死
右肘を貫かれながら二矢目を足で弾くと、アサギを左手で抱きしめて後ろへ飛んだ。
迫る三矢を躱し、四矢を弾くが、それぞれの矢はすぐに軌道を変え再びクロカゲを射抜かんとする。続けて、十を超える新たな矢が飛来する。
(神弓の矢か!? もうだめかもしれない……!)
せめてアサギだけでも矢の雨から守ろうと、左腕に力を込めたとき、クロカゲは不意に、強く突き飛ばされた。
「クロカゲ様!」
歩くことさえおぼつかないはずのアサギが、全身全霊の力を込めてクロカゲを突き飛ばした。そしてかばうように、両手を広げて矢の前に身を晒す。
その体に、湿った音を立てて矢が突き刺さっていく。
「アサギ!」
突き飛ばされた勢いのままにもんどりうって起き上がるが、アサギの体をすり抜けた矢がクロカゲの体を貫いていく。右肩、右胸、左肘に矢を受けさらに転倒する。
そしてようやく身を起こしたときには、カ・エルが間近に迫っていた。ほんの十歩ほどの距離は、互いに一足一刀の間合いだ。
「狩人の勇者級スキル“神弓”は、狙ったものを必ず射貫く。避けようとも、弾き返そうともな」
カ・エルが歯を見せて笑う。
「そして一度放ったとしても、標的を変えることができる。あらかじめ射っておけば、ほら、こんな風にな」
その周囲には、無数の矢が舞っている。まるで意思を得たかのように方向を変え、風を切る勢いで飛び続けている。
「さっき、矢筒を空にして見せたのは、このためか……!」
「用意周到だろ? お前を逃がさないようにするためなら、なんだってするさ」
言いながら、腰の短剣を引き抜くと、空いた手で倒れ伏すアサギの髪を掴んだ。
「アサギを殺されたくなければ、その場で命を断て」
激しい憎悪と怒りに、胸が焦げるように熱く痛む。
「ふざけるな! お前のような……お前たちのような卑劣な人間が、のうのうと口をきくな!」
「七勇者や帝国、東方五氏族同盟だって人類のために魔王を殺したんだ。じゃあ俺がシカ族のためにクォン族を殺して、何が悪い」
「悪いに決まっているだろ! だって……」
「だって?」
「だって魔王は、止めなければ皆が死んでいたかもしれない。生きるためには仕方ないじゃないか。でも今は……お前のやっているこれは違う」
そんなクロカゲを鼻で笑うと、カ・エルは、短剣の刃をアサギの首筋に押し当てた。
「生きるために魔王を殺したんだろ? じゃあ、俺は生きるためにお前らを殺していいってことじゃないのか?」
「やめろ! 欲しいのは僕の命だろ!? アサギに手を出す必要はないはずだ!」
クロカゲの心臓を冷たい汗が伝う。互いに一足一刀の距離と言えど、カ・エルは短剣を横に引くだけでアサギの命を奪える。クロカゲがどれだけ素早く動こうとも、間に合わない。
(どうすれば、アサギを救える……?!)
もちろん、付け入る隙はあるはずだ。
クロカゲに怪我を負わせ、さらなる神弓の矢を放てる状態にありながらも、アサギを人質に取っているのは、それだけ確実にクロカゲを亡き者にしたいからであろう。
確かに、クロカゲが一人で全力の逃亡を試みれば、逃げ切れる可能性は、少ないながらもある。それをアサギの命を盾にすることで、防いでいる。
クロカゲが逃げれば、クロカゲは生き残れるかもしれないが、アサギは死ぬ。クロカゲが戦えば、アサギとクロカゲは死ぬ。
(どうする? どうする?!)
正解が存在しない状況に、クロカゲは決断ができない。
「確かにクロカゲの言うとおりだ。お前を殺すことができれば、アサギを殺す必要はない。だが……別に生かす必要もないんだよなあ」
「やめてくれよ! クォン族のみんなもアサギも、関係ないだろう!?」
「関係あるね。アサギやクォン族を生かしておいたら、お前の味方をする。なら、殺すだろ」
「そんなの、ただの悪人のやり方じゃないか!」
「俺が悪人だあ? 俺は、東方平原のため、民のために行動している。だから俺こそが正義だ。俺の深慮遠謀を知りもせず、俺の言うことを聞かないお前が間違っているんだよ。クロカゲ、お前こそが、悪だ」
「そんな……」
クロカゲには、悪事を働いたという覚えはない。けれど、カ・エルはクロカゲこそ悪であるという。いや・カ・エルだけじゃない。七勇者も帝国兵たちも、皆、クロカゲが殺されて当然だという扱いをする。
「じゃあ腕を落とすだけでいいよ。今すぐ右腕を切り落とせ」
「“じゃあ”ってなんだよ。なんで当然のように人を傷つけようとするんだよ!」
「こんなにも譲歩しているのに、何でお前は言うことを聞かないんだ? 何てひどいやつだ、お前はひどい奴だよ、クロカゲ」
カ・エルは、まるで汚いものでも見たかのように顔をしかめる。
それがクロカゲには耐えられない。怒り、悲しみ、屈辱……胸の奥で熱した泥のようなものがぐるぐると渦巻いている。
「なんで……なんで僕たちがこんな目に合わなくちゃいけないんだ……」
クロカゲは、別に答えを期待したわけではない。やりきれない胸の内がこぼれただけだ。
だがカ・エルは、飄々と答えを返した。
「運命だ」
「運命?」
「世の中には、馬鹿だと定められた運命の者がいる。運命が馬鹿を馬鹿たらしめている。お前たちのことだよ」
笑いをこらえるような口調のカ・エルが、後ろへ向かって「持ってこい」と言うと、シカ族の女戦士たちが何かを引きずってきた。
最初のうち、クロカゲはそれが何かわからなった。
だが近づいてくるうちに、人の体だと分かった。
裸の大人の男の死体だった。首を落とされ、衣服を剥がされ、無造作に地面に転がされる様には、人としての尊厳というものがなかった。
「武神だ、神槍だともてはやされていたキンメル殿も、大したことなかったなあ。まあ何日も飲まず食わずで馬に乗っていたんじゃ、仕方がないと思うよ」
クロカゲは、ぞくりと血の気が引くのを感じた。
「カ・エル……貴様っ!」
沸騰した怒りに任せてクロカゲは短剣に手をかけた。
「おっと、いいのか?」
カ・エルはすぐにアサギの首に刃を当てる。
「くっ……!」
「そうなるよなあ」
カ・エルは「ははは」と笑いながら、刃を引いた。
一瞬の間をおいてアサギの首から鮮血がほとばしる。「げふ」と声を上げたアサギの口からも、たらたらと血が流れでる。
「あ、ああっ!」
その光景に、クロカゲは刹那の間、身も心も凍り付いた。その隙を待っていたかのようにカ・エルは全ての矢をクロカゲに向けて飛ばした。
両ひざ、足の甲、太もも、腹と、次々に矢が突き刺さる。
心臓を狙った矢を左腕で防ごうとするのが精いっぱいだが、手のひらを射抜かれてそのまま胴にも幾本もの矢が突き立った。
「親と女を殺されたくらいで取り乱すなよ。そんな腰抜けじゃあ、反逆なんて最初っからむりだったな」
カ・エルが屈託ない笑い声をあげる。
「お前の首を持っていけば、俺は反逆者を討った英雄ってわけだ。じゃあな、死後の幸福を祈ってやる。安らかに死んでくれ」
(ふ……ざ……ける……な……!)
激しい怒りの言葉も、わずかに唇が動くだけで、のどから出てこない。胸に刺さった矢で呼吸すらままならない。
最後の力を振り絞ったクロカゲは、“奪取”した。
その手元には、大きな石が呼び寄せられた。自身のすぐ下にある、橋の要石だ。銀月川に架かる石橋は、下部に複数の曲線的な開口部を持つ。アーチ状の橋は、一番高い位置に備え付けられた要石によって自立することができる。
その要石を“奪取”したのだ。
「お、お前……!」
驚くカ・エルの足元でも、すでに橋の石材が動き始めている。そしてその間にも、クロカゲは“奪取”で橋を破壊し続けている。
カ・エルが慌てて“神弓”の矢を動かしたときには、橋は崩落を始めていた。
(橋が崩落して川に落ちれば、僕の死体は見つからない。せいぜい苦労するがいいさ……)
石材とともに落ちながら、最後にクロカゲが見たのはアサギの亡骸だった。体中を射抜かれ、首から血を流している。白い顔がこちらを向いている。うつろな瞳は、すでにクロカゲを見ていない。
(ごめんね、仇を討ってなかった……)
クロカゲの胸には、怒りより悲しみが去来するが、それを最後まで味わうことすらできなかった。
崩れ落ちる橋の欠片を縫って、矢が飛来した。
相次いで三本の矢が胸を貫き、クロカゲの心臓を破壊した。もはや“無敵”もない。この瞬間、クロカゲは、今度こそ本当に死んだ。
物言わぬ亡骸となったクロカゲは、崩落した石材とともにそのまま落下し、銀月川に沈んでいった。




