第二話 デネブ 2
「去年の春、末期ガンで入院してた私のお母さんが死んじゃったのね。その日ね、病院から歩いて五分の十三の駅に向かって歩いてたはずなんだけど、ここにたどり着いてね。三月の終わりなのに雪がちらちらしてて、寒くて、ベンチで休んでたら、ルミ子さんに家に押し込まれたの。一晩泊めてもらって、私、しゃべれなくなっちゃってて、家も行く場所もなかったから、なでしこって名前をつけてもらって、面倒を見てもらうことになったの」
濃いブルーのシーツを干し終えたあと。彼女に言われたとおり、バスタオルを両手に広げ二十回振ってから干した。
「こうしたらふわふわになるんだって、せいちゃんが教えてくれたの。えっと、どこまで話したかな。えっと、面倒をみてもらうことになって、ああ、さっきみたいに、私がここに住むの、せいちゃんが反対してたなあ」
ふふっと笑い、なでしこさんはバスタオルを干す。その姿は、洗濯洗剤のCMを見ているみたいだ。
「偉そうだけど、せいちゃんもルミ子さんに拾われてたんだよ。あ、それでね、私、生活能力がなかったみたいで、ルミ子さんとせいちゃんに色々教えてもらったの。輝君、その頃の私なんかより、色々出来てすごいね」
綺麗な笑みを向けられ、僕は両腕で大きく振るタオルに視線を落とした。
「しゃべれないままだったけど、お家のことが少しづつ出来るようになって、ルミ子さんのお店を手伝うようになって、ここで暮らすのに慣れて、梅雨に入って。ルミ子さんが倒れて入院になって、余命が二ヶ月って言われて、私に、このお家とお店をあげるから、看取って欲しいって頼まれたの」
僕の上がった熱がしゅんと引き、彼女は明るい声で続けた。
「良くなったり、悪くなったり、お母さんと同じ病院に通って、八月に入ってすぐにルミ子さん……」
僕が「なでしこさん」と大きく言うと、彼女は首を傾げた。
「……えっと、……あの、…イケメン、……せいちゃんは、何者なんですか?」
「イケメン」と首を傾げられ、くやしいけれど「朝ご飯のとき居た男の人です」と言う。
「ああ、せいちゃん、イケメンなんだねえ。良かったね、褒められたよ」
なでしこさんは今いないイケメンに言い、バスタオルを振りながら続けた。
「せいちゃんは、この家の裏に住んでて、十三駅の近くの事務所に勤める弁護士さん。私が、ちゃんとしてるかどうか、毎日見に来てくれるけど意地悪なんだよね。私のみっつ上なんだけど、なんか、厳しいお父さんみたい」
「本当のお父さんは優しいの」となでしこさんは少し違う笑みを浮かべ、続ける。
「お母さんのお葬式に出なかった私に、いつでも帰って来ていいよって言ってくれるくらい。優しくて、ごめんなさいって思っちゃう。こんな自分で」
明るい声に、ぎゅっと胸が痛くなって、
「……分かります、……自分が、嫌になりますよね」
つい、自分と重ねた言葉がもれてしまった。
「すごいねえ、輝君。私、そういう風に思える様になったの、ここに来てからなの」
「一緒にするな」と言わなかった彼女は、僕に笑みを向けて続ける。
「私、お母さんが死んだときに、妹から言われたの。お姉ちゃんは、人間の感情が分からない、周りの人間を不幸にする化け物だって。私は、やっと気づけたの。気づかせてくれた私の妹って、本当に頭がよくて、私なんかよりすごくかわいい子なんだよ」
僕は、何を言ったらいいか分からず、なでしこさんは笑んだまま「さて」と言った。
「輝君、今着てる服、お洗濯するから脱ごうか。大丈夫、今日は天気がいいから午前中で乾くよ」
熱い顔で「自分で」と、洗濯機の使い方を教えてもらう。着替えを渡してくれ、彼女は一階へ降りていった。
僕は着替えながら、話してくれた事を頭の中で整理する。