皇帝の演説
ガイウスが皇城の儀礼用露台に立つと、庭園を満々と埋める民衆から大きな歓声が上がった。その声に手を挙げて鷹揚に応えながら下を見る。
千三百を数える帝国貴族家は、そのほとんどが人を送り込んでいる。軍人や官僚らも、緊張を漂わせて参集している。商人や他国の大使などは、興味津々といった顔で詰めかけている。遠くまで目を凝らせば、大した役に就いているわけでもない市民や奴隷たちの姿さえ見える。
これから行われる皇帝の演説に大陸中が注目しているのだ。
それもそのはずだろう。
魔王を討伐した後もガイウスは、残党の駆逐に奔走していた。それがついに帝都へと凱旋し、その日のうちに演説を行うというのだ。単なる勝利宣言以上のものを予期している者は多い。
当然にガイウスはそれを知っている。そのように意図して綿密に予定を組み、遂行したからだ。耳目を集め、期待を高め、下民を導く。それが自らの責務だと確信している。
持っていた羊皮紙を、演台に置いた。自らが書き上げ、高級官僚たちの校正を経た原稿だ。構成にも言葉の選択にも遺漏はない。
銀色の髪を後ろへ撫でつけ、皺の刻まれた巌のような顔を正す。齢六十五を数えるが、長身で骨太の体は、いまだに若いころの活力を残している。背筋を伸ばし、堂々と立つ。そして待った。
ガイウスが沈黙したままでいると、歓声は次第に収まっていく。皇帝の言葉を待つ静寂は伝播し、ついには物音ひとつ立たぬ静けさに包まれた。
静謐を確認したガイウスは、口を開いた。
「我々は歴史を作った。どの国も経験したことがない絶対的な勝利だ。魔王を討伐し魔獣をことごとく駆逐した。帝国臣民の努力に感謝する」
声は、遠くまで染みるように響いた。
大きくよく通る声は、得難い才能だ。戦場において指示が通る。演説において人々の心に訴えかけることが出来る。為政者として不可欠な才だ。それを存分に使った。
「余はこれまで、帝国のために戦ってきた。そしてそれは、これからも同じだ。強大で、安全で、繁栄した帝国を実現するまで、休むことはない。だが帝国の平穏に影を落とす者たちがいる。北方諸国である」
帝国の北方には、大きく分けて七つの王国がある。それぞれが更に小さな都市国家などを内包しているので、宗教や政治上の信念はまとまりがなく、ある意味無秩序ともいえる。それゆえ統一国家になることはないのだが、難事には連帯して行動するという習性を持っている。
帝国が兵を差し向けようとすれば西のロムレス王国と同盟をしてみたり、ロムレス王国に食指を伸ばされれば一致団結して防衛をしたり、魔王が現れれば揃って恭順したりと、生き抜くために無節操に行動する。
積極的な害としては、帝国北方に略奪の手を伸ばすこともある。消極的には、魔王軍残党の駆逐に協力をせず、野放しにしたという害もあった。いずれにせよ、帝国に対して従属的でも協力的でもない。
「これを放置すれば、状況は悪くなるばかりだ。国境を北へ押し上げなければならない。北の蛮族どもに、法の支配を与えてやらねばならないのだ。だから我々は――」
一つ溜めて、力強く言い切った。
「北方諸国へ出兵する」
民衆にざわめきが生じる。軍人は功の上げ時だと奮起するだろう。利にさとい商人どもは、短期には食料や兵站で稼ぐ算盤を弾くだろう。先を見据える大商人などは、征服した北方から鉱山資源や宝石、海産物を輸入しようと目論んで今から準備を始めるだろう。
懸念は、一般の市民である。魔王討伐から残党の掃討までを休まず続け、その後すぐに外征をするのだ。税や兵役の負担は間違いなく高まる。となれば反発を招くかもしれない。
しかしそれらを乗り越えた先に、帝国の更なる繁栄がある。
残念なことに愚民の中には、わずかな負担をするだけで将来に大きな利益が生じると、理解できぬ者がある。今現在の財布しか見ることが出来ないのだ。これ導くのも皇帝の責務だろう。
ガイウスはさらに声を張った。
「我々は、戦争を望んでいるわけではない。だが、北方諸国は闘争を選択した。この暴虐な決断をした者は、はっきりとした邪悪だと言える。この邪悪を除くため、我々は、偉大なる正義と聖神の御旗と共に戦うのだ」
神官や信心深い者達が沸く。神の正義を執行することに、この上ない名誉と満足を覚えるのだ。
「北には、邪悪な王たちのみならず、魔王軍の残党も多くいる。北方諸国の善良な人々の平和のためにも、我々は救出作戦を遂行しなければならない」
貴族や市民が歓声を上げる。正義を掲げ弱者を助けるという物語は、万人に受け入れられる大義なのだ。
「敵は卑劣な戦術を用いるだろう。残酷な行いをするだろう。だがそれらは、我々にわずかな損害しか与えられない。我々の正義の鉄槌が奴らを打ち砕くからだ」
軍人たちが呼応するように声を上げる。純軍事的な分野となれば、彼らの腕の見せ所だ。
「周辺諸国の諸侯が、多くの知識人と文化人が、神々が、我々を支持している」
原稿の一行を読み進めるたびに、歓声が上がる。一言を述べるたびに、歓呼の声が高まる。
「この神聖なる我々の大義に疑問を持つ裏切り者は、恥を知れ。正義の執行に携わることに、歓喜を抱くのだ!」
大観衆が割れんばかりの拍手と歓声で応えた。
成功だ。大成功といえる。やはり演説を選択してよかった。人々は、書かれた言葉より語られた言葉を胸に刻む。長々と書き連ねた根拠より、断言を求める。それを与えることに成功したのだ。熱を帯びる人々を前に、ガイウスは感慨を噛み締めた。
嵐のような歓声に包まれ、満足を胸に露台から下がると、すぐに執務室へ入った。予定どおり文武の高官が揃っている。ガイウスが椅子に座ると、その言葉を待つように周囲に集まって来る。
全てが順調である。確実に、着実に、成長と拡大の階段を登っている。その事実に心が満たされる。
「ここまでは予定どおりだな。問題が無ければこのまま北へ戻る。魔法使いの勇者メイプルは余に同伴させる。直ちに召し出せ」
北には魔王軍残党に対処していた兵を残している。そして皇帝が新たな軍勢を整えて合流させ、北方諸国へ侵攻する。そして西と南を睨みつつ、短期で北を落とす。これが今後数年における帝国の方針の大枠である。
これまで綿密に組み上げた予定を調整しつつ消化してきた。問題など出るはずも無い。そう高をくくっていると、一人の老臣がおずおずと進み出た。
「……陛下、大変申し上げにくいのですが、魔法使いの勇者メイプルは、出征が叶いませぬ」
「なぜだ」
その問いに、かすかな苛立ちがこもってしまった。北部への親征中も、書面と使者で情報のやり取りは絶やさなかった。そうしてもたらされた情報の中には、メイプルの動向は含まれていなかった。何があったというのか。
「発狂いたしました」
「発狂だと?」
「はい。つい先日のことです。公衆の面前で魔法を使い貴族にも怪我人がありました。直ちに幽閉したのですが、その後に狂死したと、つい昨日、報告がありました」
「なっ……」
全くの想定外だった。だがこんなところで嘘や冗談を述べるはずがない。ならば本当に魔法使いの勇者は失われたのだろう。では、どうするか。
「ならば、サツマ・ハヤトを呼べ。サツマ藩王国から呼び寄せるとなると、時がかかるな。だが、出発が多少遅れようが止むを得まい」
「は……? サツマ・ハヤトは死にました。これは既に使者を立てて報告差し上げていたはずですが……」
「死んだ?!」
「はい。粗相があり腹を切ったと、サツマ藩王国から報せがあり……」
帝国が擁する最大戦力である勇者のうち、二人もが失われたというのか。
ガイウスは椅子を倒して立ち上がっていた。
ともすると停止しそうになる思考を巡らせ、必死に次善の策を探した。二人については、後で詳細な報告を上げさせればよい。まずは戦力確保が第一だ。
「神官の勇者ビィルを呼べ。大至急だ」
ガイウスの命を受けて、文官の一人が急いで室外へと走った。
神官の勇者ビィルは故郷である神聖七星公国に戻っている。属領とはいえ、呼び出すには時間が必要だ。進発の日を変えて再度調整をせねばならぬ。手間と時間がかかるが、仕方あるまい。
そんな風に考えているうちに、先ほどの文官が息せき切って戻ってきた。
「陛下、たった今、急使がありました。神官の勇者ビィルが兵を率いて帝都へ向かっているとのことです」
「なんと。でかした!」
メイプルやハヤトの訃報を耳にして独自に動いたのだろうか。理由は分からぬが、この際は良い。既に出発しているなら、数日のうちに到着するだろう。予定の変更も最小限で済む。
思わず笑みがこぼれた。だが文官の顔は奇妙にゆがんだままだ。
「へ……陛下、違うのです」
「どういうことだ?」
文官は僅かに言いよどんだが、ついに言葉を飾らずに言った。
「反乱です。皇帝を討つとして、挙兵したのです」
「なんだと?!」
そして皇帝の知らぬ間に、東方平原でも兵が集っていた。
大戦乱の幕が、切って落とされたのである。
5章終わりです。
次章は戦争です。今まで登場した主要な人たちも、次々と命を落とすかもです。
でもその前に幕間がちょっとだけ入ります。




