束の間の安堵
(まずい!)
隠密状態のまま下がって居場所を変える。だがカ・エルの視線は、クロカゲを視界にとらえるように動いている。
もしかするとカ・エルには居場所が知られているかもしれない。クロカゲの頬を、緊張の汗が伝う。しかしカ・エルは、弓を射かけるでも距離を詰めるでもなく、まっすぐに語り掛けてくる。
「なあ、膝を詰めて話をしようぜ。俺はお前を助けてやりたいんだ。おれは、お前の味方だ」
(味方? カ・エル様が本当に味方に付いてくれるならば心強いけど……どうしよう?)
カ・エルの迫真の説得に、クロカゲの考えが揺れる。だがまだ決心には至らない。
するとカ・エルは弓を構え、矢をつがえた。
「ほら、これでどうだ? 信じてくれよ!」
叫びつつ空へと矢を放った。
弓弦がバンと鳴り、びょうと風を切る音とともに矢が青天に吸い込まれていく。その軌跡を見守ることなく、すぐに矢をつがえ、次々と空へと射ち出していく。
自分の矢筒が空になると、仲間の矢も受け取って射尽くす。そうして中身の無い矢筒と弓を足元に置くと、両手を広げて見せた。
「これでどうだ? もう手元に矢はないぜ。安心だろ? 出て来いよ」
これには、クロカゲの心がぐらりと動いた。
狩人職の勇者級スキル“神弓”は、狙ったところを寸分たがわず射抜く。見通しの良い平原などでは無類の強さを発揮する。その一方で矢を射尽くしてしまえば意味はない。
(僕と対話するために、わざわざ丸腰になった……。信用してもいいのかな)
「頼む、出てきてくれ。俺を信じろ。帝国の言い分は一方的だ、お前のことを信じたい」
カ・エルが次々と言葉を投げかける。だがクロカゲは決心がつかない。
すると今度は、怒ったような、不貞腐れたような声音に変わった。
「いい加減にしろ。怒ったぞ。そっちがそのつもりなら、こっちにも考えがある」
橋のたもとにつながれていた馬を連れてくると、負わせていた荷をほどきだした。縛っていた薪の束をほどいて火をおこすと、鉄鍋を取り出し、干した肉や根菜などを放り込んだ。
他の者は簡易の天幕を張り、馬を繋いでまぐさを与えている。
橋の真ん中で野営を始めたのだ。
「ここで煮炊きするぞ。長いこと走ったんだろ? 腹が減っているだろ? うまそうな豚肉を炭火であぶって魚醤をつけてやる。ヤギ肉と香辛料を鍋に入れて、ワインで煮込んでやる。きっと美味いぞ。でも出てこないなら、分けてやらんからな」
カ・エルが半ばやけくそのように放った言葉に、クロカゲは決心した。
(ひとまず、話してみよう)
アサギの怪我の手当てをしたい。クロカゲ自身も、疲労困憊で倒れそうだ。この橋を迂回して東方平原に入るのでは、時間がかかりすぎる。
あそこまで胸襟を開いてくれている。命をまるっと全部預けるわけじゃないんだ、少し歩み寄ってみよう。そんな思いで、身を隠していた茂みからそろりと抜け出した。
もちろん、完全に信用したわけではない。
いつでも身を隠せるように、雑木林のそばからは離れない。アサギを背負ったまま距離を測るようにじりじりと進み、姿を確認できるが逃げるには十分な距離で止まった。
だがそんな不信を隠さぬ態度であっても、カ・エルは破顔した。
クロカゲの姿を見るや駆け寄りそうになり、慌てて立ち止まって大きな身振りで語り掛ける。
「顔を見れてよかった! なんだよ、案外元気そうじゃないか」
心底ほっとしたようなカ・エルの様子に、思わず駆け寄ってしまいそうになるがぐっとこらえる。
「帝国からは、僕たちのことをどんなふうに聞いている?」
途端にカ・エルが顔をしかめる。
「クロカゲとクォン族を試すって言ってたよ。なにがなんでも服従する姿勢なら飼い殺しにするけど、そうでなければ反逆者として処刑するってさ。だから協力しろって、わざわざガイウスが直接に言ってきたんだ。クォン族への扱いは、もう覆らないだろうな」
「それでカ・エル、あなたはどうするつもりですか? 何を考えているんですか?」
「それはこっちのセリフだよ。実際のところ、帝都で何が起きた? お前はどうするつもりなんだ?」
「皆が……僕を反逆者だと言って殺そうとしたんだ。ガイウスも、ビィルもメイプルも、ユユだって……。だから逃げてきた」
「なるほど、ガイウスも思い切ったなあ。でも、お前やクォン族は全くの無実なんだろう?」
「それは……」
クロカゲは考える。
ガイウスが、どのような手段を使ってでもクロカゲを悪と決めつけ、殺そうとしていることは間違いない。けれど、先ほどのカ・エルの話しでは、そうならない道もあったように思える。
もしかすると父キンメルの交渉が、蹉跌となったのかもしれない。そう思いいたると、胸が苦しくなる。
「……きっかけを作ったのは父さんなのかもしれない」
「キンメル殿が?」
相手が剣を呑んでいたのは間違いない。でも、その刃がこちらに向いたのはシカ族への対抗意識から、強圧的な交渉を持とうとしたキンメルに責めを帰すべきなのかもしれない。
「父さんが、その……すごく強く交渉をしたんだ。魔王を倒した報奨がこの程度か、とか。こちらを侮るなら一戦も辞さないぞ、とか……」
「そりゃあ……キンメル殿も随分と豪胆なことをしたもんだ」
「きっとシカ族の報奨が大きかったから、対抗意識があったんだと思う……」
「そうか」
カ・エルは、うつむいて小さく呟いた。
だが、すぐに顔を上げて明るい声で言った。
「とりあえず、怪我の手当をしよう。それと飯だ。こっちに来るか?」
即座に首を横に振る。まだ心底から信頼できていない。
するとカ・エルは「じゃあここを使えよ」と野営の準備が整った天幕から離れ、橋を渡った対岸まで下がった。
少し距離が近くなるが仕方ないと、クロカゲはアサギを抱えて天幕へと歩いた。焚火は赤々と燃えており、架けられた鍋ではぬるい湯が出来上がっている。
アサギをその場に寝かせると、クロカゲは自身の上着を細長く切り裂いて湯に浸した。そしてアサギの膝を覆っていた包帯をほどき、傷を綺麗に拭いていく。濡れた布で乾いた血を拭き取るたびに、アサギが苦悶の声を上げる。
「うっ……うう……」
「痛むだろうけど、ごめんね」
アサギに優しく声をかけながら、丁寧に手当てをしていく。未だに少しずつ出血があるが、綺麗にした受傷部にオリーブ油を塗り、再び上着を裂いて作った包帯でしっかりと巻いていくと、少し良くなったように思える。
固定するようにしっかりと巻いてしまえば、ひとまずは血が止まる。顔色こそ悪いが、これでアサギは大丈夫だ。
クロカゲはようやくほっと息を吐いた。
「ありがとうございます、クロカゲ様」
青ざめた顔で力なく微笑んでいる。
未だに血が止まっていないし、激しい痛みがあるはずだ。無事に東方平原に帰ることが出来たとしても、今までどおり歩くのは難しいかもしれない。けれど、クロカゲのために微笑んでくれる。
その気遣いだけで、心が救われる。
「大丈夫か? 大声で話すのもいい加減しんどい。少し近づくぞ」
言いながら、カ・エルがゆっくり歩み寄ってくる。
無言でアサギを抱きあげると、近寄られた分だけ離れる。
「おいおい。信用ねえなあ。これからどうするつもりだよ」
カ・エルが肩をすくめながら立ち止まると、クロカゲも足を止める。
「父さんも帝都からこっちへ向かっているはずだ。合流して、東方平原に戻ります」
クロカゲの言葉に、カ・エルは明るく笑う。
「ああ、キンメル殿には、ここは通ってもらったよ。道中で馬を乗り換えながら、全力で走り続けたらしい」
連れて行った馬のすべてが途中で疲れ果てても、道中の町などで馬を奪うことはできる。東方平原と帝都との途上には、交易で栄えている都市がいくつもある。キンメルならば、造作もないはずだ。
そうして馬を乗り継いで、クロカゲより早く銀月川に到着したのだろう。
そこで気づいた。
カ・エルはどうやってここに来たのだろうか。
帝都へは、シカ族が先行して出発していたはずだ。しかし帝都では出会わなかった。それにクロカゲやキンメルより先に銀月川に到着していた。ということは、当然帝都からの出発も、かなり前だったはずだ。
つまりクロカゲを反逆者として殺す計画があることを知りながら、行く末を見るでもなく何日も前に帝都を離れ、ここに陣取ったということになる。果たしてそれは、味方になりうる人間の行動だろうか。
それにキンメルは別れ際に言った。先行して露払いをすると。武断に長けた父が、こんなに怪しい動きをする者を、放っておくだろうか。
クロカゲの心臓が早鐘のように激しく脈動する。その動揺を悟られぬよう、静かにカ・エルを見る。
「……父さんは、何か言っていましたか?」
「ああ、急いで平原に戻ると言っていたよ。だからあまり話さなかった」
「そうですか。……カ・エル、あなたはいつからここにいるんですか?」
「ははっ、なんだよ、疑り深いなあ。別に難しい話じゃないよ。こういうことさ」
カ・エルは快活に笑いながら右手を上げ、振り下ろす。
どこからか飛来した矢が、クロカゲの右腕を射抜いた。




