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この復讐は、正義だ  作者: 安達ちなお
5章 魔法使いへの復讐、魔王からの復讐

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イオニア邸事件 終結

「効きの悪い変性系ではなく幻惑系を使ったのに、おかしいなあ」


 ヘポヨッチが、不思議そうに首をかしげている。視線の先では、停止した人々を抜けてアレクサンドラがおずおずと歩み寄って来ている。彼女だけが健在である理由は、魔王でさえも判然としないようだ。

 だが、メイプルにとってそんなことはどうでもいい。今はもう、何であってもすがるしかない。アレクサンドラが二つの極悪な脅威を排除できるとは思わない。だが砂粒ほどの可能性であっても、掴まねばむなしく死ぬだけだ。


「助けて……助けてよ、サン……」


 メイプルは、自分が彼女を殺そうとしたことも、変性魔法を仕掛けたことも、全て棚に上げて助けを請うた。恥知らずと罵られるだろうか。いや、それでもこのお人好しなら、味方をしてくれるかもしれない。

 そんな無恥な賭けに、メイプルは勝った。


「皆さんのお話を聞いていて、事情が飲み込めたような気がします。メイプルさんをどうにかするの……待っていただけませんか?」


 アレクサンドラが声を震わせながらも、毅然として言った。

 だがクロカゲの答えは、固く短い。


「嫌だ」


 復讐に燃える少年は、メイプルに向けるような鋭い灼熱の目つきで、震える少女を見ている。だがアレクサンドラもひるまない。


「で、でも……さっきのお話には嘘がありました。私に変性魔法を使った犯人は、メイプルさんではなく、セネンセさんのはずです。だって、セネンセさん本人がおっしゃっていたのを聞きましたもん」


「そうだね。それで?」


「だ、だから、こんなことはやめてください。たとえ恨みがあろうとも、悪事を用いて報復すれば、すなわち悪人です。そこに正義はありません」


 震える声でアレクサンドラが言い切った直後、メイプルは背筋に冷たいものが走るのを感じた。原因は言わずもがな、クロカゲだ。


「つまりアレクサンドラさんは、復讐を容認しないお考えなんですね。泣き寝入りをしろと」


 口調こそ落ち着いているが、その内には爛々とした殺意を秘めている。憤怒や憎悪を押しとどめている者の声だ。この男の纏う空気だけで、メイプルの舌の根は凍り付いてしまった。

 何かを言えば殺される。いや、何を言おうとも殺すという明確な意思が見える。

 だがアレクサンドラは、気づいていないのか、気づいていても臆する心を拭い去ったのか、敢然として言った。


「損や不満を全部飲み込めとは言いません……でも、復讐なんて野蛮です。野生の正義です」

「野蛮だ野生だと言われようと、僕は僕の正義を掴み取るさ」


「血塗られた手では、幸せを掴むことはできません。こんなこと、やめませんか?」

「復讐をすべきか、すべきでないか、そこに疑問はないよ。この女は殺す」


「でも……!」


 言い争う二人を止めたのは、ヘポヨッチの笑い声だった。


「あははっははははっ」


 爽やかに軽やかに笑いながら、二人の間に割って入る。


「アレクサンドラとクロカゲの対決か。まったく予想していなかった。いいね、存分におやりよ。面白い見世物だ。あは、あは」


 まるで狂人のように体をくねらせている。それを見たアレクサンドラは、握りこぶしを振りながら頬を膨らませる。


「もう、面白がらないでくださいよ。復讐なんてしても、ちっともいいことないんですからっ。復讐には正義なんてありません。むしろ平穏無事こそ大いなる正義ですよ」


 やめろ、やめろ。それ以上言うな。

 アレクサンドラが何かを言うたびに、クロカゲの孕む感情が重く大きく、そして熱くなっていくのを感じる。

 メイプルの頬を汗が伝った。頭頂部から足の先まで、全ての穴から汗が噴き出て来る。息も絶え絶えのメイプルの視線の先では、道化師が相変わらず笑っている。


「ふふ、二人ともずいぶんと熱心だ。自分の信念に反することは許せない。自らの信奉する正しきものを、万人が受け入れるべきだと考えている。まさに正義中毒だ」


 クロカゲが、口を開いた。鉄塊のように重い言葉を吐き出す。


「所詮は高みの見物を気取る道化師か。まるで神か何かのように、人の信念を……命を茶化して遊ぼうというのか」


「いや、そこまで高尚の振りをするつもりはないさ。うん、ならばこのヘポヨッチの感想を漏らそうか」


 そう言って道化師は、唐突に神妙な顔を作った。


「この世に正義も悪も無い。皆が欲望のままに生きるだけだ。その発露が、皇帝などと名乗る小僧の行いであるし、クロカゲの行いでもある。欲の結果、害を受ける者はそれを悪と呼び、利を得る者が正義という名を与える。それだけさ。正義や悪という言葉を使う者は、未熟者か詐欺師だと断言できる」


「じゃあ、この世には正義なんて無いんでしょうか? いや、あったとしても頼るべきではないということですか?」


 アレクサンドラの問いに、ヘポヨッチがゆっくりとうなずく。


「弱き者、汝の名は正義……とね。だからね、戯れなんだよ。誰もが戯れに殺すし、戯れに生かすんだ」


 そこで急に笑みを浮かべたヘポヨッチが、アレクサンドラの手を取った。


「君に約束しよう。余はこの人間メイプルを殺すようなことはしない」


「ほ、本当ですか?」


「ああ、約束だ。その代りに君は、ペイライエウスが将来に渡って余とクロカゲの行いを邪魔しないと誓ってくれまいか? ペイライエウスという魔物は、時と場合によっては、余の魔法さえも消し去ってしまう。実に恐るべき脅威だ。これを排除できるならば、安い支払いだ」


「えっと。よく分からないですけれど、メイプルさんの命を奪わないと約束してくれるなら、私はその契約に乗ります。あ、でも、それだと他の勇者の方へは復讐をするということですか?」


「いや、七勇者への復讐は魔法使いの勇者を最後とする。余は以後、手を引こう。書面で約束しても構わんよ」


 さらりと言った。そしてヘポヨッチはどこからか動物皮らしき紙を取り出すと、金釘を打ったような歪な字で先ほど口にした内容をしたため、名を記した。


「さ、どうぞ」


 促されるままにアレクサンドラもペンを受け取り、署名をする。そしてヘポヨッチが紙に金粉や銀糸を使って魔術的装飾を施していく。


 ――もしかすると、本当に助かるかもしれない。


 メイプルの頭に、そんな希望が生まれた。だが、この約束ではだめだ。まだ足りない。焦燥に心を焼かれるが、ここで下手に口を出して台無しにするわけにもいかない。メイプルは歯を食いしばって必死に耐えた。

 そんなメイプルを横目に見たヘポヨッチが、にやりと笑った。


「でも殺さないように気を付けるけれど、過失は許してほしいところだな。気まぐれに大墳墓を崩落させたら、たまたまその辺にいた勇者が巻き込まれて死んでも、それはこの約束に含まないでくれよ」


「そもそもそんな危ないこと、しないでくださいよ」


「前向きに善処する方向で検討すると約束しよう。さて、これで契約の書面が出来た。これは神や悪魔さえ縛る魔法的なものだ。この世を構成する理となったと言っても良い」


「ええっ?」


「即席とはいえ、このヘポヨッチが構築した呪術的作動体だ。その程度は効力を発揮するさ」


 大仰に言いながらも、契約を記した紙を気安くひらひらと弄んでいる。施された金銀の細工や緻密にかきこまれた呪文が、書面を美しく彩っている。


「す、すごいですね。その装飾も綺麗です」


「金や銀は神的な魔法との相性が良いからね、いっぱい使うさ」


 最早、二人は暢気な雰囲気にさえ至っている。


(それだけじゃ、足りないのよ! 気付け、気付きなさいよっ!)


 メイプルの魂の慟哭が伝わったのかは分からない。だがアレクサンドラが思いついたように言った。


「あ、でも殺さないからと言ってひどいことはやめてくださいね。痛かったり苦しかったり、そういうことをわざとするのは駄目ですよ」


(それだ!)


 メイプルは内心で快哉を叫んだ。単に生命を保持するだけでは、足りない。報復のためにあえて相手を生かして拷問を加えるようなことも、歴史上では幾度も行われている。ここまで約束されて初めて、メイプルの身は安全になるのだ。

 ヘポヨッチはしばらく考えるようなそぶりを見せたが、やがて屈託なくうなずいた。


「もう書面が出来上がってしまっているから、加筆は難しい。口約束になる。だがこのヘポヨッチが約束しよう。この人間に苦痛を与えるようなことはしない」


「本当ですか? 約束ですよ」


「うむ、約束だ」


 ――助かった。


 魔王とそれに準じる者を相手に、言葉だけでメイプルを救った。アレクサンドラは本当に素晴らしい偉人なのかも知れない。彼女なら、今までの自分に対する無礼を赦免してやっても良いかもしれない。


「さて」


 やおらヘポヨッチが呟くと、いつの間にか周りが動き出していた。人々の不安げなざわめきに包まれ、駆けまわる衛兵らの足音が響く大広間で、ニカルノが大きな声で指示している。


「この女を連れていけ、厳重に幽閉しろ!」


 背にのしかかる男たちによって引き立てられたメイプルは、身動きのとれぬままに運ばれた。

 ちらりと見れば、クロカゲは「火除け護符がありましたので」と言いながら周りに無事を伝えている。アレクサンドラは、青ざめた顔に生気が戻っている。こちらを見て、わずかにほほ笑んだような気がした。ヘポヨッチの姿は、いつの間にか消えていた。メイプルの目をもってしても、痕跡すら見つけられない。

 だがいずれにしても、生き残った。


「うふふ、あははっは」


 いつの間にか笑い出していた。皆が気味悪そうにこちらを見るが、どうでもよかった。絶体絶命の状況で生き残ったのだ。生きてさえいれば、どうにでもなる。いくらでも巻き返せる。その自信も実力もあるのだ。

 メイプルはそのまま帝都郊外の石塔に幽閉された。


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