透明な扉
前後に分けたり、地の文とセリフのバランスを調整するべきかと色々考えましたが
グダグダやりすぎたので、もう投稿しちゃいます。
無人の部屋に二人の男女が忍び込む。彼らはある目的を果たすためにこの部屋でやるべきことがあった。
「これよ、隼人」
「彩香、本当にやっていいんだな?」
「いまさら? なんのために連れてきたって思ってんのよ」
「分かってる。念のための確認だ」
口論を始めた二人の前には、一つの大きな金庫があった。縦長で外郭は厚い鋼鉄で覆われている。正面にはダイヤル錠がついており、傍目からして開けるのに一手間入りそうな代物だ。
「さあさあ、ここまで来たからにはやってもらうわよ。ほら、やっちゃって」
「はぁ、仕方ないな」
彩香に促された隼人は、しぶしぶといった表情で金庫の扉に手をかけた。
隼人は願う。彩香が狙うものが出てきませんように、と――
――時は少し遡る。ある日、隼人の自宅に彩香が訪ねて来た。二人は幼馴染で、昔はよく一緒に遊んでいたが、最近は顔を合わせたときに軽く話す程度で、こうして家の中で会うのは久しぶりだ。
挨拶はそこそこに、彩香から隼人の部屋で話がしたいと要望が出た。言われるがまま自室に案内したものの、それから彩香は一向に口を開こうとしない。
「どうしたんだよ彩香、用があって来たんじゃないのか」
「うるさい、ちょっと黙ってて。気持ちの整理ってもんがあるの」
「はぁ」
隼人はどうしたものかと思いつつ、自分が用意したお茶に口をつける。その最中、彩香の思い詰めた表情を見て、ふと嫌な予感を覚えた。彩香がこういう顔つきをしたときは大抵とんでもないことを言い出すのだ。以前、男女の体の違いを確かめたいから全裸になってほしいと頼まれたことがあった。最初は彩香の冗談だと思って適当に流していたのだが、急に隼人の服を脱がしてこようとした彼女に恐怖を感じずにはいられなかった。
「隼人さ、あれってまだできるの?」
「は? あれって何」
「昔、箱の中身がなんでも分かるって言って実際当ててたじゃない。」
「あぁ、それね……」
隼人には他人は持ってない力が一つある。扉がついている物体であれば、その扉に触れることで扉自体を透明にし、中身が視えるというものだ。冷蔵庫や衣装ケースはもちろんのこと、取っ手がついていなくても人の手で開けられるものであれば全て中を見通すことができた。一時期その力を使って何か金儲けはできないか、有名になれないかと模索したが、せいぜい手品止まりで下手するとインチキ扱いされそうだし、危険な人物に目を付けられても困ると考え、周りに話すことはしなかった。
それでも隼人は、彩香に一度だけ、この力を見せたことがある。最初は彩香の指定したものの中身を次々と言い当て、得意げにしていたのだが、彩香が種明かしをせがむようになってから雲行きが怪しくなってきた。何せ仕込みなど一切ないのだ。それを彩香に説明しても全く納得してくれず、仕舞いには怒り出した。結局、気まずい形でお披露目会は終わることとなり、それからしばらくの間、彩香は一切口を聞いてくれなくなった。
あれ以来、隼人は力を使うことはせず、時間が経つにつれ、彩香とも普通に話せるようになったのだが、まさか彼女の方からその話題を出すとは思っていなかった。
「どうなの?」
「しばらくやってないから分かんないけど……多分できると思う」
「多分じゃ困るの、今やってみて」
彩香は興味半分で訊いてるわけではないようだ。そう判断した隼人は、自分の机の引き出しに手を触れて久方ぶりにその力を使ってみた。すると引き出しは瞬時に透け、中にある筆記用具やノートの類を確認することができた。
「大丈夫。使える」
「そう……」
浮かない表情をする彩香を見て隼人は困惑した。話の流れからして、この力が必要になったのではと隼人は期待したが彩香の反応は鈍かった。
「ねぇ、その能力って外でも使えるよね?」
「いけるけど、一体何がしたいんだ彩香は」
「金庫に何が入ってるのか見て欲しいの」
「はあ!?」
彩香の言葉を聞いた隼人は思わず後ずさった。
「金庫って、いや、やらねーよそんなの。やるわけないだろ」
「ちょっと落ち着きなよ。安心して、金庫って言ってもうちのパパのやつだから」
「ああ、それなら……ってなるか!」
「なんでよ! 私がいいって言ってるんだからやってよ!」
「ダメだ、ダメだ。お前それ、家族への裏切り行為だからな。分かってんのか?」
「先に裏切ったのはパパの方だもん!」
叫ぶように声を荒げた彩香を前に、隼人は黙り込んだ。
「パパは私の大切なものを踏みにじった。絶対に許さない」
「大切なものって?」
「……言いたくない」
隼人は彩香が涙ぐむ姿を見て、その理由を追求したくなる気持ちを感じたが、ため息をついて抑えた。
「それで、隼人は協力してくれるの?」
「彩香の事情がどうあれ、他人の金庫を調べるってのはちょっとなぁ……それに、中に入ってるものは見通すことができるけど、扉のロック解除はできないぞ」
「開ける必要はないわ。中身が分かればそれで十分よ」
「でも、中身を知ってどうするんだ?」
「私の予想通りなら、パパを糾弾する材料になる」
「おいおい、変なことに巻き込まれるのはごめんなんだが」
彩香は隼人を睨みつけ、彼との距離を詰めた。
「いいから隼人は私の言う通り動いてくれればいいの、悪いのはパパなんだから!」
「分かった、分かった。でも、せめてさ、お前のお父さんが何をしたのかくらいは教えてくれないか。理由次第では協力するからさ」
「だから言ったじゃん。大切なものを踏みにじられたって。パパは娘が大切にしているものを馬鹿にしたのよ!」
「それだよ。その、彩香が大切にしてるものって何なんだ?」
「……それは言えない」
「ちゃんと事情を話してくれないんじゃ、俺も協力しようがないな」
隼人は腕を組み、彩香が話し始めるのを待った。しかし、彩香は口を固く閉ざし続け、部屋には静かに時計の針が音を立てているだけだった。数分後、ようやく彩香が口を開いた。
「もういい」
「あ?」
「私一人でやる」
「やるってお前……何をする気だ。素人が金庫を開けるのは、どうしたって無理だぞ」
「やってみないと分からないじゃない!」
「それがバレたらどうするんだよ!」
「バレないようにやるからいい」
彩香の意固地な態度に頭を抱えながら、隼人は何とかして彩香を説得しようとした。しかし、彩香は聞く耳を持とうとしなかった。このままでは、彩香の親子間の関係がますますこじれそうだと思った隼人は、覚悟を決めるために深呼吸した。
「……どうしてもやる気か?」
「これは戦いなの。一方的にやられたままなんて、私のプライドが許さないわ」
「決行はいつなんだ」
「三日後――って、まさかとは思うけど、告げ口するつもりじゃないでしょうね?」
「言わねえよ。どのみち、お前一人じゃ何もできないからな」
「うるさいわね! ここに来た私が馬鹿だった。もう帰る!」
彩香はずんずんとした足取りで、部屋の扉に向かって歩き出した。
「待てよ、彩香」
「もう放っといて!」
「いいから聞けって。俺の出す条件を飲んでくれるなら手伝ってやるよ」
彩香は振り返り、疑念を含んだまなざしで隼人を見詰めた。
「条件? お金でもせびるつもり?」
「金は要らん……とはいえ、見返りが全くないというのもな、ふむ」
隼人は彩香をじっと見つめた。
「な、何よ、まさか私に変なことしようとか考えてるんじゃないでしょうね。い、言っとくけど、エッチなことは−−」
「うん」
「えっ!?」
「お前の友達で誰か良い人いたら紹介してくれ。あ、彼氏がいない子で頼むわ」
「~~~~~~~っ! バカッ!!」
「え、駄目なの?」
「そうじゃなくて! もうっ、ほんっと信じられない」
「何がだよ……で、どうすんだ、紹介してくれるのか」
「は? 駄目に決まってるじゃない」
「ちっ、それくらいいいだろ。ただ働きさせる気か」
「報酬はちゃんと出す。隼人が納得いくまで話し合ってもいいけど、それって、今じゃないとダメ?」
「だったら、後回しでいい。それじゃあ、話を戻すぞ。さっき俺が言った条件ってのは、金庫の中身次第では、内容を彩香に教えられない。それを了承できるってんなら力を貸す」
「何それ! それじゃ、隼人を呼ぶ意味が全くないじゃない!」
「……あくまで一つの可能性だが、もし犯罪絡みだったら、家族間で話し合おうとして、逆にこじれる可能性がある。それなら、俺から話した方がいいかもしれないだろ」
「え、キモいんだけど。家族の問題に勝手に首突っ込まないでくれない?」
「むしろ巻き込まれてるんだよなぁ……」
「隼人が危惧していることは分かった。その条件、飲むわ。ただし、犯罪絡みじゃなかったら、全て私に教えなさい。いいわね?」
「あぁ、分かったよ……」
隼人はうんざりした表情を浮かべつつ、カレンダーを眺めた。
「さて……3日後か、決行の日ってのは」
「その日はパパ、大事な会議があるって言ってた。そんなときはほとんど遅くにしか帰ってこないわ」
「なるほどな。でも、彩香のお母さんは家に居るんじゃないのか?」
「ママなら、万が一バレたとしても私の味方になってくれるわ。むしろ、それが安心材料ね」
「全然安心できないんだが……」
「さあ、計画を詰めていくわよ」
隼人は不安を感じながらも、彩香の言葉通りに今後の計画を詰めていった。当日までの間、二人は毎日日が暮れるまで話し合い、まるで穴だらけの犯行計画を練り上げ、決行の日を迎えた。決行当日の夜、隼人は夕食を手早く済ませ、彩香の自宅近くでスマホを取り出し、彼女に連絡した。
そこから数分と経たずに、彩香から返信が届いた。裏口に回るように指示された隼人は、人の気配がないか注意深く確認しつつ、指定の場所へと足を進めた。目的地点にたどり着くと同時に、裏口の扉がゆっくりと開き、その中から彩香が姿を現した。
「ん」
彩香は手招きすると、その合図に従って隼人は彼女の家に足を踏み入れた。それから彩香の案内に従い、隼人は彼女の先導で家の中を静かに歩いていった。しばらく進んだ後、彩香は足を止めた。
「ここがパパの部屋よ」
「お前の母さんは?」
「ママは今テレビ見てる。配信サイトでママが好きそうなやつ流してるから、しばらくの間、夢中になってるはずだわ」
「了解。とっとと済ますぞ」
隼人は他人の、しかも大人の部屋に無断で忍び込むことに、緊張と不安を感じつつ、ドアノブに手をかけた。部屋の中は予想通り真っ暗で、彩香が先に入っていくと、彼女は手早く照明のスイッチを押した。闇に包まれていた空間がライトが照らし出され、彩香は自信に満ちた態度で進んでいった。
「これよ隼人、さあやって!」
「ああ」
彩香が指し示した金庫は、とくに変わったところのない、黒い鋼鉄で覆われたダイヤル式のものだ。隼人は金庫に触れようとして一瞬躊躇した。しかし、すぐに気を取り直し、鉄の扉に手を当てた。それから数秒後、隼人は声を詰まらせるようにして扉から手を離した。それを見た彩香が彼との距離を詰める。
「どうだったの!?」
「あ、いや」
隼人は彩香の質問に答えることなく、再び金庫の扉に手を当てた。そして、見える角度を変えて中身をつぶさに確認しようと姿勢を細々と動かす。それでも納得がいかないのか、今度は顎に拳を寄せて深く考え込むような様子を見せた。彩香ははじめ、じっとそれを見つめていたが、やがて我慢できなくなり、隼人の肩を揺さぶり始めた。
「ねえねえ、何が入ってるのか見えたんでしょ。教えてよ」
「その……見間違いかもしれんし、もうちょっとよく」
「いいから教えなさい!」
彩香の剣幕に押される隼人だが、それでも頑なに口を開こうとはしなかった。
「まさか言わないつもり? あ、そう、いいわよ。そっちがその気なら、もう学校で一切口聞かないし、勉強も金輪際見てあげないから」
「ま、待て! 言っただろ、話すには条件が――」
「何、犯罪絡みだって言うの?」
「えっと、それは……」
彩香はすっと冷めた目で隼人を直視したあと、スマホを取り出した。
「だったら、警察呼ばなきゃね。番号は、1、1――」
「本、ただの本だ! 違法性ゼロだよ!」
「そう、どんな本?」
「あー、どんなっていうと、なあ?」
「エロ本でしょ」
隼人は目を皿のようにして、彩香を見た。一方、彩香は確信したように目を細め、嘲るように唇の端を吊り上げた。
「はっ、やっぱりね」
「彩香? お前、もしかして知ってたのか」
「そうよ! ぜっっったいここにあると思ってた。うふふぅ~、いいじゃない。これを使ってパパを追いつめてやるんだから……」
これまで見たことのない彩香の振る舞いに、隼人は驚きを隠せなかった。
「お、おい、彩香、何もそこまでしなくても……」
「あ、ちょっと待ってて隼人。ママ呼んでくるから」
「え? あ、おい、ちょっと――」
隼人が制止するよりも早く、彩香は扉を開けて外に駆け出してしまった。
「呼んでくるって……ここに?」
呆然としたまま、隼人は金庫に目を向けた。これまでの出来事を無かったことにできないだろうと、ぼんやりと考えた。そうやって金庫を眺めているうちに、パタパタと二つの足音が聞こえてきた。思わず振り返ると、彩香と彩香の母、珠樹が姿を現した。
「も~、彩香ちゃん。ママ、ドラマを観たいって言ってるのに~。あら? 隼人くん、どうしてここに?」
「ど、ども」
「隼人は私が呼んだの。それよりもママ、聞いて! あったのよ!」
「だから、何があったのってさっきから聞いてるじゃない」
「パパの、エロ本!」
「まあ」
してやったりといった表情で声を上げる彩香と、目を丸くする珠樹。その傍らで佇む隼人はどうすればいいのかわからず、ただ突っ立っていた。
「あとはパパが帰ってくるのを待つだけよ」
「ふうん。ねぇ、ママもそれ見てみたいんだけど、どこにあるの」
「金庫の中」
「あら、金庫の鍵、開いてたの?」
「ううん。隼人に頼んで中を見てもらった」
「ええ~、隼人君、そんなことができるの?」
隼人は、ええ、とも、うん、とも言えない、曖昧な返事をした。
「へえ~。あぁ、でも駄目じゃない。そんな勝手なことしたら、パパに怒られるわよ」
のほほんとした表情でやんわりと注意する珠樹に、隼人は拍子抜けした。もっと厳しい反応を予想していたが、珠樹はその気がないようだった。
「いいの。嘘ついてたのはパパなんだから。さ、リビングでお菓子でも食べながら、帰りを待とうよ」
「ママもドラマの続きを早く観たいわ~。あ、隼人君も来るでしょう。久しぶりにゆっくりしていってね」
「あ、はい」
隼人は部屋に勝手に入ったことや金庫に勝手に触れたことを怒らないのだろうかと疑問に思ったが、珠樹がまったく気にする素振りを見せないので、なんとなく二人の後についていった。
リビングでは珠樹が用意したお菓子や紅茶を口にしながら、彩香と珠樹がテレビで観ている作品についてあれこれ言ってるのを横目に見ていた。隼人は場違いな思いをしながら、ただ時間が過ぎるのを待つだけのなかで、誰かの気配を感じた。隼人と同じく、その気配を感じ取った珠樹が立ち上がる。
「あ、パパ帰ってきたわね」
「いよいよね……」
意気込む彩香を見て、隼人もだんだんと緊張してきた。結果はどうあれ、ろくなことにならないのは目に見えている。金庫の中身が分かった時点で、隼人は帰りたいと思ったが、首を突っ込んでしまった以上、このまま何事もなく帰ることはできないだろうと、半ば諦めの境地でここに留まることにした。そしてとうとう、金庫の持ち主である彩香の父、善治が姿を現した。
「ただいま……おや、隼人くんじゃないか、来てたのかい」
「おかえりなさい、あなた」
珠樹は善治の元へ近寄り、彼から手荷物や上着などを受け取った。少しラフな格好になった善治は視線を隼人に戻した。
「隼人くんはこんな時間まで外に出てていいのかい、ご両親も心配されているだろう。私が車で送っていこうか」
優しく帰宅を促す善治に、どう答えていいか迷っていた隼人をよそに、彩香が口を開いた。
「いいのよ、パパ。隼人にはまだ居てもらわなくちゃ。もともと、今日来るって約束してたし」
「おいおい、私はそんな話聞いていないぞ。珠樹も、こんな時間まで彼を引き留めるなんて」
「ごめんなさい。隼人君がうちに来てくれるの久しぶりだから、つい、はしゃいじゃって」
「やはり私が送っていこう。珠樹、私のジャケットに車の鍵が入ってるから、取ってくれ」
「パパ。隼人を家に送る前にやるべきことがあるんじゃないの?」
帰ってきてからの善治は口や表情を忙しなく動かしていたが、そこで初めてぴたりと動きを止め、彩香に意識を集中させた。
「何か話したいことがあるようだな、彩香。彼を呼んだのもそのためか?」
「そうよ」
「前もって言ってくれれば、ちゃんと時間を作る。何もこんな夜遅くに……隼人君が、気の毒じゃないか」
「今日じゃないとダメだったの。パパの隠し事を暴く必要があったから」
「ははは、いきなり言うじゃないか。隠し事とはいったい何のことだい?」
「パパの金庫」
ぽつりと呟いた彩香の言葉を聞いて、善治の表情から色が抜け落ちた。
「……まさか、あれに触ったのか? しかし、ちゃんと鍵が――」
「そのための隼人よ」
彩香がにやりと笑う。善治ははっと気付いたように顔を彼の部屋がある方角に向け、そのまま走り出した。残された三人は善治の後を追った。彼は予想通り、自分の部屋に駆け込んでいて、慌てふためきながら金庫に取りつき、異常がないか執拗に確認していた。そして、三人の存在に気付くと、金庫を背に隠すようにして彼らの方に振り向いた。
「彩香、人をからかうにしては度が過ぎてるようだ。隼人君を送り届けたら、きちんと話を――」
「それ、エッチな本が入ってるんでしょ」
善治は誰が見ても分かるくらい狼狽した。
「ふ、ふふふ。何を馬鹿なことを。そうか、珠樹、お前が彩香に変なことを吹き込んだな?」
「いいえ~、私は何も」
彩香は一歩進むと、善治に向かって指差した。
「いいよ、もう隠さなくて。そこにあるもの、ぜーんぶ分かっちゃったから」
「彩香、いい加減にしなさい。隼人君も居るんだぞ」
「そっか。まあ、娘にバレたなんて信じたくないもんね。だったら、教えてあげる」
彩香は後ろにいる隼人の方を振り向いた。
「隼人、言って」
「えっ」
「金庫の中に入ってる本のタイトル。見えたんでしょ」
「ああ……え、ここで!?」
「ここで言わないで何処で言うのよ!」
「隼人君?」
善治の訝しげな表情を見て、隼人は言葉にするのをためらった。隼人と彩香は幼いころから付き合いがあって、善治にもよくしてもらっていた。そんな彼の恥部を暴こうというのだ、無理もなかった。
「なあ……せめて、珠樹さんが居ないところで……」
「これは家族の問題なの。早く言っちゃいなさい!」
隼人は時折善治の方をちらりと見るたびに、彼の表情がますます硬直していくのを感じ取っていた。おそらく彼も相当緊張しているのだろう。いっそ楽にしてやるべきだと決意した隼人は、思い切って口を開いた。
「……ゆりみこ神事」
「なっ!?」
善治が声を上げて一歩後ずさった。隼人はいたたまれくなったのか、視線を床に移して先を続けた。
「『乙女の花園と指導室』、『わたしはあの子の奴隷』、『女子校の朝、ベッドのなかで繰り広げられるティータイム』……」
「あ……あ……あぁ……」
隼人がタイトルを読み上げるたびに、後ずさる善治は机の角にぶつかり、机の上にあったものが床に散らばってしまった。それにもかかわらず、床にしゃがみこんだ善治は両手で耳を塞ぎ、全てを否定するように激しく頭を左右に振った。
「パパ、まさかの百合もの!?」
「あなた……」
「陽キャ女子が寂しんぼ陰キャ女子にクリクリアタッ――」
「もうやめろぉ! やめてくれえ!!」
善治の悲痛な叫びが部屋のなかに響き渡り、その場にいる全員が言葉を失ってしまった。
「……すごいな隼人君。どうやったのかは分からないが、金庫破りができるとは驚きだよ。彩香に頼まれたのかい」
「あ、え、はい……」
「そうか、そうだろうな」
力なく笑う善治を見て、隼人の心はぎゅっと締め付けられた。
「で、でも、おじさん。別にこういう本持ってるからって何もおかしくは――」
「そこまでよ、隼人。ここからは家族で話すわ」
彩香は善治の元へ歩み寄ると、蔑むように彼を見下ろした。
「パパ、このまえ私に言ったよね。清く正しく生きるべきだって。で、どの口が言ってんの?」
「彩香、聞いてくれ。私はただ――」
「やめてよ、パパの御託はもううんざり」
「わ、私はただお前のためを思って……」
「やめてってば! 金庫で後生大事にエロ本抱え込んでる親の言うことなんて聞けるわけないでしょ!! もう二度と話しかけてこないで」
「あや、か……う、うぅ……」
嗚咽を漏らす善治。隼人は自分の行動が親子の関係を壊してしまったことを後悔していた。この能力さえなければ、今ごろ家族で楽しい時間を過ごしていたかもしれない。しかし、もはや手遅れだ。せめてこれ以上事態が悪化しないよう、出来ることはないかと隼人が考えを巡らしている横で、これまで黙っていた珠樹が口を開いた。
「も~、善くんが厳しくするからこうなるんだよー」
「た、珠樹?」
「あのね、善くん。どうして彩香が金庫を調べる気になったんだと思う?」
「え……そ、それは私がここに隠してたことを知って――ん?」
「普通、金庫にそんなものが隠してあるなんて思わないよね?」
「ま、まさか……」
「うん、私が教えたの」
「珠ちゃん!? どうして!」
善治の顔からはすでに生気が消えていたが、愛する妻に裏切られたという事実を知って、彼の表情はさらに青ざめた。
「だってぇ、善くんも彩香と同じ趣味を持ってるのに、彩香だけ叱りつけるのは可哀想じゃない」
「ちょ、ちょっとママ! 隼人がいるのに変なこと言わないでよ!」
「あ、ごめんなさい。違うの、隼人君。勘違いしないでね、彩香は好きなのは百合じゃな
くてBLものだから」
「そこじゃないいいいいい!」
珠樹は彩香の必死な姿を見て、ふと思い当たった。
「え、もしかして、彩香の持ってるエッチな本がパパに見つかって怒られた話、隼人君にはしてないの?」
「わーわーわーっ!!」
彩香は珠樹の口を自分の手を塞ぐと、隼人の方へ振り向いた。
「は、隼人……?」
「……大丈夫だ、何も聞いてない。家族の問題を話しているところに俺が居るのもなんだし、ちょっとあっち行ってるわ」
隼人はそのまま部屋を後にしようとしたが、彩香は飛び掛かるように彼の肩を掴んだ。
「誤解よ、隼人。誤解なの、とりあえずこの部屋を出たら、殺すから」
「わ、分かった……」
珠樹は二人の様子を見て微笑むと、再び善治に意識を向けた。
「ね、善くん。これで分かったでしょ、自分の趣味を家族に否定されたら、どんなに辛い気持ちになるか」
「それは――た、たしかに、僕は、彩香にきつく言い過ぎたかもしれない。でも、それは――」
「はい、善くんはそこでストップ。次は彩香の番」
「え、私?」
「うん、パパが彩香と同じ趣味を持ってて、どう思ったかな~って」
「どうもこうもないわ。同じ趣味? 冗談じゃない、自分だけ聖人ぶって娘を糾弾するような人と一緒にしないで」
彩香にきつく睨まれた善治は思わずうつむいた。珠樹はその様子を見て、困り果てたように頬に手を当てて呟いた。
「そうよねえ、パパったら、身内バレを避けるために金庫まで用意するとは思わなかったわ。いくら彩香のためにとは言っても、やりすぎなのよねー」
「はぁ? 私のため? ママ、それってどういうこと?」
「パパね、彩香が産まれたとき、こう言ったの。『僕はこの子にふさわしい父親になる。そのためにやれることはなんでもやる』って。そのときは深く考えなかったんだけど、家に帰ったらびっくり。パパが大事にしてたフィギュアや本、DVDが全部消えちゃってた。わけを聞いてみたら、立派な父親になるから仕方ないって、少し辛そうな表情で笑ってたけど、彩香を見てすぐ元気になったわ。それからは彩香も知っての通り、仕事一筋で今日までずーっと頑張ってくれてたの」
彩香は困惑した表情でちらりと善治を見た。
「そ、それが何? だからパパを許せっていうの? 私のためって言いながら、結局、パパの勝手な理想を押し付けてるだけじゃない」
「う~ん。許す許さないっていうより、パパのやり方がちょっと極端っていうか……」
彩香と珠樹が口を噤んでしまった間を縫うかのように、善治が口を開いた。
「彩香の言うとおりだ。私は、自分が潔白であろうとするがあまり、娘にまでそれを求めてしまい、その結果、彩香を傷つけてしまった」
善治は金庫へ顔を向けると、そっと手を添えた。
「それに私は、過去を捨てきれなかった。始めから間違っていたんだよ、私は」
「善くん……」
珠樹は善治の傍に歩み寄り、金庫に添えた彼の手に、そっと自分の手を重ねた。
「大丈夫よ、善くん。彩香ならきっと理解してくれるわ。あなたがこれまで一生懸命頑張ってくれたおかげで、私たちは幸せに暮らせてきたんだもの。これからは少しその歩みを緩めて、人生を楽しんでいきましょう、ね?」
「珠樹……」
珠樹はくすりと笑い、金庫に視線を送った。
「まあ、その心配もなさそうだけど。新作、買ってたのね」
「え」
「隼人君が読み上げた最後の作品、あれ最近のでしょ。昔、そんなの持ってなかったよね」
「あ、え、え、それは……」
「なんだっけ、陽キャ女子が寂しん――」
「うわーっ! た、珠ちゃ――言わなくていい!」
必死に止めようとする善治を無視して、珠樹は立ち上がった。
「彩香、この通り、パパも趣味をやめられなかったんだから、彩香も気にせず続けなさい」
「ふ、ふん、言われなくても、やめるつもりなんて毛頭ないわよ」
「ついでにパパのことも許してあげて」
「えぇー! 絶対やだ!」
「も~、いいじゃない。ママのおかげで金庫のことが分かったんだからー」
彩香を宥めようとしている最中、善治がゆっくりと立ち上がった。
「そ、そもそも、珠ちゃんが金庫のこと教えるから……それと彩香にまだ言ってないことがあるだろ」
「あら、何かあったかしら」
「惚けたって無駄だぞ。いいか彩香、珠ちゃん――ママもエッチな本をたくさん隠し持ってるんだ。しかもケモナー本だぞ!」
「ママ!?」
「あらら~」
目を大きく見開く善治、てへっと笑う珠樹、そんな両親を問い詰める彩香。そんな彼らを眺めながら、隼人は静かに口を開いた。
「あの……俺、もう帰っていいすか?」