方藩王国の重鎮や四大貴族イオニア家の長女やヴェスパシアス分家当主までいる。新太守の就任を祝うためだけに、わざわざ本国から旅してきたのだろう。


「新都市とはいえ、太守着任の式典にしては随分と豪勢だ」


 従兄弟が隣でのんきに呟いている。これだから世事をしらぬ戦馬鹿は駄目なんだ。

 ナルサーフはここぞとばかりに舌を回した。


「そりゃそうさ、タイタスだって知っているだろ。皇帝陛下肝いりの新都市だし、交易の重要拠点になるし、新太守は皇帝陛下の孫にして唯一の直系男子だぜ?」


「ほう。じゃあカエリオン様の護衛兵団の指揮を任せていただけたということは、ネメアー家にも運が回ってきたと?」


「もちろんそうさ。戦場で血を流す役目より、安全でうま味のある権威に近い役だ。こういう場所なら、ささいな忠誠でも利益に跳ね返ってくるぜ」


「興味ないな」


 そっけなく言うと、タイタスは太守の乗る馬車の前で跪いた。


「カエリオン様、新都市カエリアの館に到着いたしました」


「ご苦労さまです」


 一応はカエリオンに報告をするという体裁を取るのだが、応じるのはララだ。

 タイタスが馬車の扉を開くと、息子を抱いたララがしゃなりと降り立った。その腕の中でカエリオンはすやすやと眠っている。うねる髪の癖は母譲りだが、その色味は濃い。父であるカ・エルに似たのかもしれない。


「皆さん、出迎えありがとうございます。新たな太守であるカエリオンも大層喜んでいます」


 ララは微笑む。太守が幼子である以上、ララが実質の権力を握るのは間違いない。だから居並ぶ貴族らは敬意を払って彼女の言葉を待った。だが次の発言には、その場の皆が驚いた。


「カエリオンは皇帝陛下の血を継ぐとともに、東方平原の真の支配者である弓王カ・エル様の嫡子でもあります。今は不敬にも王位を簒奪した蛮族が東方平原に居座っておりますが、いずれは正統なる持ち主であるカエリオンのものとなりましょう。それが叶うまで、皆の更なる忠誠を期待しています」


 ナルサーフは何かを聞き間違えたかと思った。


 現在の東方平原は、皇帝から称号を与えられた東方藩王国の盟王が統治している。つまり皇帝は現在の体制を認めているのだ。だのに弓王の名を墓から引っ張り出してこれを否定するとなれば、間違いなく軋轢が生まれる。無理を通せば血さえ流れるだろう。


 もちろん冷静な計算のもとに、東方平原の不和を誘発する策として取り組むことはありうる。皇帝や皇城の高官たちは、そちらに舵を切ることも出来るよう新都市にはカエリアと名付け、太守にカエリオンを迎えたのだろう。可能性としては、確かにありうる。


 だが可能性と現実は違う。今はその時ではない。

 それでもララは夢想を口にした。


 いや、彼女は弓王が倒れてからずっと東方藩王国を批判し続けているのだ。恐れ多くも弓王を弑逆した違法な簒奪者である。カエリオンが受け継ぐべき土地を不法に占拠している。直ちに兵を出し攻め滅ぼすべきである。

 帝都で、皇城で、ことあるごとに言って回ったと聞いている。


 その結果、こうなったのだ。厄介払いのため帝都を追放され、耳目集める新都市とはいえ辺境に押し込められたのだ。


 現在、兵は北方諸国へ割いている。そちらが落ち着けば西のロムレス王国、そして南のイオス王国へと対応するだろう。ララが切望する展開があるとしても、はるか先のことなのだ。


 少なくとも、皇帝が現在の状態を否定して東方への出兵を表明する必要がある。まだ早いのだ。だがララは、その時を待たずして皇帝が承認する現状を否定した。尋常ではないことだ。


 ララの顔には策謀の気配が微塵もない。弓王の正統性を信じ切った狂人の目だ。


 不穏な空気が流れる中、来賓の筆頭であるイオニア家の長女ロクサーヌが前に出て「新たなお役目に就かれましたこと、心よりお喜び申し上げます」と挨拶をすると、ララは笑みを深めて言った。


「イオニア家には期待しております。正統なる王が本来の権利を取り戻すため、尽力を願います。カエリオンに身命からの忠誠を捧げてください」


 これにロクサーヌは「帝国のより一層の安定のため、尽力いたしますわ」とそつなく答えてかわした。

 もし東方藩王国への攻撃を容認する発言をしたならば、政治的にはそれだけで不利になる。仮にララに気に入られてしまったら、その異常な認識に基づいた行動を強要されるかもしれない。


 誰もがそんな想像をしたのだろう。

 以後も順番に前へ進み出て新太守への挨拶を始めたのだが、挨拶をする者は、無難な儀礼の言葉で危険を避けていた。それでもララは、その一人一人をつかまえて忠誠を迫っていた。狂気じみた脅迫といってもいい。


 そんな憐れな応酬を見ながら、ナルサーフはタイタスの耳元でこっそりとつぶやいた。


「おっかないな。変な言質を取られんようにしてくれよ、当主様」


 この髭面の従兄弟は、生粋の軍人だ。戦場の駆け引きならばともかく、貴族的な機微には疎い所がある。

 だからこそナルサーフは心配しているのだった。が、タイタスの答えにおやと眉を上げることになった。


「ララ皇女殿下はを損なわれていると聞いていたが、心配だな」


 不敬にならぬよう言葉を選んでいる。


「世間知らずのタイタスにしては、気が利いているな。皇帝陛下もララ殿下にはゆっくり療養していただくお考えだったようだが、東方から帰国されてからずいぶん精力的に動いてしまったようだからな」


 元々のララは大人しく控えめな性格であった。政治的な動きをすることはなく、軍事にも財政にも興味を持っていなかった。だからそれらの能力を持ち合わせているわけではないのだ。


 ただ亡き夫の敵討ちと幼い我が子の権利のために、情勢も戦術も知らぬままに東方藩王国を非難し攻撃を主張している。絵に描いたような煙たがられる存在だ。


 それを知っているから、皆一様にうわべだけの挨拶に終始しているのだ。さすがにこの程度の打算が出来なければ、貴族社会を生きてはいけない。

 今はヴェスパシアス第三分家当主のチトスが挨拶をしている。ララが「東方平原の蛮族を殺しつくしてください。カエリオンに永遠の忠誠を誓ってください」と鬼気迫る表情で言うと、チトスは「帝国の民に害を為す者がいれば、私の剣を振るいましょう」と応じている。


 ネメアー家の番が来た。


「うまくやれよ」


 ナルサーフはそっと囁くとタイタスの後ろに続いた。ララは白く筋の浮いた手で我が子を抱きしめている。柔らかく微笑みながらもその目は充血し、こちらを見ていない。長引く式典で風を浴びたからか、腕の中の乳児はむずかり始めている。


 可哀そうに。もしカ・エルが生きていたならば、王妃として幸せの内に暮らしていただろう。我が子の成長を純粋に楽しみ喜べただろう。だが、現実はそうはならなかったのだ。


「カエリオン様、栄えある新都市の太守ご就任、誠におめでとうございます」


 タイタスの言葉は、実直で飾り気はない。


「帝国の正義のため、ぜひともカエリオンに尽くしてください」


「……この身は帝国の繁栄に捧げております。その決意は向後も変わらぬでしょう」


 下手くそだが無難に応じている。次にナルサーフが進み出た。


「この度は栄えある新都市の太守へのご就任、例無き慶事とお祝い申し上げる次第でございます」


「この子の……カエリオンのため、命を投げ出してくれますか?」


 あーあ、必死だねえ。

 ナルサーフは憐れみと蔑みを頂きながらも、それを隠して言った。


「かしこまりました」


 ララはわずかに驚いた様子でこちらを見る。初めて目が合った。


「ナルサーフ・ネメアーの名に懸けて、カエリオン様に身命を賭した忠誠を誓いましょう。新しき太守様より後にこの命が尽きることはありませぬ」


 言い終えてしばらく待った。最初は狂気を帯びた笑みのままであったララだが、次第に感情の乗らない微笑が軋み崩れていく。


「ありがとうございます。ナルサーフ殿の忠誠……本当にうれしく思います。ありがとう、ございます」


 声が震えている。初めて感情が垣間見えた。

 一礼して振り返ると、タイタスが青ざめた顔をしている。居並ぶ諸侯にも驚いた雰囲気がある。だが、これでいい。


 ナルサーフの腹に打算は、無かった。

 理知的で計算高いと自負するナルサーフだが、時折こういう馬鹿をやった。以前には一目ぼれしたサツマ藩王国の王女に恋文を送ったこともある。麗しい巫女の気を引くため、神殿が営む孤児院に大金を寄付したこともある。


 今回も馬鹿が出た。絶対に悪手だ。


 だが皆に敬遠されるこの母子が憐れだった。決して自ら望んだ境遇ではない。それでも不幸と共にあらねばならない。そんなのは、憐れが過ぎる。嫌いだ。


 もし家宰のナルサーフに何かあろうとも、ネメアー家はタイタスに任せていれば安泰だ。そんな割り切りもある。


「タイタスは帝国臣民のため、その身を賭して戦い続けると決めているらしいじゃないか。だがこの母子も帝国に生きる人なのだ。それなら一人くらいは味方がいても良いんじゃないか」


 ナルサーフは固い顔の当主に向けて、舌を出した。だが、そんなおふざけも続けていられぬ事態となった。


 もとの位置に戻ろうと一歩進んだところで、まるで時を見計らったように一騎の騎馬が駆けてきた。金属の軽兜には大鷲の翼が付いている。一切の儀礼を無視して危急を知らせる権限を持つ、特別級の伝令だ。


 式典会場の手前までたどり着いたところで、馬が泡を吹いて倒れた。それを乗り捨てた伝令は、息を切らせてララのもとまで走り寄る。そして疲れと渇きにかすれた声を張った。


「東方藩王国が盟王、アイセン・カアンが帝国に反旗を翻しました! 騎馬の大群がこの町に迫っております……っ! その数、十五万騎……」


 それだけを言い切ると、伝令は倒れ伏した。

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