第二話 デネブ 3
・去年の春、十三駅近くの病院でお母さんを亡くした日、道に迷ってこの家に着く。
・ルミ子さんに助けられて、イケメンに反対されたけど、この家で過ごす様になる。
事情は違うけれど、この家に住むようになった経緯が、僕と彼女は一緒だった。
・梅雨に入り、ルミ子さんが入院し、この家とお店を渡す代わりに看取ってくれと頼まれる。
この家の持ち主だった、ルミ子さん。去年の夏に亡くなっているらしい。
・一度面倒を見たら、きちんと見なさい。そう、ルミ子さんは言っていた。
ルミ子さんのお陰で、今、僕はここに居られてるんだろう。
洗濯洗剤がほのかに香るティシャツとハーフパンツ。少し迷ったがトランクスも着替え終え、ベルト以外全部入れ洗濯を開始した。
ドラム式洗濯機の中ぐるぐる回る服を見ながら、思い返す。
・お母さんが死んだ日、妹に化け物と言われた。それでも、なでしこさんは妹をほめる。
僕は妹がいない。弟は出来たけど、まだ二歳にもならない。半年前はまだしゃべってなかった。
これから大きくなって、母さんが死んで、その日に同じことを言われたら。
僕は、先ほどの彼女の様に、楽しそうに他人に話すことなんか出来ないだろう。
……なでしこさんは、少しでなく、……かなり変わっている。
僕は、両親の再婚のことや、その辺りからの自分の気持ちを誰かに話したくなんかない。
同情されたり、何か言われたくなくて、産まれた病院から同じ幼なじみの井口にさえ話していない。
何にも知らない人間なんか、余計に話したくなんかない。
――――彼女は、どうして、僕に話したんだろう。
「変な勘違いすんなよ。なでしこは、ルミ子さんの真似をしているだけだ」
突然の低い声に、大きな声を上げそうになった。
「どこまで聞いた」と、いきなり現れたイケメンに言われ、僕は心臓がばくばくしながら答えた。
「……去年の春、迷ってここに着いてからと……ルミ子さんのこと」
「血縁関係がない人間に不動産を譲る手続きって、めちゃくちゃ面倒くせえんだぞ。しかも、なでしこのヤツ、印鑑証明って何か分かってないレベルだったからな。あの時と同じこと、二度としたくねえわ」
「……あんたが、助けてやったのか」
僕の額を大きな手で強く押し、イケメンは左の壁へ進んだ。
額から落ちた、小さく白い長方形の紙を拾うと。
【きぬがさ法律事務所 弁護士 金剛寺 誠志郎】
そう黒い文字で書かれ、名前の横に十三駅近くの住所と電話番号が書かれていた。
「芸名じゃねえぞ、タバコ吸うから向こうむいとけ。話聞いて、なでしこのことどう思った」
扉を上半分開けて、すごく強そうな名前だったイケメン、金剛寺が言った。
考えていると、金剛寺は胸ポケットから黒い箱を取り出し、白いタバコをくわえる。左手にしている銀色で細長いものはライターだろう。蓋を開くと、カチンととてもいい音がした。
「おい、向こう向いとけって、吸いづらいだろうが」
慌てて言うとおりにすると、少しして、タバコの独特な匂いが香ってきた。
「……洗濯物、タバコの匂いつくんじゃ」
「ここに干してあるの全部俺のだから、お前が着てるのもな」
「……何で、裏に住んでるって」
「最近忙しいから頼んでる。あと、ルミ子さんが死んでから、しばらくはここで一緒に住んでたぞ」
聞こえる音が、洗濯機の音と外からのセミの声だけになったあと。
「お前じゃなくても、なでしこは助けたし。一緒に住んでたぞ」
僕の母さんに、義父さんも吸わない。初めての身近にあるタバコの匂いに、「分かってる」とは返さなかった。
「お前、メンヘラって知ってるか。あいつはメンヘラで面倒だから、やめとけ」
聞いたことはあるけれど、よく知らない単語。僕はふり返り、薄い煙の向こうに言った。
「そんな風に、あの人のことを言うな」
なんとなく、よくない意味の言葉と分かっている僕は言い。眉間にシワを寄せた金剛寺は背中を向け、僕は続けた。
「話を聞いて、だから、僕を助けてくれたのが分かった。ルミ子さんのことも、……なでしこさんが、どう思っているか分かった」
いなくなって一年経ったのに、あんなに嬉しそうに話す。それは、なでしこさんにとって、ルミ子さんがとても大切だった人だからだろう。
……そういえば、妹のことを話すときとは、似ている様で違っていた。
そう思ったとき、
「……何も知らないくせに、……馬鹿野郎」