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二度とその汚い口をひらくな

 ヴィンセントが男に歩んで、胸倉をつかみ上げる。見えたヴィンセントの横顔は、殺気と凍てつく温度で、まさに先ほどナイフを向けられたときのようにわたくしの体から一気に熱が引く。


「失せろ。二度とその汚い口をひらくな」


 ふだんの会話と同じ声量で、けれど声には爆発しそうな感情がつまっていて、それが余計に怖かった。


 男が意味のない声を発して、ヴィンセントを振りほどこうと暴れ始める。あまりの力だったのか、男がヴィンセントの手から逃れてわたくしのほうへ転がり出る。とっさに持っていた扇子を投擲していた。


 男が潰れた声をあげる。扇子の先が見事に男の喉に命中したのだ。


 駆けてくる靴音とともに、路地の入口に黒い外套のルイが現れる。ルイは男に走り寄ると、素早く男を後ろ手に固定して立ち上がらせた。


「申し訳ありません。遅くなってしまい」


「連れていけ」


 ヴィンセントの言葉に、ルイは男を引っ張って大通りのほうへ消えていった。


 うそのような静けさが訪れる。


「ええと……あの……あ、ありがとう。助けてくれて……ヴィンセント」


 不安になって名前を呼んでしまったのは、ヴィンセントが男に対して信じられないほどの殺気を向けていたからだ。


 振り向いたヴィンセントはわたくしからすぐに目をそらして、痛々しい表情になった。


「礼を言われる立場じゃないよ。気を付けきれなかった僕の責任だ。恐ろしい思いをさせてしまって本当にごめん」


「あなたが悪いわけじゃないわ。わたくしの不注意だったし……あの人、殺されてしまうの?」


「警察に引き渡しに行っただけだよ。どうするかは彼らが決めることだ。僕は殺してしまってもいいと思うけどね」


 ヴィンセントの物言いが、鋭く、冷たく、憎悪に満ちている。基本的に誰に対しても物腰柔らかでひょうひょうとしているふだんとはあきらかに違う。


 わたくしを危険な目にあわせた奴に優しくする必要はないということかもしれないけど。殺されていたかもしれないし。


 男が路地に落としていったナイフが目に入って、思い出したように体温が引いて背に冷や汗があふれた。今まで忘れていたのがうそのように脚から力が抜ける。路地に力なくへたりこむ。


「ヘレナ!」


 ヴィンセントが慌てた顔でそばにしゃがみこんで背に手を回してくる。


「情けないけど、でも、やっぱり……怖かった」


 今さら、体の中から震えがやってきた。こんな時間差でへたりこまれてもヴィンセントも困るだろう。ごめんなさいねと何とか立ち上がろうとしたとき、体が浮いて悲鳴をあげていた。


 ヴィンセントの顔が間近にある。抱き上げられて、いる。


「ちょっと! 何してるの下ろして!」


「馬車まで運ぶから。じっとしてて」


「ちょっといいから! 自分で歩けるわ!」



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