イオス王国に来てはみたものの、こんなん困難じゃん⑤
崩壊する大墳墓を目の当たりにしてわずかの間、呆然としたサンだが、セネンセに手を引かれ我を取り戻した。
「アレクサンドラ様、逃げましょう」
「え? え?」
戸惑うサンを促しながら、セネンセが左右を見て鋭く言った。
「軍と衛兵は直ちに行動してください。私も近衛兵を動かします」
イオス王国では、陸及び海軍は将軍の隷下にあるが、都市内部の治安を維持する衛兵は宰相の管理下だ。そして王の秘書長官である書簡官は、王族を守る近衛兵を持つ。つまりセネンセは、手元にある全ての軍を動員すべきと宣言したのだ。
(ど、どういうこと?)
理解の及ばないサンと違って、ラディア将軍の問いは短い。
「敵は?」
「莫大な量の不死の化け物……それも、それぞれが優れた戦士や魔法使いです」
ラディアは沈黙のまま、すっと目を細めて赤ひげを撫でる。
食って掛かったのは宰相だ。
「なんだ、それは。聞いたとき無えぞ。大墳墓は古代に反逆した邪悪で強力な王族とその連枝を封じているはずだろう」
「確かに大墳墓は、反逆した王族が後に復活せぬよう冥界に押し込めていた蓋であり、魔法的呪術具です。そして、四千年を超えるイオス王国史上で、表に出せぬ権力闘争を含めた時、反逆者が一人や二人であるはずがないでしょう」
一呼吸を置いて、セネンセが言った。
「……およそ11万7千の大罪人どもが、死を超越した化け物となって王都に雪崩れ込んでくるはずです」
その言葉を聞いて、顔を青くしたのはサンだけだった。ラディアは黙して走り出し、宰相は「損が出るな」とブツブツ文句を言いながらも歩き出した。
弾かれたように動き出す二人とは別に、サンは引かれるままに歩き出した。
「アレクサンドラ様を安全な場所へお連れします。貴女に何かあれば、此度の両国の約定が無に帰します。どのような状況であれ、それは避けたいのです」
「あ、なるほどですね」
そこまで言われればピンと来るものがある。
そもそもセネンセは相互不可侵と友好通商に乗り気だった。何も無くても、二カ国間に安定を求める思考なのだろう。それに加えて、この事態だ。
もし王都が壊滅的な被害を受ければ、帝国の牙がイオス王国へ向きかねない。そうなったとき、サン達が成立させた今回の不可侵の約束こそが、王国にとっての防波堤となるのだ。彼としては、どう転んでもこれを堅持したいのだろうが、サンが死ねばそれが失われてしまう。
「王宮に向かいます。あそこには王族が王宮内にとどまっている限り恒久的に発動する特殊な魔法がありまして、魔を退ける不可視の魔法的な障壁が構築されています」
「あの、でもロクサーヌたちは……」
「申し訳ありませんが、後回しです。アレクサンドラ様と他者とでは、命の価値が違います」
握られたままの手が強く引かれ、押し切られるように歩き出した。露台を離れる時、チトスとロクサーヌがちらりと見えた。二人は混乱する人々を縫って、こちらへ駆けよろうとしていた。チトスの必死な表情に思わず足を止めるが、セネンセに抱き上げられてしまった。
「あの……!」
「問答は後にしましょう。今は時が惜しい」
抱えられたまま馬上の人となると、大墳墓の崩壊に気付いた人々でごった返す王都の大路を、セネンセの操る馬で疾走した。書簡官の顔を見ただけで衛兵が道を譲るので、道中だけでなく王宮の門さえも止まることなく駆け抜ける。
「近衛兵は王宮を守れ! 何人たりとも入れるな!」
叫びながら王宮を闊歩するセネンセに引っ張られ、街に面した楼台へ登った。
高い位置に立つと、青い海と緑の森を背景に栄える王都アレクサンドリアが見渡せる。普段であればその絶景に心を奪われたことであろう。
だが眼下を眺めれば、既に混乱が始まっている。
足元では衛兵が怒号を上げ、人々を追い立てるように避難させている。王都の外延部では集結した軍勢が動き始めている。距離があって見えないが、既に敵は迫っているようだ。剣戟と魔法の炸裂音が響いている。
先ほどのセネンセの言葉が、現実になろうとしているのだ。
「ここにいればひとまず安全ですが、念のためアレクサンドラ様には一度、死んでいただきます」
「えっ?」
「正確には、死んだ状態になっていただくということです。亡者どもは、生を憎み生者へ襲いかかります。そこで仮死状態になる魔法を使うことで、奴らの狙いを外すことが出来るのです。もちろん本当に死ぬわけではないので、後で蘇生をすることは出来ます」
セネンセの説明は明快で簡単だ。理屈は分かる。
「な、なるほどー。でも……こ、怖いですね」
「大丈夫ですよ。貴女を失うわけにはいかない。だから絶対に失敗しません。……ところで、アレクサンドラ様は最近、体調は如何ですか?」
優しく肩に手を置かれた。大きく温かい手は、それだけで安心感がある。
「最近……ですか。そうですね、なんだかボーっとすることが多くて元気もあんまり無いかもです。目もかすむし注意力も散漫で、ロクサーヌとかミライコからは疲れがたまっているんじゃないかって心配されて……」
魔法を使うのに必要な確認だったのかな。そんな風に考えていると、セネンセが唐突に笑った。
「実によろしい。大変よろしい。貴女がペイライエウスにありがちな変性魔法への耐性をお持ちでなくてよかった。色々と捗ります」
セネンセの大きな手が、サンの目前に迫る。その指先が額に触れた瞬間、サンは急速意識が遠のいていった。
「目覚める時には、平穏になっていますよ。ああ、これはもう不要ですね」
右手に着けた指輪を引き抜かれる感触があった。
歩み去っていく硬質な足音を聞きながら、サンの意識は途絶えた。




