死亡遊戯
イオス王国の巨大墳墓の内部は、意外なことに冷たい風が吹いていた。炎天下を歩いたクロカゲは、人心地つく思いだった。
「涼むにはもってこいだろう。水辺も良いけど、イオスの川はワニが出るからなあ」
ヘポヨッチがふわふわと笑いながら前を歩いている。その手には小柄な少女を抱いていた。まっすぐな金色の髪と白い肌を持つ、人形のような外見だ。目元は泣きはらしたように赤くなっている。
そして胸には大きな穴が開いていた。その傷跡は、少女が亡骸であると雄弁に物語っている。
「魔王配下の四大悪魔の一人、落涙のアルフェルニュンフォムか?」
「正解」
伝説上の存在である妖精人とも言われ、多頭蛇や混種獅子を使役して七勇者を苦しめた凄まじく恐ろしい魔法使いだ。
「余が倒されたと勘違いしたらしい。弔い合戦よろしく頑強に抵抗したら、勇者に討たれてしまったそうだ。可哀そうに」
ヘポヨッチがアルフェルニュンフォムを抱きしめて、その頭を撫でる。まるで母娘を見ていると錯覚するほどに慈愛に満ちた所作だ。
「だから蘇らせようと思う」
「死者蘇生だって? 禁術どころの話じゃないだろう?」
死者の復活など不可能だ。伝説上の大魔法使いや聖者が、生涯に一度でも成功すれば永遠に語り継がれる。それほどにありえない業だ。
神官の勇者ビィルは、神官職の勇者級スキル“蘇生”を持っているが、その条件は極めて厳しい。
死亡したその日のうちでなければスキルの対象にならず、蘇生したとしてもその能力は恐ろしいほどに低下する。そのうえ、強靭な戦士であってもしばらくは寝たきりになる。そして一日に一人しか蘇生できず、一度蘇生の対象となったものは二度と蘇ることはできない。
死者の蘇生というより、強力な回復魔法のようなものだ。
アルフェルニュンフォムが落命したのは、何十日も前だろう。それを蘇生できるとなれば、勇者級のさらに先、神級の領域だ。だがヘポヨッチなら出来るかもしれない。そう思わせるほどに、この元魔王の底は知れない。
だがヘポヨッチはしらばっくれるように言った。
「いや、そんな大層なものじゃない。ちょっと雑談して買い物をするだけだ」
巨大墳墓には侵入者除けの呪いや罠、魔物などであふれているが、ものともしない。魔法罠を軽く踏み抜き、骸骨の不死魔物を鼻歌混じりに消し去り、すたすたと歩いていく。クロカゲが槍を持つ必要は無かった。
巨石を組み上げて作られた通路は、目を洗うほどに清々しい。壁は細かく文字が掘られている。ざっと見たところでは神話や過去の王の事績などが並んでいる。余裕があればじっくりと読んでみたい。
足元はすっきりとした平らに加工されていて、つまずく余地も無い。
そうしてしばらく歩くと、石棺が並ぶ大きな玄室に着いた。その最奥にある棺の蓋が、容易く蹴り飛ばされる。中は空洞になっていた。
「この奥に用があるんだ。さ、行こう」
唐突に首根っこを掴まれた。そして抵抗する間もなく、地の底まで続くかのような漆黒の穴に引きずり込まれた。
轟々という風音を聞きながら無限とも思える距離を落下すると、唐突に地面が現れる。黒曜石を思わせる漆黒の床にふわりと降り立つと、ヘポヨッチが微笑んだ。
「あれが目的だ」
天井も壁も見えない広大な空間だった。床には線上に光が走っており、微かな明りを頼りに辺りを見渡せる。その光が集まる先に、犬面人身の金属像が安置されていた。
クロカゲの三倍はあるかという体高で、右手には黒い杖を、左手には黒い宝石を持っている。見ているだけで肌をびりびりと打つような威圧感がある。クロカゲには分かった。
(これは、神の領域だ……っ!)
人に襲い掛かり危害を加える動物を猛獣という。猛獣が魔を帯び、さらに恐るべき存在となったものを魔獣という。そして完全に魔の属性に傾いた存在を魔物という。多くの魔物を支配するほどに強力な存在は悪魔と呼ばれ、人々の伝承に名を残すこともある。
そして人は技を磨き職を登れば、英雄となり、伝説となり、勇者とも呼ばれる。
だが悪魔も勇者も、共に人の力と知恵が及び得る範囲の話だ。
神とは、そういった領域からはみ出したもの。人智を越えた存在だ。どうあがいても抗うことのできない絶対の存在。それを目の前の像から感じる。
寄れば死ぬ。いや、それでは済まぬほどに強烈な呪いと権能の塊だと分かる。汗が噴き出る。
「この像は……神の化身か……?」
「そんな大層なものじゃない。ただの冥界の主だ」
気安く言うと、ヘポヨッチは神像に歩み寄ってこんこんと叩いた。
「やあ、深淵の王。何年ぶりだろう。元気かい?」
それを合図にしたかのように、神像から黒い霧が吹きだした。光どころかその空間を飲み込むように漆黒が広がっていく。
即座に飛び退いた。が、失敗する。
ヘポヨッチに首元を掴まれた。
「行っておいで」
のんびりとした口調だが、その腕力は抗いようのない剛力だ。神像に向けておもむろに投擲された。
音を超える速さで投げ飛ばされたクロカゲは、衝突を覚悟して頭を覆ったが、何もなく飛び続けた。そのまま横から下へと向きを変えて、虚空を流され続けた。
どこからかヘポヨッチの声が聞こえてくる。
「……その……先は……冥界だ……」
まるで洞窟の奥底から響くように、遠くから途切れ途切れに届いてくる。いや、違う。クロカゲがそこの無い穴に放り込まれているのだ。
「……それ……を使って……交換しろ……」
クロカゲの手には、いつの間にか黒い宝石が握られていた。神像の左手にあったものだ。握り込めるほどに小さいのに、異様な存在感がある。まるで悪魔のように黒く、溶岩のように熱く、命のように重い。
そうして再び長い時間を浮遊していると、唐突に足が地に着いた。
色を失った世界だった。空は灰色に染まり、黒い雲がそのほとんどを隠している。地は荒涼とした土と砂に覆われている。強い風が吹き、砂埃が舞っている。しっかりと目を見開いているはずなのに、夜闇のような黒が視界に現れては消える。
「これが、死後の世界か」
――冥界は来るものは拒まぬ。ただし去ることは許されぬ……。
そんな声が、どこからか聞こえた。




