イオス王国に来てはみたものの、こんなん困難じゃん④
イオス王国の外交の長である書簡官が執務に使う建物は、アスト宮と呼ばれる。
王都の中部からやや北に進んだところにあり、王宮に並ぶほどの壮麗な建物だ。外国の使節を迎えるために細部まで豪華に飾り立てられた宮殿の式典用露台には、朝陽と共に多くの人間の視線が注がれていた。
サンはそれらを肌に感じながら、周りを見渡した。
露台の下には美しき儀典兵が整然と並び、前列には内政の高官や軍の将校、諸州の代表者などが居並ぶ。最前列にはロクサーヌが凛と立ち、その後ろでミライコを筆頭に文官たちが緊張の面持ちでサンを見ている。メイプルやチトスらも、その中にあって固唾をのんで見守っている。
「大丈夫だよ」
皆の緊張をほぐすように小さく手を振ると、ロクサーヌが身振りで「こらっ」と叱ってきた。さすがにここでひょうきんをこぼすと怒られそうだ。
舌を出しながら「やべやべ」と呟いていると、ラディア将軍が二枚の羊皮紙を掲げながら歩み寄ってきた。今日も美しい赤い付け髭の姿だ。
「最も重要なれば、最も初めに」
そう言って羊皮紙の一枚をサンの前に据えられている机に置くと、インクの滲んだペンを取りカカッと名前を書き入れた。サンも丁寧に署名をすると、羊皮紙を取り換えて同じように自らの名を記す。書かれている内容はどちらも同じだ。これで互いに署名された同一の書面を持つことになる。
その一枚を持って、ラディアが眼下に叫んだ。
「このラディア・キョジョウは、アレクサンドラ・サロニコス・ペイライエウスと不戦を約した」
儀典兵が揃って手を上げ、整った拍子で「おう!」と応じる。
次に宰相が現れた。
同じように二枚の羊皮紙に署名をすると、これを高く掲げた。
「皆、喜ばれよ。北の友人ペイライエウスと約定を交わした。以後ますますの発展に繋がり申すこと、疑いないでしょう」
優しく微笑む宰相だが、場はしんとしている。
どうせその本性が知られているのだろう。付き合いの浅いサンたちですら白けているのだから、イオス王国の皆にとっては辟易すら通り越すのかもしれない。
そんな空気を感じ取ったのだろう。宰相が猫を脱いだ。
「商人ども、よく稼げよ。税の率は下がるし、港も広くする。ここまでお膳立てされて動かぬなら、そいつは阿呆を三乗したような奴だ」
歯を剥き出しに吠えると、熱狂的な反応があった。官僚や有力商人と思しき一団が、老いも若いも、男女も問わずに沸いている。
それに鼻もかけぬ宰相は、理解できぬという風に首を振った。
「罵倒されて喜ぶなんざ、変人の部類だろうが」
「宰相さんの歯に衣着せぬ言い方が、すごく気持ち良いからじゃないでしょうか」
「ふん」
照れたように高い鼻を鳴らすと、書簡官のセネンセと入れ替わった。
ここでも二枚の羊皮紙に署名をする。と、セネンセはサンを抱き寄せるように衆目の前へ押し出し、羊皮紙を高く掲げた。
「書簡官セネンセ・テプニプタハは、尊敬する帝国使節アレクサンドラ様と末永い友好を築くと宣言いたします」
すると大勢が手を打って祝福してくれる。若い女性の悲鳴なども聞こえるのは、セネンセの美貌が巻き起こした悲劇だろう。遠くから目に入っただけでも女性を虜にする。セネンセの見た目にはそういう魔力がある。
「個人的な意図での友好ではないので安心してほしいな」
サンが呟くとセネンセがにこりと笑う。
「もっと深く個人的な友好関係を模索しても構いませんよ」
「あ、構います」
衝撃を受けたような表情のセネンセを放って、一歩前に出た。ここでサンが挨拶をして式典は終了となる予定だ。つまり、サンが口を動かさなければ式典は終わらない。
豪華で広い宮殿、居並ぶ重鎮、雲霞のごとき聴衆。こういう派手で耳目を集める場は不得手だし、目立つのもあんまり得意じゃない。そう、あんまり得意じゃないのだ。
けれども、頑張ろう。
気合を入れなおすと、露台から人々を見た。
「イオス王国の皆様の素晴らしい歓迎に、心から感謝いたします。ですので、挨拶は短くしておきます。挨拶が短ければ短いほど良いという事実は、両国の代表が調整するまでも無いことだと思いますので」
サンがおどけて言うと、会場に笑いが起きる。
「正直に言いますと、イオス王国に降り立った時、驚きに言葉を失いました。町の美しさ、人々の気高さ、文化の清廉さに息を呑みました」
サンがイオス王国に来てから、まず圧倒されたのは文化への意識の高さだった。
港湾や道路などは機能に重点を置いて整備されているが、それらを一歩外れれば、そこには美と知識への傾倒があった。
まず目を引くのは王都アレクサンドリアが誇る大図書館だ。見上げるほどに大きな建物の中には、古今の書物が整然と、しかし所狭しと並び、世界中から賢者が集まっている。
街には公共の美術館が点在している。イオス王国は国内および周辺国で金が多く産出するので、金属を装飾に加工する技術は古くから群を抜いて高い。そんな金属加工技術の粋を見せつけているほか、彫刻や絵画なども置かれている。
また、舞台演劇や舞踊、演奏なども多く上演され、安価に鑑賞できる。イオス王国の人々が文化や芸術、学問に費やす費用は、おそらく帝国の倍を越えるだろう。
「帝国からも多くの学者や芸術家が王都アレクサンドリアを訪れています。両国の歴史を振り返れば、先人たちは互いに交流を重ね学術、芸術などのさまざまな分野で道を切り開いてきました。私たちが、手を取り合うことは、将来の更なる発展に結びつくでしょう」
サンの言葉に合わせるように、セネンセが隣に立ち、手を握ってきた。
お、予定にないぞ。とは思ったものの、途中であいさつをやめるわけにもいかない。
「私の父や兄も、イオス王国を訪れています。祖父や曾祖父もです。ずっと昔から私たちは繋がっています。かつてペイライエウス家の当主は言いました。大内海は、帝国とイオス王国を隔てているわけではない。むしろ私たちの団結の源になるだろう……と」
間に海を挟むために、気候も文化も違う。だからこそ互いに補完し合ってゆくことが出来る。そんなサンの想いは、果たして聴衆に届いた。
会場に拍手が響く。
大内海があるからこそ団結できる。これは父の日記に書かれていた言葉だ。とても気に入ったので挨拶文案の中で何度も使ったら、ミライコたちに「使い過ぎです」と怒られて何度も削除されてしまった言葉だ。でも使って良かった。
そんなことを考えていると、ひょうきんが顔を出した。
「実は今の言葉は、父が私に残してくれたものです。すごく良いなと思ったので何度も使おうとしたんですけれど、そのたびに担当文官に怒られて削除されてしまったんですよ」
朗らかな笑いが起きる。
ミライコがあわあわと慌てているが、ここは尊い犠牲になってもらおう。
会場のざわめきが収まるのを待って、サンはまっすぐに手を伸ばした。その指の先には、街並みを見下ろす大墳墓が輝いている。皆がそちらへ目を向ける。
「遥かなる太古の時代に造られ、永劫の時を過ごすあの大墳墓のごとく、将来に渡って変わらぬ友情を築きたいと思います」
大墳墓は、陽光を浴びて美しく煌めいている。イオス王国民の誇りであり、イオス王国の象徴でもある大墳墓だ。これになぞらえて、末永い友情を祈念するサンの言葉は、皆の胸を打った。自然と皆が手を叩き、アスト宮が拍手と喝采に包まれる。
「やった、上手くいったかもっ……」
大墳墓を指したまま、思わず小さく叫んでしまった。けれど、それほどの大成功だ。イオス国王との謁見こそ果たせなかったものの、実務者では最高級の三人と約束を結ぶことが出来たうえに、それをイオス王国民に受け入れてもらえた。これは両国の安寧につながる確かな成果だ。
――ぐらり。
「ん?」
喜ぶサンが指す先で、大墳墓がひと揺れした。
あの巨大な墳墓が、動くはずがない。もう一度、目を凝らしてよく見ると、大墳墓がぐらぐらと揺れている。
「ええ?」
戸惑うサンが、驚くセネンセが、目を細める宰相やラディアが、皆が見守るその先で、巨大建築物から巨石が崩落し、大きなひびが入っていく。怒涛のごとき地響きが、サンの耳にまで届いた。
友好の象徴としてなぞらえた不朽の大墳墓が、まさに今、がらがらと崩れ落ちていった。




