ある愛の詩
書簡官に強く手を引かれたアレクサンドラが、式典用露台を歩み去っていく。
チトスはそれを見ながら、ロクサーヌを呼んだ。
「俺はサンドラのところへ行く。ロクシィは船の準備を頼む」
「分かったわ」
全く想定外の事態だった。それもやむを得ない。大墳墓の倒壊や亡者の襲来、そして王都の大混乱など、予想できるものでは無い。
今後どのように事態が動くのか、まったく分からない。落着の気配さえ見通せない。そんな状況で護衛の任を果たそうとするならば、結論は一つだ。
この地を離れる。
遠距離航海の準備は出来ていないが、それでも洋上に出られれば、安全の度合いは上がる。その後はサツマ藩王国などを経由して帰国してもいい。
そんなチトスの考えは、過不足なくロクサーヌへ伝わった。
「人が最優先よ。その次に水と食料。二日分を確保できれば、あとは安全を第一に動きなさい」
そんな風に指示を飛ばしながら、文官たちを伴って港へと歩き出している。
大墳墓に面した城壁では、爆音が響き、炎が上がっている。真っ先に駆けて行ったメイプルが、亡者の迎撃を始めたのだろう。
壮麗なアスト宮は、混乱を極めていた。将軍は軍人たちに指示を出しながらこの場を離れようとしており、宰相は逆に臨時の指揮所を立ち上げて人を集め出している。
「サンドラは俺が迎えに行く。護衛は全員でロクシィを守れ」
周囲に命じると、右往左往する人の波を抜けてアレクサンドラを追った。
これまでの様子から、書簡官が彼女に危害を加えることはないだろう。だが――。
――サンドラは俺が守る。
決意を胸に、愛用の双剣を握って走った。
チトスの目は、アスト宮を出て馬に乗る書簡官とアレクサンドラを捉えていた。一歩引いた高い位置から周囲を見渡すことが出来る“将目”の力だ。
(急がないとまずいな)
城門は既に破られ、王都には亡者が入り込んでいた。包帯姿の亡者や金属兜を着けた骸骨剣士が、王都の幅広の道に溢れ、街路のそこかしこで戦闘が始まっている。
対する守備側は、亡者の侵攻を遮るように道一杯に盾兵を並べ、その背後や建物の上から矢を射かけている。時折、魔法が飛び交い、炎や雷、爆音などがあたりに響く。だが、損害を顧みない亡者の群れは足を止める様子はない。
そんな様子を俯瞰しながら書簡官の馬を見ると、まっすぐに王宮へと向かっている。
(守りが固いからサンドラを連れて行きたいのだろうが、悪手だ)
周囲を俯瞰できるチトスだからわかる。王都に入り込んだ亡者たちは、不思議と王宮へ向けて足を動かしている。王家のへの恨みがあるのだろうか。それとも単に町の中心を目指しているのだろうか。
理由は分からないが、アレクサンドラを守らなければならない。
(今行くぞ!)
チトスは走った。
亡者は、生気を求めてさ迷い歩く。戦意と活力を滾らせて疾駆するチトスの姿は、垂涎の餌に見えることだろう。次々に襲い掛かって来た。
だが、止まらない。
「邪魔をするな」
亡者の群れにもひるまず、前に出た。飛び込んでくる亡者の腐った腕を避けつつ、首を刎ねる。その後ろから迫るもう一匹を肩から両断しつつ駆け抜ける。右の亡者の首を斬り、左の亡者を蹴り飛ばす。
「俺の邪魔をするなっ」
群がる亡者を斬り分けて走った。
包帯を巻いただけの亡者などは、不死の魔物の中では最弱の部類だ。上位級の戦士職であるチトスであれば、容易く切って捨てられる。だが、この数は脅威だ。僅かな負傷でも、積み重なれば死につながる。
そして亡者の中には、魔法を使える高僧系の不死者や、魔法剣を操る戦士系の骸骨なども混じっている。気を抜けば死ぬ。いや、油断などせずとも、死の危険はそこら中に転がっている。
勝つためには、生き残ること。生き残るためには、攻撃を受けないこと。これが戦いに臨む際のチトスの考えだった。だが今のチトスの頭には、そんな思いは欠片もない。
(絶対に、無事に連れて帰る)
幼馴染みの少女の顔がよぎる。将来の約束をしたわけではない。想いを伝えた訳でもない。だがつらいときにはいつも彼女の笑顔が思い出された。チトスの人生には、常にアレクサンドラがいた。
「サンドラ! すぐに行くぞ!」
叫びながら走った。
駆け寄って来る亡者を斬り、錆びた剣を振る骸骨を両断する。邪魔する者を次から次に斬って捨ててながら、前へ前へと進んでいく。
(百二十三、百二十四、百二十……)
もう何体を斬ったか分からない。ただアレクサンドラを追いながら剣を振ることだけに意識が研ぎ澄まされていく。
だが将目が新たな敵を見つけた。周囲の亡者を倒し切って足を止めると、果たして大剣を持つ骸骨の一団が横の路地から現れ、チトスの前をふさいだ。
亡者たちの骨には腐った皮膚が張り付いており、腐汁を垂らしている。そして、その眼窩の奥には魔力を帯びた光がある。強大な不死者の証だ。
その手が握る大剣も、魔力を帯びていると分かる。魔法の素養がない戦士のチトスが一目で分かるほどだ。恐らく名のある魔剣だろう。
(全部で三十六体か……)
一体でも脅威である化け物が、群れてゆく手をふさいでいる。
それらを将目で捉えていると、背後に生者の一団が視界に入った。
「無事か」
ラディア将軍を先頭にイオス兵の集団が駆け寄って来た。あの大剣の骸骨たちを追ってきたのだろう。ラディア自身も剣を握り、顔を血で汚している。周囲の精鋭らしき剣士や槍兵にも、無傷の者は一人もいない。あれほどの強敵たちだ、当然だろう。
「助力を請う」
ラディアが短く言う。
「怨霊と化した古代に反逆した王族たちだろう。討滅は必須だ。助力が欲しい、伏して頼む」
あのラディアが低頭している。それに答えるチトスに、逡巡など無い。
「やろう」
短く言うと、チトスは走った。
今は何よりアレクサンドラだ。そして彼女はこの先にいる。ならば、立ちふさがる亡者は倒さねばならない。
純粋な剣技なら負けぬはずだ。ならば魔法を使われる前に距離を詰める。
その決断を理解したのか、後ろではラディア達が追随して走っている。数えてみれば二十しかいない。心もとないが、仲間がいるだけましだ。
双剣を携えたチトスが間近に迫ると、亡者は大剣を軽々と持ち上げ、叩きつけた。切っ先が街路の石畳を粉砕し、土煙が上がる。チトスは危機一髪、横に跳んで回避したが、後ろにいたイオス兵は衝撃だけで吹き飛ばされている。
(無理をしたら死ぬな。だが……)
――今は無理をする時だ。
チトスは技を発動した。移動の速度が急激に上昇する。大鬼が剣を戻すより早く駆け寄り、双剣を振るった。
ガツと音を立てて亡者の頭部に刃が食い込む。が、斬れない。
(硬い!)
斬撃に怯みはすれど、その体に損壊は無い。すぐに体勢を立て直した亡者が、大剣を縦横無尽に振り回してくる。周囲の骸骨たちもチトスを囲むように立つと、大剣を繰り出してくる。
「不死者は物理に強い。魔法を!」
背後でラディアが叫んでいる。だがチトスは戦士だ。魔法を使えない。魔力を刃に宿して戦うことが出来るのは、勇者などのごく一部の職だけだ。
だからチトスはがむしゃらに剣を振るしかない。
振るわれた大剣を斬りつけて亡者の姿勢を崩し、背後を取ろうとしている骸骨の眼窩を突き、襲い来る骸骨の剣士たちを次から次に斬りつけた。
確かに剣の技と身のこなしでは負けていない。いや、明らかに競り勝っている。だがこちらの刃が会心の手応えで届いても、腐った肌がこそげ骨が欠ける程度だ。一方で相手の大剣がかすめるだけで、チトスの鎧は裂け、血が流れる。
ついには、同時に突き出された四本の大剣を捌ききれず、大きく後ろに転がった。血と砂にまみれて立ち上がると、ラディアに肩を掴まれた。
「剣のみでは無茶だ。死ぬぞ」
周りを見れば、いつの間にかイオス兵たちが距離を取って後ずさりを始めている。その顔には、一様に恐怖と怯懦が刻まれている。
魔獣や魔物の中には、人間の恐怖心を呼び起こす力を持つものたちがいる。竜の咆哮などが、有名な一例だ。そして不死者も、存在しているだけで同様の悪影響をまき散らす。
圧倒的な戦力差に加え、この恐怖付加の効果で肝を冷やしているのだ。戦うどころか、この場に留まることにさえ抵抗があるに違いない。だがチトスには関係の無いことだった。
チトスを掴んだまま話さないラディアの手を、優しく押し退けた。
「死ぬぞ?」
「何のためらいも無い」
躊躇なく駆けだした。
「この先にはサンドラがいるんだ。彼女を失っては、俺に生きる価値など無い。彼女を守るためならば、俺は命を捨てようとも、戦う!」
風を切って疾駆すると、速度はそのままに跳躍した。
骸骨剣士たちの中央に降り立つと、縦横無尽に双剣を振るった。突き出される大剣を掻い潜り、返す刃でその腕を両断する。振り回された大剣を身をよじって躱しながら踏み込み、額に短剣を突き立てる。すると頭部が砕けて散った。
(いける? 奴らを斬れるぞ!)
さっきまでと違い、チトスの剣が確実に骨を斬り、破壊している。理屈は分からないが、好機を逃す手はない。
飛び掛かってくる亡者を斬り飛ばし、振り回される剣を避け、大剣を振りかぶる骸骨を斬って捨て、剣を避け、蹴り倒し、受け、斬る。
確実に亡者の数が減っていく。
「戦神が顕現した……」
ラディアがつぶやいている。将目では音を関知し得ない。だが、離れたラディアの息遣いまで感じる。いや、亡者たちと間断なく剣戟を交わしながらも、イオス兵たちの様子すらつぶさに見て取れた。
(死を覚悟して腕力が強くなった? 集中力が高まって感覚が鋭くなった? いや、違う。これは……)
何かが変わったのだ。そう確信した。
そしてそれは事実であった。
チトスは、愛を胸に勇気をもって死地に飛び込んだことで、転職し、昇級していた。将目は王目へと進化し、身体は強靭になり、刃には魔力が宿っている。
不死者に対する特攻職である勇者となったのだ。
「イオス兵達よ、恐れるな! 自らの守るべき者たちのために、剣を取れ!」
英雄級の勇者職であるチトスの激励に、周囲の将兵たちに活力がみなぎる。身体能力が向上し、怯懦が消え、勇気が湧く。
「おう!」
チトスの奮戦に応えるかのように、兵達が亡者へと挑みかかった。先ほどまでと違い、皆の剣が骨を砕き腐汁を浄化していく。勇者たるチトスが率いる兵は、一人が千の兵に当たるほどに強化されていた。
数で劣るチトス達だが、凶悪で強力な骸骨の魔剣士たちを瞬く間に撃滅した。
最後の一体の頭骨をチトスが斬り砕くと、一瞬の間をおいて皆が歓声を上げた。傷の無い者はいない。だが全員が自分の足で立っている。そしてその顔は喜びと興奮に染まっている。勝ち目のない絶望的な戦いで、奇跡的な勝利を収めたのだ。当然だろう。
だがチトスは、それらを一瞥すると走り出した。チトスにとって、ここでの勝利は手段に過ぎない。
チトスの王目は、既に王都全域を把握している。すぐに王宮の楼台に倒れるアレクサンドラを見つけた。彼女は目を閉じたまま、ピクリとも動かない。チトスの背を冷たい汗が伝う。
――今行くぞ、サンドラ!
いまだ続く戦いの音が響く王都を、矢のごとく走った。王宮に着くと門扉を蹴破り、誰何の声を上げる衛兵を押しのけ、楼台を上った。
そこには、愛した女性が倒れていた。
「サンドラっ……」
よろよろと歩み寄りそっと抱き上げる。だがその体に生気がなく、くたりと首が垂れた。
――死。
その言葉が、頭をよぎる。
口元に耳を寄せるが、吐息は聞こえない。胸に手を当てるが、鼓動は感じられない。
「死んで……しまったのか……?」
幾度か揺すってみるが、揺さぶられるに任せたままのアレクサンドラの体は、動く気配がない。
「間に合わなかったのか……」
チトスの目に、涙があふれた。
「俺は、お前を愛していた。俺の心臓はお前への愛だけで動いていた。なのに、なのに……」
想いが口をついて出ると、止まらなかった。
「お前への溢れる愛を、伝えておけばよかった。この血を流れるお前への想いを、見せてやりたい。お前の笑顔を見るだけで、俺は幸せだった。お前の声を聴くだけで、俺の心は満たされていた。お前のことは絶対に守ると誓ったのに、なのに……」
「少年、ちょっと良いかな?」
突然のことにびくりとした。
唐突に話しかけてきたのは、魔法使いのような格好の人物だった。どことなくアレクサンドラに似た雰囲気があり、以前に出会ったこともあるような錯覚さえ湧いてくる。
「余の見立てでは、その娘は死んでいない。亡者の追跡を逃れるために、仮死の魔法が使われているのだろう」
言いながらひょいとアレクサンドラの額に指を添える。二度三度と突くと、アレクサンドラがゆっくりと目を開けた。
「サ、サンドラ!」
いつもよりぼうっとした表情だが、次第に目の焦点が定まって来る。胸が上下し、確かに息をしていると分かる。
「良かった、生きていた! 本当に……良かった……っ!」
失われたかと思った。あの心を溶かすような笑顔も、心地よく響く声も、活力を与えてくれるような素っ頓狂で可愛らしい言動も、全てが失われたのかと思った。けれど、生きていてくれた。
喜びに打ち震えていると、水を差すように稚気と邪気の塊のような声が聞こえてくる。
「これはまあ、余が言うべきことでは無いかもしれないが……仮死の魔法と言うものは、動けなくなるものの五感は働いている。つまり周囲での出来事は把握しているのだ。君の言動の一切も、この娘には聞こえていただろう」
「え?」
アレクサンドラを見ると、顔を真っ赤に染めて、滝のような汗を流し、視線を左右にさまよわせている。
「あ、あの、ごめんね。チトスがそんな風に想ってくれているだなんて分からなくって。あの、えっと、私……うひゃー、どうしよう」
「どうしようはこっちの台詞だ」
チトスも頬を赤く染めながら、つぶやいた。




