第七話 アステリズム 3
「大変だったな、うちの誠志郎がふがいないばっかりに。しんどかったなあ」
がしゃがしゃと頭をなでられて、下を向き涙を我慢した。
「あそこが風呂場、誠志郎が掃除してて綺麗だからな。シャワー浴びてさっぱりしてからご飯食べような」
バスタオルと着替えを渡され、涙を落とさないよう、下を向いたまま指さされた扉に向かい入った。
お風呂と洗面台とトイレが一緒になっている部屋は、言う通り綺麗だった。洗面台の鏡に自分の情けない顔が映り、ぱんっと両手で叩いて服を脱ぐ。
初めて使う造りに少し戸惑い、カーテンを閉めてシャワーを浴びシャンプーとボディソープで全身を洗った。
着替えはティシャツと七分のパンツ。以前金剛寺に渡されたのと一緒のモノに着替えたあと、洗面所の鏡に映る髪の毛が濡れた僕は少しマシな顔になっていた。
バスタオルで髪をふきながら出ると、丁度いい冷気を感じ、初めての法律事務所を見回す。
先ほど衣笠さんが上半身を出していた窓の前、その向いにふたつの机。どちらの机の上にもファイルや紙の束がたくさん乗っていて、机のそば天井までの高さで横幅もある本棚は本とファイルでぱんぱんだ。
机と本棚から少し離れて、パーテンション越しにソファがふたつ並んでいるのが見える。
ひとつのソファの上にはきちんと畳んだ掛け布団、もうひとつのソファは寝て起きたままだろう丸まった掛け布団と脱ぎ捨てられた服があった。
「あ、そっちは、仮眠室ね。見て分かると思うけど、誠志郎のソファ使ったらすげー怒られるんだよねえ」
衣笠さんは「お客様はこっち」と、僕の肩を持ってうながす。連れてこられた本棚の裏はソファセットが置かれていて、失礼だが「仮眠室」とは違うきちんとした雰囲気だった。
「座っててな。もう少しで出来るから」
窓際の黒いソファをすすめられ、座る前に言った。
「……あの、何か、焦げ臭くないですか」
衣笠さんが、入り口からすぐの扉の中に入る。後を追うと、薄い煙に全身が包まれた。
「あーごめんね。もう一回、シャワー浴びなきゃだなあ」
焦げている魚をさい箸で持ち眉毛をハの字にした衣笠さんの様子に、小さく笑ってしまった。
「笑えて良かった。あとは飯食って、ぐーぐー寝て」
「忘れるだけだ」と衣笠さんは背中を向ける。ふたりで居るには狭い、コンパクトな台所。「あっちで待ってて」と言われたけれど、「手伝います」と言い流しで洗い物を始めた。
「魚、ダメになっちゃったけど。卵は、ほら、このとおり!」
分厚く黄色いだし巻き卵の皿を衣笠さんが見せてきて、僕は聞いた。
「……忘れるって、何をですか」
「怖いこと全部忘れて、おうちに帰りなさい。朝ご飯食べたあと、おっちゃんが送ってくからな」
僕は、全身が冷たくなり、「そんな」とぼそりこぼす。
「ひかりん怖かっただろう。誠志郎はあとからボコボコにして、いろはちゃんにはきつく説教しておくからな。だから、今日あった事を、ご両親に言わないでもらえるとありがたい」
言われたことを頭でくり返し、いつの間にか苦くなっている口で言った。
「……言いません。……それに、ふたりにそんなこと…」
「君はまだ未成年で子供だ。それなのに、いい大人ふたりが巻き込んで利用した。刑罰を受けてもいいような事をしたんだから、甘いぐらいだ」
僕が反論する前に、衣笠さんは続けた。
「君が否定したとしても、そうなんだよ。君は話さないだろうが、今日君が巻き込まれたことをご両親が知れば、確実に警察が動くだろう。法律でも、刑法でも、倫理的にも、大人が子供を危険な目に合わせることは許されない。おっちゃん、色んな犯罪のなか、大人が子供をひどい目に合わせるのが一番重罪だと思う」
僕は口を開けず、笑みを消した衣笠さんが続ける。
「もう一度言おう。君が否定したとしても、子どもを大人が利用する罪をふたりは犯した。これ以上、君とふたりを一緒にしておく訳にはいかない」
初めて聞く真面目な衣笠さんの声が、僕の口の中をどんどん苦くしていく。
「君を彼女の家に置くのを反対しきれなかった、誠志郎の責任が大きい。彼女の妹のゴタゴタを感知していたのに、彼女のワガママを聞いて、君のことを考えず許した。まあ、ここまでの事態になるとは予想出来なかったのは仕方ないとしても、何か起きるかもしれないと分かっているのに、彼女の家に君を置いたのは無責任もいいとこだ。いい大人として最悪の行為だ。そして、今日、彼女を取り戻すのに君を使ったことは」
「クソだよ」と衣笠さんが言い、僕は「違う」と返した。
「じゃあ、ご両親に、この夏休みのことを話せるかい。ふたりに迷惑がかかるのを抜きにしても、話すことは出来ないはずだ。だって、君は、ご両親に心配をかけたくないとてもいい子だからね」
僕は何も返せず、下を向くしか出来なかった。
「おっちゃんな、ルミ子さんから頼まれてるんだ。ふたりの頼りない子供を頼むって。あのふたりがそれぞれの約束を守ってる様に、俺も守ってる」
「飯、食うか?」と聞かれ、僕は首を左右に振る。
「ご両親に心配をかけてまで、輝君はふたりと居たいか?」
ずるいと思ったけれど、首を左右に振った。
「あのふたりが、君ぐらい精神的に大人になったら。また遊んでやってな」
そう言ったあと、「行こうか」と、衣笠さんは僕の背中に温かい手をそえた。




