イオス王国に来てはみたものの、こんなん困難じゃん②
イオス王国の三日目も、早朝から爽やかな晴天に恵まれた。
使節団の宿舎を出て大路を西へしばらく進むと、水堀を備えた大きな建物がある。軍の高官が詰める石造りの庁舎だ。
帝国使節団は、最初の交渉相手として高級将校を選択した。随行文官のミライコから「最初に交渉を行うのは、軍の高官がよろしいかと思いますです」と提案され、サンが「じゃあそうしましょう」と二つ返事で首肯したからだ。
サンにはミライコの考えがよく分かった。
友好を築こうにも、通商をしようにも、軍事的衝突が無いことが大前提になるからだ。何を置いても、まずここが固まらなければ交渉は進まない。きっとそういう理論でいるのだろう。
それには、サンも賛成だ。そのとおりだと思う。
けれどそれ以上に意識しているものがある。
感情だ。
入国の手続上必要であった書簡官を除けば、一番に交渉を持ったという実績は、軍高官の印象を良くするだろう。金額や法理を武器に出来ない軍人相手の交渉では、面子という要素はきっと大事になる。
そんな考えから軍庁舎を見上げた。
街には煉瓦と木材でつくられた平屋が多く、少し砂っぽいけれど緑も多い。そんな街並みに鎮座する巨石で組まれた軍庁舎は、要塞のように厳めしい。
覚悟を決めて門をくぐると、屋上に用意された席へと案内された。
屋根が無いと言っても、日除けの飾り幕が作る影は涼しく、木製の椅子も肌触りが爽やかだ。見渡せば、王都アレクサンドリアの景色を一望できる。王都の街並みの向こうにそびえる四角錐の大墳墓もはっきりと見える。
イオス軍を代表して交渉の席に着いたのは、真っ赤な髭を蓄えた若い女だった。長いまつげの奥で星空のように煌めく瞳が、サンを射抜いている。
「ラディア・キョジョウ。御供の名である」
相手方の中央に堂々とした態度で座っている。そして左右に控える部下と思しき男女も、皆が髭を生やすか付け髭をしている。
イオス王国では、軍人は髭を生やす。女ならば付け髭で飾る。逆に軍人でなければ、顎も頬もつるりとさせておく。そんな記述が父の日記にあったなと、サンは思い出した。
「えー本日はお日柄も良く、突然のお願いであるところ、我々帝国使節団の訪問を受け入れてくださり感謝の言葉も……」
「儀礼は拝受するが、虚飾を省いても構わぬ。如何に?」
「あ、はい。ありがとうございます、そうしましょう」
イオス王国の軍人は言葉少ないことを良しとする。
寡黙は金であり、沈黙は麦酒であるとは、これも日記に書かれていた言葉だ。イオス王国軍の理念の一つである。意思は行動で示すという信念であるし、言葉が多いと無価値どころか有害であるという確信でもあるのだ。
「私はアレクサンドラと言います。帝国から来ました。書簡官のセネンセさんからも紹介いただいています」
そう言って右の人差し指を示すと、白い宝石の付いた指輪がきらりと光る。セネンセから渡された身分の証だ。最初のものと違って、これには魔法的な仕掛けが存在しないことをメイプルが確認している。
「貴職の用を弁ざれよ」
用件を言えということかな。
用意してもらった資料を持ちながらも、なるべく自分の言葉で伝えるべく口を開いた。
「帝国は、イオス王国との平穏を望んでいます。かつては大きな戦もありましたし、近年も小さな衝突がいくつかありました。将来に渡ってそれらを排し、友好と通商によって両国を反映させたいと考えます」
要点を絞ったサンの言葉を吟味するように、ラディアは目をつぶって黙った。そしておもむろに瞼を開くと、短く言った。
「軍人がおらぬ国に価値は無し、軍人がいる国に価値は無し」
皆が戸惑うのが分かった。隣でロクサーヌも目を白黒させながら意味を読み解こうとしている。そしてラディアは、その様子を冷静に観察している。
ラディアとしても、意思疎通に不都合を生じさせようとしているわけではないのだろう。もしこちらが理解できないのであれば、言葉を足してくれるはずだ。
けれど、侮られる。
こういった手法は、他の国でも外交に用いることがある。戦場で血を流すに至らぬが火花を散らす程度には白熱した交渉において、高度な教育を前提とする成文や難解な諧謔で、国の名誉と品位を保持するのだ。芯を捉えた応答が出来ればこちらも面目が保てる。
ロクサーヌは、ラディアの言葉を口の中で繰り返し呟いて、その意味を吟味している。資料を捲っているミライコは、イオス王国の故事に答えを探しているのだろう。
それらを横目に、サンは断言した。
「ラディアさんの心配は、きっと取り越し苦労ですよ」
果たして答えを耳にしたラディアは、わずかに目を見開いた。髭を撫でながら更なるサンの言葉を待っている。
――良かった、当たっていたみたいだ。
この場合、ただの謎かけではない。ラディアの言葉を吟味するだけではだめなのだ。彼女の心に寄り添って、その内心を想像しなければならない。
つまり、仇敵と不可侵の約束をする国における軍人は、何を思うだろうか。それを考える必要がある。
短期的には感情が許さぬという事情もあるかもしれないが、期限を設けぬ不可侵条約が結ばれ歳月が過ぎれば、別の事情が出て来る。
きっと軍の活躍の場が減る。威信が翳る。そういう心配をするだろう。
その規模が縮小するかもしれない。栄達の道とみなされなくなるのかもしれない。軍人がいなくなってしまった国に、価値など無いのだ。容易く攻め滅ぼされる。
ではただ軍の維持を続ければそれでよいのかと言えば、違う。戦い、功を立てることで軍は保たれる。
栄光があればこそ、優秀な人間も集まる。軍が何も成すことなく、国内にあって安穏とするようでは、それも国の将来を暗くする。そうも言いたいのだろう。
軍を維持し、その活躍の場を維持しなければ、国は成り立たない。
それが真意だ。が、その心配は無用だ。
「帝国と王国が和を結んだとしても、きっと、忙しくなると思います。例えば、通商が拡大すれば海上は軍の主戦場です」
帝国と王国の取引は、間接的に行われることが多い。例えば王国の小麦がロムレス王国の商港を経て、帝国へ輸入される。帝国の葡萄酒が、サツマ藩王国から転売されて王国に届く。
もちろん直接的な取引もあるが、いざ戦争となれば交易の道は閉ざされるので、そこを収入の主力とする商人は少ない。定期的に衝突する両国間の取引にすべてを賭けるには、危険が大きすぎるからだ。ただし、両国の経済規模は大きいので、投機的な私貿易だけでも巨額の取引が行われている。
だが両国が将来に渡って平穏無事に共存するなら、その規模は爆発的に拡大するだろう。
まず、そこへ目を付けた海賊が現れるのは間違いない。現在でも商船が襲われることは珍しくない。これを安全な海へと変えるには、さらなる戦力投入が不可欠だ。
そして貿易量が増えれば、新たな商港の開発も進む。航路も開拓する必要が出て来るだろう。獅子鯨や鳥妖婦といった大小さまざまな海の魔獣を駆逐して、安全な海路を生み出すには、やはり軍の出番である。
いつ衝突するとも知れずに帝国とにらみ合う現在より、更に直接的に人々のために戦う機会が増える。
そんなことを、なるべく言葉数少なく説明した。
「御許の言葉は金だ」
ラディアが髭をもしゃもしゃといじりながら言った。
ロクサーヌが口の端をわずかに持ち上げ、ミライコがほっと息を吐く。あからさまに態度に出るわけではないが、同行の文官たちの緩む気配が感じられた。
だがサンは気合を入れ直した。ここからが本番だ。さっと手を挙げて制すると、背後の気配が再び締まる。
サンが説明したことなんて、ラディアは分かっているはずだ。
イオス王国は39の州から成るが、各州に州相、州将、州書記官が置かれている。そして州将と駐屯軍の役割と言えば第一が治安維持である。外敵からの防衛もあれば、賊や反乱への警戒もある。国内で剣を抜くことは、規模はともかく回数で見れば、帝国との衝突より多いだろう。
海上の治安維持など、もともとの職務範囲だ。それが通商に伴って拡大するなど、容易に想定できる。
そう考えてラディアの次の言葉を待った。
「……」
「……」
ラディアもサンを見つめている。
「…………」
「…………」
おや?
「あの、これくらいのことは既に想定されているかとは思うんですが、他に何かありませんか?」
「?」
いよいよ不思議そうな顔をされてしまった。
サンが困っていると、ラディアがベりっと付け髭を剥がした。
すらりと高い鼻、健康的で瑞々しい頬、小さな唇があらわになる。
「知らぬことを教えてくれと頼んでいるのではない。御供が知りたいのは、御許の心根だ。不可侵となれば軍を減ずべき……などという弄言をせず、こなたの軍と国の発展を考えている。互いの事情を慮れるのは、友となる第一歩だ。御許はその一歩を踏み出したと考えるのだが、他に何かあるなら忌憚なく述べても構わぬぞ」
「あっ」
利口ぶってしまったけれど、結局はさっきのあれだけで良かったのだ。
細かな条件をあれこれする前に、本気度を探りたいのだ。
サンはラディアの謎かけを解くために、彼女の内心を考えた。それは相手も同じなのだ。利だの益だのという話しの前に、本当に友好の意思があるのか、通商を維持する腹積もりなのかを知りたかったのだろう。
膝詰め交渉は、その後の話しなのだ。
「えっと、本当に両国から戦いを遠ざけたいと考えています。例えば軍船の数を制限するとか、不利益を押し付けるつもりはありません。せいぜい海上の治安維持について、担当領域を相談するくらいです。可能な限り条件の少ない、永続的な友好の契約を結ぼうと考えています」
永続的という言葉は、約した者――皇帝や国王など――が死ぬまでの間という意味だ。そして現在の国際社会において、国家間の約束における最も長い期間を意味する。
個人に例えれば「今日から死ぬまで、親友でいよう」と宣言するようなものだ。
「手を……少し手を貸してほしい。ああ、胴体に付けたままでよい」
ラディアに請われ、右手を差し出した。すると手首をぐっとつままれた。そして、そのまま問われる。
「今の言葉、嘘はないか? 騙されるのは我慢ならないし、絶対に許せない」
「ないですよ」
「隠し事は? 嘘と隠し事は違うから、と言い訳をする輩なら斬らねばならない」
「ないです」
「……うん、本当に無さそうだ。驚きだ。ふうん」
そう言って、ぱっと手を離した。
「キョジョウ家は医者が家業であるからして、昔、軍医を経て将となった。医の心得から、嘘を見抜くくらいなら出来ようぞ。お前は嘘をついていない」
堂々と言い切ったあと、「少し……しゃべり過ぎたな」とラディアは再び髭をつけた。
「困難は過ぎた」
短い物言いだが、これは皆に分かったようだ。
銀月帝国には、最初の一歩こそが困難であるという諺がある。始める事こそが最大の難事であるが、動き出してさえしまえば終わりは見えるのだという意味である。
つまり、交渉は動き出した。後は詳細を詰めるだけだが、それには他の条件――宰相や文書官との交渉結果――も加味する必要があるので、後日にしようということだろう。
ともあれ、相互不可侵の方向性は合意されたのだ。
「ありがとうございます。よろしくお願いしますね」
サンが笑顔で頭を下げると、再びべりっと付け髭をとったラディアが「あとで茶でもしばきながら話そうぞ」と言ってくれた。
詳細を詰める日程を決めてから外に出ると、セネンセがいた。会談の内容は気になるけれど、軍部の権は持たないので首を突っ込めば越権になる。そう言って、ずっと待っていたのだ。
「いかがでしたか?」
相変わらずきらきらと眩しい美貌で寄ってくる。話すときに顔を近づける癖があるので、心臓に悪い。
「……大丈夫そうかもです」
「それは良かったです」
心底ほっとしたような顔だった。
「このセネンセは、イオス王国が平穏無事であることを誰よりも祈念しています。もし帝国との間に平和的な約束を交わせるのであれば、応援いたしますよ」
「本当ですか? 心強いです。私も全力で頑張っちゃいますよ!」
「……もし両国の友好を深めるならば、ペイライエウスの名を持つアレクサンドラ様と書簡官たるセネンセが婚姻など結ぶというのも、一つの手ではございますよ」
セネンセがそんな冗談を言い終わる前に、横を歩くロクサーヌが懐剣を抜き、後ろを歩くチトスが短剣の柄を握っていた。
幸いなことに、セネンセは二日を寝て過ごすだけで回復することが出来た。
イオス王国は、プトレマイオス朝エジプトあたりをイメージしてます。
銀月帝国は古代ギリシャをベースに、中世フランスや近世イギリスもまぜこぜです。
東方平原は、イラン高原やモンゴル高原あたりのあれこれをほどよくつまみ食いしてます。ロムレス王国は古代ローマそのままな感じです。




