東方平原の日常(サンサ)
藩都ジンドゥの城壁の上からは、草原を駆ける弓騎兵隊がよく見えた。
「構え」
サンサが号令をかけると、城壁上の兵達が弓を構え、弦を引く。弓騎兵隊が間際まで近づくのを待って、「放て」と命じた。
本来であれば弦の鳴る音を聞くだけで、いくつの矢がどれほどの弓勢で放たれたかを推測できる。だが今は訓練での空打ちだ。弓を壊さぬよう弦を弱く引いているので、耳はあてにならない。
兵の数と距離、そしてその動きからおおよその結果を想像する。
「攻城側は五割到達、一割命中。防衛側は七割到達、一割命中。死傷は互いに五分だ」
サンサの評価を聞き、両軍が配置や動きを変えていく。
近衛兵隊長にして万騎将であるサンサは、アイセンが擁する近衛一万騎を指揮する権限を持つ。帝国に定数を五千まで減らされているが、それでも職業的軍人である近衛兵は、精鋭中の精鋭である。これを錆びさせるわけにはいかない。予算が許す限り、こうして訓練を重ねているのだ。
弓騎兵は城壁に迫り、防御側はこれを撃退する。これを繰り返した。攻城側は機敏に動き回ることで矢傷を受けぬようにするが、動き過ぎれば隊列が乱れるし弓の狙いが難しくなる。一方の防衛側は、高所なので弓矢では優勢だが、胸壁くらいしか身を護る術はない。互いに受傷を減らしながら攻撃する間合いを探る練習なのだ。
日が傾き始め、兵も馬も疲れ果てたところで、サンサは訓練の終了を宣言した。
采配用の床几を片付けていると、訓練を見学していた帝国の監察官が近づいてきた。クセイノスという名で二十五歳前後の男だ。
「素晴らしい練兵でございますね、サンサ殿。一つ一つの指示が過不足なく実行される様は、まるで一つの芸術のように美しく、見ているだけで心奪われる思いでございます」
若くして出世していることを鼻にかけるような言動が目につく。
「芸術ほど俗物的ではありません」
それだけ言って去ろうとするも、へこたれないクセイノスは自信に満ちた顔でサンサの隣に並んだ。
「確かにそうですね。高度な技術は、高尚な風を纏うものでございます。ところでこの後、一緒に食事でもいかがですか? 腕の良い料理人が帝国から来ていまして」
決して下心からの誘いではないと、サンサには分かっている。クセイノスに限らず、帝国から送り込まれている官僚たちは、積極的に顔を売り人脈を形成している。東方平原に根を張り、帝国の支配を盤石にするためだろう。たとえ敵対勢力と分かっていても、何度も顔を合わせて歓談すれば情が湧く。それが人間というものだ。
そうと分かっているからこそ、サンサは短く答えた。
「あなたに男としての魅力を感じないのでお断りします」
下心が無い相手にこそ効果的だ、と教えてもらっていた言い回しだ。絶句しているクセイノスを置いて、さっさと撤収した。
鎧を脱いで軽装になると、町に出た。
日没が近づいても、ジンドゥは賑やかだ。店々の松明が通りを照らし、昼のように明るく喧騒に満ちている。
木工職人が店先でノミを操り、大きな机を削り出している。白く美しい木材は、南から仕入れた上質な杉だろう。サツマ藩王国との交易は、金属だけでなく木材の供給も増やしている。
隣の油屋では、トウゴマを絞って油を作っている。丁稚らしい少年が額に汗をかきながら木製の絞り機を回しているが、絞ったそばから壺ごと売れている。
その隣では香油屋が帝国製の薔薇油を喧伝し、さらに向こうでは石屋が大理石の見本を見せびらかし、その奥では上質な羊毛、そして亜麻、鉄器や穀物など、様々な品を売る商店が軒を連ねている。空は暮れ始めているというのに買い手が引きも切らないので、商人たちも店を閉める気配すらない。
喧騒を抜けてサンサは酒屋に入った。目当ては飯だ。酒はあまり飲まない。嫌いというわけでもないのだが、飲んでも酔わないので意味を感じない。
それでもこの店を選んだのは、以前にクロカゲと来たことがあったからだ。今は帝国に行ってしまったが、彼がジンドゥにいるころにはよく一緒に食事をした。彼の家に料理を作りに行くこともあった。何かがあったわけではないが、それでも楽しい思い出だ。
根野菜と豚肉の煮物や果物を注文して椅子に座ったところで、声をかけられた。
「あれ、サンサさんじゃないですか」
どきりとして振り返ると、精悍な青年がいた。サーキだ。今はアイセンの側に仕えているはずだ。
「ああなんだ、サーキ殿ですか」
「何だかがっかりしていませんか?」
「いえ、そんなことは。サーキ殿もお食事で?」
サンサの問いに、サーキは困ったように目を細めた。
「アイセン様が脱走なさったので、捜索しています。見かけていませんか?」
サンサらの主君であるアイセン・カアンは、時折失踪する。きちんとその旨を書き残していなくなるし、予定の時間を過ぎて戻らないということもない。だがそれはそれとしても、サーキの立場では探さずにはいられないのだろう。
「今日はお会いしていません」
そう答えると、サーキは「発見したら逮捕しておいてください」と言い残して去って行った。その後姿が見えなくなったことを確認したサンサは、厨房に声をかけた。
「もう大丈夫です、アイセン様」
「なんだ、気付いていたのか」
湯気を上げる大鍋の陰からアイセン・カアンがひょっこりと現れた。特徴的な黒い長髪こそ布を巻いて隠しているが、暢気にも顔を晒している。サンサが店に入ったとき、不自然に隠れる人影があったので気配を伺っていたのだ。
「最近はサーキの奴も勘が鋭くなっていてな。先回りされることもある。今日は河岸を変えてトゴンの店に行こう」
そう言って夜の街に繰り出すアイセンの後ろには、若い男女が従っていた。アイセンは、見込みのある官僚などを連れ出しては、酒を喫しながら歓談しているらしい。今日の獲物はあの二人なのだろう。
三人が人波に紛れた直後、今度は野太い声に呼びかけられた。
「サンサじゃないか。アイセン様を見なかったか」
ゼ・ノパスだ。相変わらずの太った腹を揺らし、一の寵臣だというのに一人で気軽に歩いている。この気さくさがあるから、アイセンとも馬が合うのだろう。
「アイセン様であれば、トゴンの店に行くと」
「陣地替えをしたということは、追手が付いたかな」
話が早い。この男の知恵と機転には、舌を巻くことが多い。
盟主親衛隊の数を一万騎から五千にまで減らされたときもそうだった。
定数削減は帝国の要請だ、断ることはできない。サンサが粛々と名簿から名前を削除していると、ゼ・ノパスは独自に筆記隊という組織を立ち上げた。公文書の作成を補佐し、送達役を担うこともあり、時には雑用もこなすという雑駁な組織だ。立案段階では対して注目されることも無く、帝国側にも見過ごされた。
だが設置が決定すると、ゼ・ノパスは削減された五千の親衛隊員の全てをここへ組み入れた。筆記を補佐するという名目でアイセンや将軍らの側に出入りし、伝令を果たすためと称して軍馬の手入れや運用にも携わった。果ては雑用役として練兵に顔を出すことさえあった。
もちろん軍人ではないので、弓や槍を手にすることはない。だが実質的には親衛隊に近い位置を維持することに成功した。あとで気づいた帝国が横やりを入れようとしているらしいが、のらりくらりと時間を稼ぐ腹積もりでいるらしい。
アイセンの計画が順調に進んでいる今、やり過ごさねばならない時間は短い。きっと成功するだろう。
「ところで、あの話は考えてくれたか?」
ゼ・ノパスは何の屈託もなく尋ねて来る。だからサンサも簡潔に答えた。
「承諾いたしかねます」
「そうか」
サンサはゼ・ノパスから求婚されていた。ゼ・ノパスほどの男であれば、サンサの父でありフラグ族長であるクスサスクへ通じて縁談をまとめてしまうことも出来るだろう。だがそうはせず、サンサ自身の承諾を得ようとしている。その愚直さには好感を覚える。
それにこの男は、いい男だ。頭も良いし、気前も良いし、根っこが善い。だからこそ変に避けたりせず、正面から受け止めて考え、断るのだ。
だがゼ・ノパスは泰然としている。
「そうか。そのうちまた尋ねるから、その時の気持ちを聞かせてくれ」
「はい」
「お前は良い女だ。だから好いた。他に想う男がいたとしても、それをひっくるめて所帯を持つ覚悟はある」
それだけ言うと、アイセンを追って去って行った。店を出る前には、サンサの分の支払いまでしている。まめな男だ。
だがサンサは器用ではない。胸に想う相手がありながら、他の男と一緒になるようなことはできない。自身の婚姻もままならぬ身分にはよくあることとも聞くが、信義と誠実を欠くような気がして忌避感を覚えもする。
思わずふうと息を吐くと、またしても後ろから声をかけられた。
「悩み事ですか?」
飛び上がってしまった。
「クロカゲ様……お戻りになっていたんですね」
「はい、ついさっき。街を歩いていたらサンサさんを見つけたので、声を掛けちゃいました」
もう青年と言って差し支えない年齢なのだが、にこにこと笑う姿は無垢な少年のようだ。
出会ってから、一年半が経つ。育ち盛りの年頃だが、彼の風貌には変化がない。髪の毛すら伸びていない。アイセンが言うには、その身に宿す不滅の影響で不老となっているのかも知れないとのことであった。
東方平原としては、今般の状況にあって、歓迎すべきことなのかもしれない。最大戦力たる彼が、不老不死として存在するのだから。だがクロカゲの立場で考えるなら、恐ろしい呪いだ。他人とは全く別の世界に生きることになってしまう。
一人にはさせまい。サンサはそう決意している。
「帝国での生活はいかがでしたか?」
「たぶん悪いものでは無かったと思います。不思議な出会いが多かったですし、目的も果たせましたし。サンサさんはどうでした?」
「毎日練兵です。馬と弓だけでなく、机上の討論や兵站への手配など、やることは山積していましたから」
「冬星の日も練兵ですか?」
「いえ。兵たちにも家族がありますから、その日は休みにします」
一年の中で太陽が最も低くなり、日中の時間が最も短くなる日を冬星の日と呼ぶ。この日を境に日が伸び、日に日に暖かくなる。放牧や農作において、基準になる日の一つだ。
東方平原では、この日に家族や恋人などごく親しい人が集まって食事を共にしたりする。季節の節目であり、結束を確かめる行事だ。
「もし予定がないなら、一緒にいかがですか?」
サンサとクロカゲは、家族ではない。つまりこれは、そういうことだろうか。きっと、そういうことなのだろう。
「え、あ、はい。もちろんです」
サンサは即答していた。
クリスマスみたいなイメージです。




