第二話 デネブ 1
第二話 デネブ
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夏休みが始まる前日、一人暮らしのアパートの部屋に住めなくなった。バイト先がしばらくなくなった。バイトの配達途中意識をなくし、お化け屋敷で目を覚ました。
全部、夢じゃなかった。
「多分ねー、熱中症だったと思う。梅雨明けから輝君で三人目だよ、あそこのベンチの人運んだの」
お化け屋敷に住む僕を助けてくれた恩人。すごく失礼だが、初対面のときはおばけに見えた。
外観はお化け屋敷、中は明るく新しい家。実家に帰りたくない僕が住むことを許してくれた、なでしこさん。
夢ではない、僕が意識を失っている間のことを教えてくれた。
「この辺りってお年寄りが多いんだけど、家の前のベンチに一休みのお年寄りじゃない人が座る時は、緊急事態だって。ルミ子さんに、色々教えてもらってたから。輝君に、前のふたりは、熱中症って分かった。ふたりはすぐに救急車を呼んだんだけど、輝君は、救急車と病院は嫌って、これ以上家に迷惑をかけたくないからって」
無意識の僕のわがままを聞いてくれ、彼女は一晩中、僕の体調を見ていてくれたらしい。
「途中、何度かうとうとしちゃったよ。ごめんね、もしかしたら手遅れになってたかも。君の面倒を、きちんと見られてなかったかもしれない」
そうなっていたときは自業自得ですと返すと、彼女はきっぱりと言った。
「一度面倒を見たら、きちんと見なさい。ルミ子さんが言ってたの」
この家で目が覚めてから、イケメンと彼女が何度も口にする名前『ルミ子さん』。
朝ご飯のあと、イケメンは出て行き。洗い物を手伝い、洗濯を手伝う為ふたりで二階に上がり、僕はルミ子さんが何者か聞いた。
「何者って、えっと、この、見た目がおばけ屋敷の家に住んでたひとでね」
僕が「ごめんなさい」と言うと、彼女はくすりと笑う。
「私が、ルミ子さんに初めて会って、家に入れてもらったときに思ったの。外から見たらおばけ屋敷なのに、何で中はきれいなのって」
僕が思っていた事を言い、彼女はきれいな二階の部屋を進む。
木の床と天井と壁は白、左の壁だけ一面薄いピンク色。奥の全面ガラス越しの光に照らされた部屋は、女子という雰囲気。八畳ほどで、家具がひとつも置かれていない。
「こんなばあさんに、こんなかわいらしい部屋って思ったろ。死ぬ前だから好きにしたんだ」
先を歩くなでしこさんが低い声で言い。全面ガラスの前で止まり、ピンクの壁を指さして続けた。
「この壁の色はね、なでしこ色って言うんだ。そうだ、あんたの名前はなでしこ、呼ぶときに名前がないと不便だろ」
なでしこさんは僕に向き、にっこり笑って言った。
「名前をつけてもらって、今までとは違う世界で働く。あの、有名ファンタジーアニメ映画みたいでしょ?」
僕がタイトルを言うと、「それ!」と言い、彼女は髪の毛をひとつにしばる。
「あのアニメでは、主人公の女の子は人間ってバレないよう口を閉じてやり過ごすんだけど。この家に来たときの私は、化け物だから口を閉じたままだったの」
先ほどから、よく分からないことを言う。彼女はガラスの戸を引いて「こっち」と手招きし、一緒に戸の外に出た。
「お洗濯はここで全部出来るの、雨風関係ないのすごいよねえ」
横切った部屋の縦半分ほど、長方形の天井がガラス張りの部屋。濃い茶色の木の床、右の白い壁にはドラム式洗濯機と洗面台に縦に細長い戸棚。正面と左は床と同じ濃い茶色の格子がついたガラスの壁。
天井から銀色の物干し竿が吊されているけれど、僕は充分住める。明るくて綺麗な空間。
「このスィッチでねえ、天井の扉とカーテンの開閉が出来てね、洗濯機の上に除湿付きの冷暖房もついてるんだよ」
壁のスィッチを操り、楽しそうな顔で彼女は続ける。
「ルミ子さんがいなくなって、私、この部屋で暮らしたいって言ったのに、せいちゃんにダメって言われたの。お葬式が済んでから、何回か、この部屋から飛び降りようとしちゃったから。ルミ子さん、去年の夏に末期ガンで死んじゃったの」
長い髪の毛で隠れていない彼女の表情。話す内容とちぐはぐだ。洗濯が済んでいるシーツを一緒に干しながら、僕は口を開かず、なでしこさんの話を聞いた。