東方平原の日常(ニレハ)
藩都ジンドゥの高級な商店が並ぶ一角に、紹介が無ければ入れない料理屋がある。
サツマ風の着物に東方平原の毛皮を合わせて着飾ったニレハが「クロカゲ様のお名前で予約があるかしら」と問うと、二階に案内された。
上層の階は、帝国では低い扱いを受けることが多い。粗末な集合住宅などは安煉瓦と木材で雑に建てるので、上に行くほど隙間風や雨漏りが増えるのだ。土地の狭い帝都などでは、顕著になる。
一方、東国やサツマ藩王国では二階を上等な扱いにする場合もある。客が多く出入りする埃っぽい一階ではなく、下足を脱ぎゆったりとくつろげる場所でもてなすのだ。
東方平原は交易の中継点であり、貿易拠点でもある。遊牧を営む集落は移動可能な天幕を用いるので、複層階などは無い。だが定住都市には東西南北の文化風習が入り混じり、様々な形式の建物が混在している。
クロカゲから伝えられたこの店は、東国の雰囲気が香る木造だった。柱は艶のある大木が使われ、床板は顔が映るほどに磨かれている。階段は広く緩やかで、段の一つ一つに東方平原風の彫刻がある。きっと老舗の高級店だ。
特別な日の夜に、伝統ある特上の店で、二人きりで会う。そこに何の期待も無いといえば嘘だ。胸を高鳴らせたニレハが部屋に足を踏み入れると、まったく想定していなかったことに、幾人かの先客があった。
広い部屋の中には脚の短い大きな机が置かれ、幾つかの席が設えられている。まず手前にいたのはサンサだ。よく日に焼けた肌が美しく、色見の薄い髪は丁寧に櫛づけられている。珍しいことに、東方平原風の刺繍が施された鮮やかな絹衣で着飾っている。
「あれ? 何であなたがいるのかしら」
「それはこちらの……」
途中で黙ってしまった。いつもどおりの無表情だが、どこか不機嫌にも見える。
奥を見れば、アイセン・カアンがいる。
「はは、ニレハ殿もサンサと同じく勘違いをしていたクチか。皆が一緒だと、少し考えればわかるだろう。クロカゲが気の利いたことを出来るはずが無い」
ごく普通にふるまっているようにも見えるが、いつもより笑顔がわざとらしいのが気になる。首飾りや耳飾りが普段とは違う。それにかすかに香油の良い匂いもする。
他の皆とは距離を置き、隅っこで息をひそめているのは帝国から派遣されている若い文官だ。確かルキウスという名だったはずだ。
「あなたは?」
「は、はい。アイセン様に良くしていただいている官僚の一人としてクロカゲ様にお声かけ頂いたようなのですが、自分のようなものには過分な席かと恐縮している次第にございます」
帝国人には珍しく正座を使いこなし、ひきつった笑顔で必死に舌を動かしている。まずはこの子ネズミから血祭りにあげてやろうかと算段していると、暢気にも普段と変わらぬ格好のクロカゲが現れた。
「あれ、皆さん早いですね」
そのお気楽な顔に腹が立ったので、鼻がぶつかりそうなくらいに詰め寄った。
「クロカゲ様、どういうつもりか説明していただきたいのですけれど」
こっちは一世一代の大勝負だと乾坤一擲の覚悟で挑んだというのに、クロカゲはのほほんとしている。
「せっかくだからみんなで過ごそうかなって。美味しいものをたくさん用意しましたよ」
そう言って笑うクロカゲの後ろから、ヒモンが現れた。手には香ばしく焼いた鳥の乗った大皿がある。
「さ、料理が出来ましたぞ。どんどん運びますので、じゃんじゃんお召し上がりください。秘蔵の酒も出しますぞい」
その言葉のとおり、御馳走が次々と運び込まれてくる。ほろほろの豚肉や骨付きの牛肉もある。東方平原では貴重な雫が滴るほどに新鮮な果物類も、山盛りで運ばれてくる。葡萄酒が壺で運び込まれ、麦酒が大鍋で振る舞われ、乳酒や焼酎まで用意された。
机が華やかに埋まる間には、ゼ・ノパスが「お、遅れたかな。申し訳ない」とサーキを伴って現れた。
そういうことかと諦めたニレハだが、一つだけ確認せずにはいられないことがあった。
「ところで、何であの道化師がいるんですか?」
帝都で会った道化師を指して言った。
真ん中の席で一人だけもう酒を飲み始めている。
「僕が呼んだわけじゃないんだけど……面白そうだからって、急に来たんだ」
ひそひそと話していると、道化師が急に顔を寄せてきた。
息が酒臭い。
「今日だけだから安心したまえよ。こんなに愉快な泥沼の恋愛模様……ちょっかいを出さずにはいられないだろう」
クククと笑って席に戻ると、また酒を飲んでいる。
その隣ではこまっしゃくれた雰囲気の美少女が、せっせとさらに料理を取り分けている。
「お酒ばかりじゃなくて野菜やお肉も摂らないと栄養が回らないっていつも言っているんだけど、どうして直らないのか不思議でしょうがないわけよ。それに味の濃いものばかりじゃなくて、果物や生野菜も摂る必要があると思うんだけど、そのあたりの見解を聞かせてもらいたいものだわ」
文句を言いながらも、空いた杯に酒をつぎ足している。
「あの二人は放っておいて構わないと思います。さ、ニレハさんも座ってください」
クロカゲに促されて席に着くと、目の前にごちそうが取り分けられた。肉に野菜に果物に、砂糖がたっぷりの甘味まである。お湯で割った焼酎は心地よい香りがする。
「もう、しょうがないんだから……」
本当は新しい下着までおろしてきたというのに、とんだ肩透かしだ。でもそれを口にしては明け透けすぎるので、黙ってこの場を楽しむことにした。
窓の隙間から外を見れば、立ち並ぶ飲食店には明かりが灯り、多くの酔客が出入りしている。大きな通りには、人混みが出来てそこかしこで騒がしく話している。町全体が賑やかで楽しげな雰囲気に包まれている。
「まあ、たまにはこういう日があっても良いかもしれませんわね」
クロカゲの隣の席を確保しながら、ニレハは呟いた。
戦乱は近い。ともすれば、誰かが命を落とすかもしれない。いや、自分だってどうなるのか分からない。そんなニレハの考えは知らぬうちに的中していた。
今日と同じ顔触れがそろうことは、二度とないのだった。
のほほん系の話はこれでおしまいです。
次話からバチバチです。




