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この復讐は、正義だ  作者: 安達ちなお
5章 魔法使いへの復讐、魔王からの復讐

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美しき諍い女

「嫁はいるか?」


 そんな風に宰相が、ふらりと訪れた。相変わらずの黒と金の派手な格好でだ。帝国の使節団が逗留する宿舎にだ。それも、副官を伴っただけの身軽な様子で、だ。

 普通なら、ありえない。けれどミライコにとっては慣れたものだった。


「ようこそお越しくださいましたです。ご案内いたしますです」


 アレクサンドラとロクサーヌが使っている部屋へ案内すると、勝手知ったる様子の宰相は「飯でも一緒に食おう」と言いながら持ってきた肉料理を広げ始める。彼女がこうして訪れるのは、もう何度目か知れない。気さくにアレクサンドラの下へと通っている。


 ミライコが部屋を辞すると、再び来客があった。

 髭を蓄えた女性、イオス王国のラディア将軍だ。


「……」


 無言で麦酒の壺を掲げる。彼女が来るのも、慣れたものだ。アレクサンドラと語らいに来たのだろう。同じように案内すると、宰相と口喧嘩をしながらも、みんなで寛ぎ始めた。


「髭面が何の用だ? 我が嫁は、私と語らい、肉を食うのに忙しいのだから、お前などにかまっている暇は無いんだがなあ」


「酒の無い肉とは、恋の無い人生ぞ」


「あなた方が“私の”アレクサンドラを贔屓にする気持ちも理解は出来るのだけれど、誰が正妻であるかはわきまえてほしいわね」


「まあまあ、ここはみんなで仲良く……」


 そんな姦しさを背中に聞きながら、ミライコは本来の職務――上役への報告に戻った。

 と言っても、煩わしいものではない。予定していた日数の八割が経過したところで、積み上げられた課題の九割が片付いているのだ。報告をする側としても、受ける方としても、気苦労は無い。


「順調でございますです、はい」


 イオス国王の不在によって想定の十倍以上に増えた仕事量だったのだが、当初の予定を前倒しして消化されつつあるのだ。

 ミライコも鋭い目つき――当人としては鋭くする意図はない――が和らぎ、笑みを抑えきれない。もじゃもじゃの髪さえも、心なしかまとまってくる気さえする。

 報告を終えると、急遽上役の文官を兼ねていたチトスも安堵したように頷いた。


「ここまでたどり着けば、大丈夫だろう」


 本来ならば、ほとんど完成した状態の条約案を手に、国王と交渉し、細部の手直しを経て調印をするはずだった。ところが予定はひっくり返り、書簡官や宰相、高級将校などそれぞれの権限者ごとに条件を設定しなおし、交渉と調整を重ねることになった。


 取り掛かり始めたころには終わりの見えぬ作業だったのだが、あれよあれよという間に、ここまで来てしまった。それもこれも、正使の二人――アレクサンドラとロクサーヌの力量が大きい。


 二人はイオス王国の各重鎮との合意に向けて、精力的に会合を行い意見の調整にあたった。朝、目が覚めると、簡単に業務についての指示をしてから、幾人かの文官を連れて外出する。そして日が沈むころにふらりと帰って来て、交渉の成果を告げながら、部下の業務の進捗の報告を受け、再び指示をする。そんな日々が続いた。


 大抵は大きな成果を抱えて戻ってきたし、指示も物事の急所を正確に突いた端的なものだった。さらには、そのうちにイオス王国の高官の方が宿舎を訪れるようになり、気さくな意見交換がなされていた。


 いとも簡単に大国の重鎮と人脈を形成する様子は、ミライコにとっては到底考えられないことだった。四大貴族とは、こういう社交と交渉を可能とする者なのかと驚いたものだった。

 かといって、宴席政治に堕することも無かった。部下たちを交えて開かれた打ち合わせで交渉は進んでいったのだ。その透明さと清廉さは、実に快いものだった。


 普段は厳しい顔の多いチトスが、ふと微笑んだ。


「最初はどうなることかと思ったし、途中でもどうなることかと思ったが、最終的にはどうにかなりそうだな。これもみんなのおかげだ」


「はい、おっしゃるとおりでございますです、はい」


 その感慨は、ミライコも身に染みてわかる。


 先日など、協議がまとまってあとはイオス王国の文書官と調整するだけという段階になったところで、宿舎へ――正確にはアレクサンドラのところへ――来ていたイオス王国の宰相が「せっかく帝国の使節がイオスに来ているんだ。もったいないから他の懸案事項もまとめてしまおう」などと言い出した。


 ただでさえ変更と調整を重ねて来ていたのに、そこへ新事項を追加されるなどという事態はまったくもって想定外だった。けれど宰相が「ほら、漁業権の競合があったろう。海に境界を引いてしまおう」と言い出すと、同じように遊びに来ていたラディア将軍も「軍の協調も必要と考えるが、如何に」と対抗を始める。


 挙句、ロクサーヌも「商慣習の違いや用語の定義づけをもう少し詰めたいわね」と言い出した。

 最終的にはアレクサンドラが文官を集めて「ほかに何か懸案事項はありますか」と尋ねたので皆でいくつかの課題を挙げたら「これを機に、全部片付けちゃいましょう」と言い出したのだ。


 その場にいた全員がたまげたのだけれど、最終的には何とかなってしまった。


 それもそのはずである。宰相も将校も、書簡官さえも実家と勘違いしているんじゃないかというくらい気軽に遊びに来る。なので、その場で方向性が決まってしまう。そして同行の副官などが細部を詰めると、その場で権限を持つ者――宰相や将校、書簡官、そしてアレクサンドラ――が決裁できてしまうのだ。


 そこまで見込んで言い出したのだろうけれど、なんとも剛腕な仕事っぷりだった。その背中を見ているだけで、ミライコが身に着けてきた仕事の進め方を、根本からひっくり返されたような気がした。けれど本人は、「皆が帰国したときの手柄にしちゃってください」とほほ笑んでいる。


 普通の役人はこんなことをできないし、そもそもしない。危険を冒してまで、義務付けられていない課題の処理などしない。責任を引き受けたりしない。けれどアレクサンドラは違った。

 人々のために出来ることがあるならば、やる。そんな信念がミライコからも見て取れた。

 力ある者は、人々に施しを与える。それを人は貴族と呼ぶ。そんな原理原則を体現するかのような人物だった。生来生粋の奉仕きぞく的精神を持つ者なのだ。


 だから書簡官や宰相たちが足しげく通うこの状況も、今では全く当然だと確信している。彼女に惚れこまない人がいるならば、ただの偏屈だ。

 宰相が言っていた。


「ペイライエウスの魅力に抵抗するなど、水に穴を開けるがごとくだ」


 無駄と言いたいのだろう。ミライコもそのとおりだと思う。

 今回の外交使節団の活動で、唯一の欠点を挙げるとなれば銀月帝国皇帝とイオス王国国王の間での約定と出来ない可能性が高いことだ。だがミライコとしては、アレクサンドラとイオス王国高官たちとの間での約束で足りるような気もしてきている。だって、こんなに忌憚なく付き合い、仲睦まじくさえあるのだから。

 ミライコが最終的にまとめ上げられた書面を渡すと、受け取ったチトスはミライコと同じような感慨を口にした。


「これがあれば、サンドラが健在の内ならば両国は平和にいられるな」


 力強くも滑らかな筆致で署名していく。彼が良しとすれば、あとは正使の二人の決裁を仰ぐだけとなる。

 羊皮紙の上をペンが走るサラサラ、シュという音が何とも心地よい。


 快感に耳をくすぐられながら、チトスを見た。最初は護衛役と聞いていたので、もう少し武張った怖い人かと思っていた。けれど現地で突然文官を兼任することになっても、そつなくこなしていた。気風の良さや腕力の強さ、顔の造作の整合性が良い男の証とされがちだけれど、事務能力の高さだって十分な魅力だと思うんだけどなあ。事務屋の世界で生きてきたミライコとしては、そんな風に思わざるを得ない。


 しばらくそうして見とれていると、書簡官のセネンセがやってきた。


「アレクサンドラ様はいらっしゃるかな?」


 相変わらず宝石のように眩しい笑顔だ。


「ご案内いたしますです」


 やっぱり慣れたものだ。四人の女性で騒がしい部屋へと通すと、その賑々しい室内を見たセネンセは、申し訳なさそうに美貌をゆがめた。


「……宰相と将軍がご迷惑を掛けております」


「あ、いえ、そんなことはないのでございますです」


 ミライコが言うことでもないのかなと思いつつ主のアレクサンドラを見ると、遠い目で窓外を眺めている。いつもの溌剌さが無い。どこかぼうっとした様子だ。

 そっと近寄ると、耳元でささやいた。


「アレクサンドラ様、お加減がよろしくないですか?」


「いえ、そんなことは……。疲れて……いるのかなあ」


 覇気なくつぶやいた。確かに、この忙しい外交使節団の中でも、一番精力的に働いている。いくら何でも無理のし過ぎだ。


「うん、今日は少しのんびりしてみようかな」


「それがよろしいと思いますですよ。調印の日も近いのですから」


 ミライコは心からの心配を口にしたのだが、この心配は的中していた。

 この時、サンは既に心身に変調をきたしていた。

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