イオニア邸事件 後編
「ここは僕に任せてもらえませんか? メイプルさんに怪しいところがあれば、僕が責任を持って断罪しますから」
クロカゲが前に出ると、ニカルノは黙したまま頷いた。王太子という身分を懸念してのことだろうか。それともほかに理由があるのだろうか。
分からないが、メイプルにとってはまたと無い好機だ。
「ありがとうございます。本当にありがとうございます、王太子殿下!」
両手でクロカゲの手を握り込み、鼻がぶつからんばかりに顔を寄せた。
クロカゲの存在は、一縷の望みだった。にわかに射した光明だ。逃す手はない。いや、逃してなるものか。ここを起点に逆転攻勢をかけてやる。
必死に喉から声を絞り出した。
「今この場で、とてつもない陰謀が行われておりますわ。きっと、この魔法使いの勇者たる私を排除し、帝国を弱体化させようという敵国の企みに違いありませんわ」
「わあ、それは恐ろしいですね」
「そうなのです、世にも恐ろしい謀略ですわ。そもそも執事は、イオニア家に強く請われて仕方なく譲り渡したのです。人柄にも仕事ぶりにも信頼のおける十年来の忠臣でしたので本当に痛手でしたわ。それでもイオニア家だからと損を呑んで要求を容れたというのに、この始末。本当に、本当にひどい……」
「それはひどいですね」
「分かっていただけますかっ?」
「もちろんですよ。イオス王国での件はいかがですか?」
「ああっ。当然ながらそれもひどい捏造と陰謀でございますわ。そもそもあの書簡官が私に襲い掛かってきたのです。ですから心苦しいところですが、やむなく応戦したまでのこと。それも、周囲に被害の及ばぬよう、細心の注意と適切な対応を心がけておりました」
メイプルは語った。もちろん自分にとって都合の良い物語だ。不利な情報は隠し、有利な材料は誇張した。メイプルを責め立てているあれもこれも、全ては邪悪な嘘である。自分は雪のように真っ白な潔白である。純真にして無垢である。
そんな話をクロカゲは聞いてくれる。耳を貸してくれている。もしかすると本当に助かるかもしれない。そんな思いが湧いてきたところで、クロカゲがだしぬけに言った。
「ところでメイプルさん、僕の姿を見てください」
「へ」
「怠るな。目を凝らせ」
空気が変わった。先ほどまで弛緩しきった雰囲気を纏っていた王太子が、まるで牙を剥き出しに迫る魔獣のような気配を漂わせている。戦場の匂いを嗅いだような錯覚さえ感じた。
いや、戦いを思い出したのは空気の豹変だけではない。先ほどの言葉だ。
魔王を討伐する戦いの途上では、多くの死線を潜った。七人の勇者をもってしても、首の皮一枚で繋がるような戦いも多くあった。一瞬のゆるみがあれば命を落としていた場面などは、枚挙に暇がない。
野営をしているところを襲われたこともある。宿を取った町に魔王配下の暗殺者が忍び込んだこともある。足を踏み入れた森全体に幻術が施されていたこともあった。
そんな戦いの日々で、覇王の勇者たる皇帝ガイウスは、口癖のように言っていた。「怠るな。目を凝らせ」と。
勇者級ともなれば、身体能力や魔力だけでなく知覚や抵抗力も抜群に優れる。生半可な術ならば容易く看破できる。いや、例え勇者級に匹敵する相手が偽装や隠ぺいをしようとしても、打ち破ることが可能だ。油断さえしなければ。
メイプルは瞳に魔力を籠めた。
「今は盗賊の偽装しか使っていない。お前なら見えるだろう?」
クロカゲのつぶやきは、本当だった。王太子の姿が滲むように揺らぐと、そこにいたのは、王太子と同じ名を持つ、殺したはずのかつての仲間だった。
「クロカゲ……なんで? 死んだはずじゃ……」
「死んだ? 違うだろう。お前たちが殺したんだ。欲に駆られて殺したんだ」
耳を打つその声に、思わず体が震えた。憎しみと表現するには生ぬるいほどの重く黒い感情が、目に見えるようだった。
「な、なにを言って……」
「この会話は、僕たち以外に聞こえていない。安心して白状するといいよ」
盗賊職には自分の発する音を抑える技がある。あるいは狩人職には、お互いにしか聞こえぬように会話をする技もある。そういった系統の技を使っているのだろうか。
いったいなぜ。何が起きているのか。目前の男は何を言っているのか。
この男の真の姿は、勇者級であるメイプルにしか見えていない。その声はメイプルにしか聞こえていない。だが周囲には貴族や文武の高官をはじめとする大勢がいる。そんな状況を作り出して、何をしようというのか。
何が何やら分からないほどに心が乱れ、考えが入り混じっている。混乱するメイプルに答えが提示された。
「僕は魔王の不滅を奪取した。その不滅は、今も僕の中にある。殺されても死にはしないさ」
「え? な? なにを……?」
「それに狩人の神弓や戦士の必殺も奪った。ここでお前から魔法を奪えば、あとは皇帝だけだ」
メイプルはクロカゲの手を握っていたはずだった。が、いつの間にかメイプルの手が掴まれていた。その手に力がこもり、メイプルの細い指が悲鳴を上げる。
「ま、まさか、本当に? 本物? クロカゲなの?」
盗賊職の奪取は、その名のとおり対象の持つものを奪い取る。勇者級ともなれば、持ち物だけでなく、性質や技といった形のないものさえも奪い去ってしまう。
だからこそ、魔王の不滅さえも奪取できたのだ。もし本当に奪ったものを自在に使えるのであれば、確かに不滅を持つクロカゲが死ぬことは無いだろう。かつての魔王のように、死んでも蘇るはずだ。
では目の前の男は、本当に盗賊の勇者であるクロカゲなのだ。
ならば、奪取も使えるはずだ。魔王の不滅を奪った。神弓も盗んだ。必殺も取り上げた。ならばメイプルの持つ勇者級魔法使い固有の技である“魔法”とて例外ではないはずだ。
「やめろぉ!」
力いっぱいに手を引くが、振り解けない。そうしている間にも、異変は始まった。体から力が抜けていく。ひび割れた瓶から葡萄酒がにじみ出るように、魔力が抜けていく。まるで少しずつ魂を奪われているかのようだ。
明確な攻撃を受けて、精神が戦闘態勢へと切り替わった。目の前の男は、反逆者である盗賊の勇者クロカゲだ。いや、既に魔王の不滅を手に入れている以上、新たな魔王と言っても差支えは無い。
敵だ。
メイプルの敵であり、人類の敵だ。排除せねばならない。
「やめろぉぉ‼」
叫びながら炎魔法を放った。轟と音を立ててクロカゲが燃え上がる。その瞬間、メイプルを縛っていた静音の技が解けたのを感じた。
ようやく声が皆に届く。助けを求められる。希望が胸に沸いたその時、背中に強い衝撃を感じた。イオニア家の衛兵たちだ。
「魔法使いの勇者が乱心したぞ!」
ニカルノの叫び声が耳に飛び込むやいなや、何人もの衛兵に体当たりをされた。足を掴まれ腕をねじ上げられる。瞬く間に抑え込まれ、頭を床にこすりつけられていた。
「止めないで! あいつは殺さなきゃいけないのよ!」
必死にもがくも、さすがにイオニア家の兵たちだ。巧みに手足を拘束されている。背中には何人にものしかかられ身動きが取れない。床ばかりが映るメイプルの視界に、高価な水牛革の靴が入ってきた。ニカルノだ。
「発狂したか。いや、賊がその正体を現したというべきか」
「違います! あの男を殺さねば、帝国が危ういのです。あれは……もはや魔王ですわ。今すぐとどめを!」
這いつくばりながらも必死に叫ぶが、ニカルノから返ってきたのは、冷酷な視線だけだった。上に乗った衛兵たちはびくとも動かない。大広間に居並ぶ者たちも、距離を置いてメイプルたちを取り巻いている。
多くの目がこちらを捉える。恐怖、侮蔑、怒り、驚き……様々な感情がぶつかってくるが、どれ一つとってみてもメイプルの味方ではない。
「私、何も悪いことをしたわけじゃないのよ!」
叫びは誰にも届かない。人々の忌み嫌うような視線が、心をえぐっていく。
メイプルの心痛に塩を塗るように、冷たく硬質な声が響いた。
「味方がいないって、つらいでしょ。僕もそうだったよ」
クロカゲだ。いまだにめらめらと燃え上がりながらも、平然として立ち上がっている。目を凝らして見れば、メイプルの炎が肌を焼くそばから、摩訶不思議な力で再生している。確かに魔王の持つ不滅に似ている。
「皆、あれを見て! 明らかに異常でしょう?! あの男こそが討つべき相手なのよ!」
何度目か知れない叫び声をあげるも、反応する者はいない。いや、いつの間にか大広間は静寂に包まれていた。メイプルを押さえつける衛兵たちも、力こそ抜いてはいないが、まるで口を封じられたかのように押し黙っている。
頬を床にこすりながら周りを見回すと、その場にいる誰もが微動だにしていない。呆けたような目で、ただ息をする置物になっている。
「何? 何なの? 何が起きてるのよ?!」
「うふ。種明かしをしてあげようか」
そう言って進み出たのはセネンセだったが、その声はいつもの朗々として艶のあるものでは無い。揶揄と侮蔑を固めたような嫌らしい声だ。
「まあ、まずこれはもういいだろう」
セネンセの首がぼとりと落ちた。メイプルの眼前にごろりと転がってきたそれは傷だらけで、瞼と唇は閉じたままに縫い合わされている。
「ひっ」
驚くメイプルの前に座り込み、生首をおもちゃのようにいじる者があった。見間違えるはずもない。不死の魔王ヘポヨッチだ。
「え、あ、なな、何で?! なんでお前が? なんでクロカゲが? 一体何なのよぉっ!」
「質問が多いなあ。でも答えてあげよう。その方が楽しいからね」
そう言ってヘポヨッチは、人差し指を立てた。
「まず今の状況。貴様以外に感知能力を著しく下げる魔法を使っている。何も見えないし聞こえない。考えることも出来ないし、今何が起きているかも分からない。余が魔法を解いた瞬間に、我を取り戻す。まるで時を止めるかのような魔法だ。すごいだろう? 恐れ敬え、矮小なる人間よ」
信じられるわけがない。今聞いた内容を魔法で実現するとなれば、一人の人間に行使するだけでも究極に難度が高いだろう。それを一度に百人以上に使い、わずかのほころびも無い。
貴族や高位の兵の中には抵抗に優れた者もいたはずだろう。魔法に適正の高い者もいただろう。それらを漏らさず魔法の支配下に置く。
出来るわけがない。
だがヘポヨッチが呵々と笑うも、誰一人反応を示さない。まるで時を止めたように、動かない。
本当にそうなのか。メイプルは自分が魔法の天才だと確信していた。勇者級にまでたどり着いた類まれなる実力の持ち主であると知っていたつもりだった。だが、この現実を前にすれば、自分が本当に矮小であると理解せざるを得なかった。
恐ろしさに、詳しさに、涙がにじむ。
そんなメイプルを見て笑みを深めたヘポヨッチは、指を二本立てた。
「さて二つ目だ。不死たる余は死んでいなかった。そして余から不滅を奪ったクロカゲも、死なない。そして二人とも復讐の炎を燃やしている。さて、復讐されるのは誰だろうか? 分かるかい?」
「い、いや。いやよ! なんで私がっ!」
メイプルは泣いていた。
すべてを奪われ、蹂躙され、笑われながら殺されるのだと悟ったからだ。涙がぽろぽろと零れる。
こんなひどい話は、無い。なんで自分がこんな目に遭わなければいけないんだ。今まで必死で生きて来たのに。なんで。
「誰かっ……助けてよぅ……」
メイプルが呟くと、応える者があった。
「あ、あの~。ちょっと、いいですか?」
とぼけた声を上げたのは、アレクサンドラだった。




