悪い奴ほどよく眠る
夜空に美しい星々が輝いている。
「さてと」
崩壊した城壁の瓦礫をどけて、セネンセが立ち上がった。胸に大きな穴を開けたまま、悠々と周囲を見回す。
王都にひしめいていた亡者の姿は、見当たらない。兵の焚くかがり火が辺りをものものしく照らしているが、混乱は既に過ぎ去っていた。
日暮れを前に退かせたからだ。亡者の大群が、潮が引くように遠ざかる様子には、きっと皆が驚いたことだろう。一つ頷いたセネンセが胸を撫でると、傷は跡形もなく塞がった。
「星射抜きにしては随分と貧弱でいらっしゃる。まあ、勇者といえども“魔法使い”とは呼べぬ人間ごときでは、ね」
見上げると、空に浮かぶ月には黒い穴がぽっかりと空いている。かつて強大な魔法使いが、自ら編み出した破壊の魔法で月を射抜いたという伝説がある。
しかしメイプルの放った星射抜きでは、せいぜい山を貫く程度だろう。セネンセから見れば、まったく未熟な魔法だった。
「これであの未熟者は私が死んだと勘違いをし、アレクサンドラ様は阿呆となる。そして不戦の約束もあり、イオス王国は安泰となるわけですが……」
おおよそが目論見通りになっている。だが全くの想定外が一つあった。大墳墓の崩壊だ。
「あれをやった者だけは、絶対に許さない。見つけ出して魔力の贄にしてやるっ!」
憎しみと憤怒を固めた言葉を吐き出した。周りには誰もいない。ただの独り言だ。だが、応える者があった。
「ああ、ご免よ。これで壊した大墳墓は二つ目だが、まあ、仏の顔でもう一回くらいは勘弁してくれ給えよ」
不意のことに勢いよく振り向くと、そこには旧知の魔法使いがいた。
「貴様、ヘポヨッチ!? またお前かっ!」
殺意を込めて睨むと、その眼力に魔力が乗り、足元では草がしおれ土が腐っていく。だがヘポヨッチは平然として、にたりにたりと笑っている。
「さすが不死王セネンセだ。その怒りようでは、きっと大墳墓を使って上手いことやっていたのだろう?」
「ええ。優れた人間を殺し、復活の処理をして大墳墓内で飼い殺し、その魔力と怨念を養分としていたのです。私の長年の努力と英知の結晶として、無限にも届き得る魔力の源を作り上げたのですが……貴様に台無しにされたっ!」
「それは申し訳ないなあ、本当に反省しているよ。だが、なんで亡者を退かせた? これを機にイオス王国を平らげてしまえばよかっただろうに」
この無思慮な言葉に、セネンセは怒りを通り越して呆れる思いだった。
「何を馬鹿なことを。私にはこのイオス王国を守り抜きたいという思いが……信念があるのです。そのためならば、何でもする。他者の身命を賭すことも厭いません」
「それはなまた、なんでだ? 余やお前のような魔法の研究にすべてを費やす“魔法使い”という異常者は、そんな他所事に気を配るわけがないだろう?」
「決まっているでしょう。魔法研究のためですよ。人を使役し、日々の生活を成立させ、文物や呪術素材を収集し、大規模な実験をする。それには国という機構が、実に使い勝手が良い道具となる。だからこそ王を魔法で支配し、権力を手に入れ、安穏と研究をできる状況を作った。この環境を守ることこそが、私の研究を進める手段だったのです。これをご理解いただけないか」
「そうだな、実に面倒くさそうだ」
セネンセが持論を語って聞かせても、ヘポヨッチは興味なさそうに鼻の頭をかいている。
「……そういえばお前は魔王と呼ばれた時代ですら、他者を使役することを面倒くさがっていましたね。ですが、これこそが魔道の追及に最も効率的な手法なのですよ。紙や墨を用意するにも手間がかかるし、住み家を手入れするにも人手がいる。ならば他人を使えばいい。馬車が地面から生えてくるような便利な魔法なんて無いのだから、全てを他人に用意させればよい。そういう算術です」
「うん、確かに一度研究に手を着けると、飯だの掃除だのは面倒で気にしておれんな。でも誰かをあれこれと使う方がもっと面倒だろう」
この生活能力皆無の阿呆めが。簡単な算盤すら弾けないのか。たとえ先に十の労力を費やしても、後に千になって帰って来るなら、ずっと効果的で効率的だ。最小の費えで最大の効果を企図するのは、魔法も同じだろう。それが分からぬ愚か者めが。
そんな憤怒と侮蔑が胸に渦巻く。だが仕方ない。自分こそが魔法使いの中でも特異な存在で、特に抜きんでて優れた綺羅星なのだから。
「まあ、あなたには分からないでしょうね。書簡官として王国を裏から牛耳って四百年になりますが、その間、魔道の追求と並行して王族を操り高官を掣肘し、国を富ませる一方で戦乱を遠ざけてきた。その手腕は私だからこそ発揮されたものでしょう」
「相変わらずぺらぺらと楽しそうに話すなあ。魔法使いと言えば、無垢で世間知らずな引きこもりばかりなのに。珍しいよ、お前は」
「そうでしょうとも。“魔法使い”は社交も実務も苦手な者ばかりですからね。視野狭窄になって目の前の研究に没頭するばかり。まあ、そうでなければ人の命を超越し数百年を生きる魔法使いにはなれませんけれどね」
「それはそうだ」
「今回もお前さえいなければ収支は合うはずだったのです。帝国との戦乱の予兆は遠のいた。魔法使いの勇者とやらは初学者に過ぎぬことが分かったし、十分に出し抜いた。帝国における最大の脅威はペイライエウスだが、変性魔法で既に間抜けになっている。向後百年ほどは安穏と研究に没頭できるはずだった。貴様さえいなければっ!」
大墳墓を再建し、魔力の養分たる亡者を蓄えるには途方もない時間と金と労力が要る。二万から三万人を十年以上働かせねばならないだろう。デナリ金貨に換算すれば労働者の費用だけでも50万枚は下らない。くそったれが。
少し考えただけでも、今回の損失の大きさが見えて来る。もうこうなっては自分の明晰な頭脳すら恨めしい。セネンセが歯噛みをしていると、ヘポヨッチが愉快そうにくすくすと笑いだした。
「……何か可笑しいことがありましたか?」
「いやなに、ちょっと勘違いがあるようだったのでね。ほら、得意の変性魔法のくだりさ」
ペイライエウスの女に変性魔法を使った。それのどこにおかしみがあるというのだ。
苛立ちから睨みつけると、今度はヘポヨッチが蝶々と語りだす番だった。
「さっき直接に見たんだけれどもね、あの娘は、実に健康なものだったよ。そもそも余の変性魔法さえ、彼女にかかればその効力が取り消される。いわんや貴様ごときの魔法など、当初から存在しなかったものと同じだ」
「しかし、彼女は明らかに変調をきたしていました。あれは明らかに変性魔法の発現の兆候……」
「ああ、そうだろうよ。慣れぬ船旅と灼熱の地への長期の滞在。それに昼夜を問わぬ激務に神経をすり減らす交渉。随分と疲労を蓄積させていたようだね」
「つまり、ただ疲れが出ていただけ……?」
「うん、そう」
「そんな、馬鹿なっ!」
このイオス王国に根を下ろして千二百年になる。遥かな時の中で、常に研究を怠らず、魔力を高め、究極の魔法使いたらんと努力してきた。書簡官という地位を得てからの四百年は、真に充実した魔道楽土を築き研究に没頭してきた。だのに周到に組み上げた魔法が、何の備えも無い小娘に通用しないというのか。
ヘポヨッチがこちらを見て、楽しそうに笑っている。
「人が損害を被り、衝撃を受けるさまがそんなに面白いですかっ」
「まあ、それなりに」
「品性邪悪な魔人めが!」
悪態を吐くと、飛翔魔法を使った。砂塵を巻き上げて高度を執ると、海へと方向を変えた。
帝国の使節団は、王都の混乱を避けるために船で洋上に出ている。もうこうなったら、船ごと沈めてやる。
事故に見えれば、恐らく帝国と王国の軋轢には発展しないだろう。だが本当はこの手は避けたかった。イオス王国と交渉を持てば事故が増えるなどという風聞が立った時点で致命的だからだ。外交上の失点は平穏を揺るがす一石になりかねない。
だが、今回ばかりは、やる。
ペイライエウスはダメなのだ。ペイライエウスだけは、野放しにしてはならぬのだ。
銀月帝国の始まりは七百年前、ほんの小さな都市国家から始まった。勇者ばかりを輩出する銀髪の一族が首班となり、それを支える異常に求心力のある金髪の一族が並び立った時、爆発的に勢力を拡大したのだ。それが今の皇族であり、ペイライエウスだった。
他から見れば、皇族こそが恐ろしかっただろう。だがセネンセからすれば、ペイライエウスこそが危険の元凶であった。この一族が関わると、何故か全ての事態が好転するのだ。人に好かれ、時に恵まれ、国は富み勢力を拡大してしまう。
アレクサンドラは確かにペイライエウスだった。
イオス王国を訪れるや否や、居場所を作り上げ味方を増やした。本来であれば王の不在で追い返すはずであったのに、あれよという間に両国の橋渡しをした。
このまま放っておけば、再びペイライエウスが勢いを取り戻すだろう。イオス王国が、セネンセの楽園が失われるかもしれない。
ならばもう実力行使だ。
帝国の船団は、イオス王国を遥か東へ進んだところで、岸壁近くに投錨していた。おそらく夜明けを待ってサツマ藩王国を経由して帰国するのだろう。だがその目論見は果たせぬままに海の藻屑となってもらう。
「さようなら、ペイライエウスよ」
セネンセは長い時を生きる中で、様々な者から魔力や生命力、熱量、活力などの力を奪ってきた。
これを応用することで、対象の全ての力を奪う攻撃魔法を完成させた。
奪われた対象は、一切を失う。温度はこれ以下が無いという最下限まで低下し、一切の熱量が消失し、あらゆる抵抗力さえ消滅する。そこに顕現するのは、何者も生存することのできない、死の世界だ。
出力を比較すれば、星射抜きなどには及ばない。だが、死の呪言や炎熱系の魔法などと違い、確実に相手を死に至らしめる極めて高度な技だ。ただ炎を浴びせるような下劣な術とは違う。少なくとも抵抗などは不可能だ。魔法的に、そういう構造になっている。
「神霊たちよ、飄々と誄言せよ、疾く凍て謹みなさい。さて、ペイライエウスよ、氷結の世界をお楽しみください」
指先から膨大な魔力が迸り、一面を白の世界に変える。……はずだった。
「なぜ、何も起きない?!」
魔法は正しく発動した。違和感はない。だが失敗している。何故だ。
「簡単な算術だよ」
ヘポヨッチが笑っていた。空に足を向けて中空で真直ぐに立つ道化師が、喜劇でも見るように笑っている。セネンセは自身の持てる最高の速度の飛翔魔法を使った。追いつけるはずがない。いや、そもそもこの場には自分以外の魔法的な気配は無かった。なぜこいつがここにいるのか。
そんな疑問が沸いてきたが、口を突いて出たのは怒りだった。
「何が算術かっ! 何がおかしいというのかっ! 貴様は一体、何をしたっ!」
「十から十を減じても、そこへ十を加えれば十となる。お前が奪った熱の分だけ、余が加えただけだ」
容易く言われた。激昂に値する暴言だ。
「そんなことをできるはずがない。不可能だ!」
どの程度の範囲からどの程度の熱量を奪うのか、まずそれを覚知することが出来るわけがない。そして全く同等の熱量を付与する魔法を即座に練り上げて行使することなど、なし得るはずがない。
セネンセが使った魔法は、気温だけでなく体温すら奪う魔法なのだ。そして人は体温の二割ほどが上がるか下がるだけで死ぬ。それは炎熱や氷結で上下する温度に比べれば、ほんの些細な誤差に過ぎない。わずかでも加算が足りなければ死に、ほんの少し加算が多すぎても死ぬのだ。
そんな状況だというのに、初見の魔法を解析し、効果の範囲と程度を観測しながら、これを可能とする精緻な魔法制御を要する術を即座に作り上げたというのか。
ありえるはずがない。
「だが出来ているだろう。物の理を利用した魔法を大層有難がっているが、滑稽だね。あの程度とは。余が手取り足取りで見本を見せてあげようか?」
あざ笑いを浴びせられ、最早我慢はならなかった。自らの考えこそが至高であると確信しているのが魔法使いという存在だ。自らの存在こそが究極であろうとするのが、魔法使いというものの生態だ。それを否定されれば、我慢など出来ようはずもない。
「古くからの知己である魔法使いとしての誼で見逃してあげようと思っていましたが、邪魔をするならば排除させていただきますよ。路傍の石であっても、気に障れば蹴飛ばされると知りなさい」
言いながらも既に魔力を練り上げ、魔法を編み上げている。氷結系が聞かぬなら、炎熱系だ。それも勇者などと自称する未熟者が使っていた燃焼するだけの魔法ではない。
熱量を加え続けると、物質は固体から液体となり気体となる。そこへ更に熱量を投じ続けると、雷となり太陽の如き灼熱に達する。
そこまで至ると制御すら困難だが、セネンセはその技術を確立している。辺り一面を消滅させるという確信を乗せた魔法が手を離れる――その直前にヘポヨッチが小さく呟いた。
「星落し」
何かがセネンセの体を貫いたような感覚があった。その瞬間、セネンセの体は音を超え、光に迫る速度で地面に衝突した。岩礁に大穴を開け、その底でセネンセは粉となった。
生命の維持が不可能なほどに肉体が損壊した時、セネンセの体は瞬時に自動で修復を始める魔法が編みこまれている。それでもようやく首から上が形を成すほどにしか戻ってこない。
「……いったい……なにが……?」
朦朧とする意識で事態を把握しようとするも、さっぱり分からない。なぜ自分は地に落ち叩きつけられたのか。
「種明かしをしようか。我らが住まうこの星は、自らが回転しているだけでなく、太陽の周りを周回している。そして太陽も星々を引き連れて移動し続けている。そこで貴様に魔法的な杭を打ち込んで絶対的な位置固定をすれば、動く星に衝突するか置いてきぼりにされることになる。それが星落しと名付けた魔法だ」
つまらなそうに説明するヘポヨッチが、ゆっくりと近づいてくる。
「……星落し……確かに素晴らしい。このセネンセが……認めてあげましょう」
「何だ、もしかして自分が認めることに何か価値があるとでも勘違いしているのか? はは、実に滑稽だな」
セネンセは首のまま拾い上げられた。最後に耳にしたのは、ヘポヨッチの優し気な声だった。
「おやすみ、セネンセ」




