第六話 レグルス 5
学校を過ぎ、176号線の高架下の交差点で赤信号に止まる。
「……さっきから、何なんだよ」
「輝、人間には火事場の馬鹿力ってもんが備わってる。プラザ淀川からあいつを背負って学校に逃げ込め。これからすげえ汚え会話を聞いてあいつを助けるか、このまま車を降りて実家に帰るか、選べ」
僕が「前者」でと言うと、金剛寺はドリンクホルダーに置いていたスマホを手にする。
「聞いてて無理だと思ったら言え。ホテルに着いても、言えばいい」
金剛寺はスマホを戻して、声が聞こえ始めた。
『だからさ、お姉さん、自分の妹が何したか分りました?』
『はずきちゃんが事務所に迷惑をかけて、違約金が発生していて、それを払わない』
スマホから知らない男の声が聞こえたあと、彼女の声が聞こえた。のんびりして穏やかななでしこさんの声。声色と言葉が合っておらず、正反対の声色の男の声が聞こえてきた。
『こっちも困ってるんだよね。はずきにはいくらかけたか。全然回収出来ないまま、こんな事になって』
『回収出来ないのは、そちらの、マネージメント能力が低いせいじゃないですか』
しんと静かになったあと、ガシャンと、何かが倒れたか壊れた音がした。『なめてんのか!』と大きな声が聞こえ、僕はドアに手をかける。
「大丈夫だ、もう着くから」
僕のドアにある手を離し、金剛寺が車を発車させると彼女の声が聞こえた。
『なめてません、はずきちゃんは、とてもかわいくていい子なんです』
聞こえた、男の笑い声に気分が悪くなる。車はホテルのほうへと曲がった。嫌に高鳴っていく左胸を押え、僕はスマホからの声を聞いた。
『お姉さん。そのはずきちゃんが、私達と契約を結んで、違反をし、違約金を払わないんです』
『どんな契約か知りませんし、どんな違反をしたかは知りませんけど、私をこうして連れ去ったのはどうしてですか』
『はずきがね、お姉さんになんとかしてもらうからって、今朝、お姉さんの家に私と向かったんですよ。それでね』
『なるほど、私がはずきちゃんからの申し出を断ったから、直接話をしようと思ったんですね』
『その通りです。はずきのヤツ嘘を吐いたくせに、お姉さんを私達に会わせるのを嫌がったのでね』
『嘘を吐いてるのは、あなた達。嫌がることをさせようとしたから、はずきちゃんは怒っただけ』
『嫌がる。なぜ。お姉さんが先ほど言った、マネージメントをしていただけですよ』
『嘘、はずきちゃんを、偉い人に奪わせようとした。そんなものマネージメントじゃない』
『マネージメントですよ、偉い人のご機嫌を伺わせるようセッティングするのも』
『そんな契約を、はずきちゃんはしていない。契約違反なんかしてない』
『私達の業界では、仕事のうちなんです。常識です。それなのに、はずきは、せっかくのセッティングを台無しにした。仕事放棄は契約違反です、違約金を払うのは当たり前でしょう』
『世間にそう話せば良かったのに。嘘を吐いてはずきちゃんのファンを怒らせたのは、はずきちゃんを追いつめる為』
『私達は、美しいものを見せるのが仕事ですから』
『あなた、ずっと汚い言葉しか吐いてない』
『お姉さん、あなたが、妹の代わりに違約金を払ってくれればいいんです。そうすれば、はずきは、今まで通りアイドルでいられるんです』
『払わないと、はずきちゃんは潰されるの』
『言い方が悪いですね。はずきが、お姉さんなら払ってくれると、私達に約束したんですよ』
『それは、追いつめられてたから』
『お姉さん、小説で相当稼いでたんでしょう。今回の違約金なんか安いものでしょう』
『それは、あなた達に関係ない』
『関係ありますよ、お姉さんが払えないなら、はずきには、違約金ぶんの働きをしてもらいますから。大人しく言うことを聞けば、偉い人ひとりで済んだのに、これからはその日会った男たちに…』
布団を抱え階段を早足で上がっていると、男の言葉が止まる。
少しして、男の『来るな!』という大きな声と、昨晩聞いた彼女の抑揚のない声が聞こえた。
『はずきちゃんの言うこと、私が、どうして聞かなかったか。分かる?』
男は『来るな』としか言わなくなり、彼女は続ける。
『私、色んな人に会って、やっと分かったの』
男の叫び声がもれ聞こえる扉の前に着く。金剛寺から借りた片耳のイヤホンから、彼女の温度を感じる声が聞こえはじめた。
『私が、はずきちゃんを、ダメにしてた。私のせいで、はずきちゃんは壊れて、私のせいでダメになっていった。私が言うことを聞いてたのは、はずきちゃんと向き合うのが面倒くさかっただけ。私が、私と向き合うのが怖かっただけ。物心ついたときから、ずっと逃げてた。じゃないと、奪おうとするヤツに、奪われてしまうから。嫌な、怖い、怒り、そんな思いをあいつらのせいで感じたくなかった。そうしたら、誰の、自分の気持ちも分からなくなってた。そう、あいつらのせいで、私はそうなった。私は、私を守る為に、あいつらと同じものになるしかなかった。私は、大嫌いな、死ねばいいヤツらと同じになった。だから、消える』
僕は、扉を力を思い切り込めて叩き。チャイムを鳴らしまくると、うちから扉が開いた。
怯えた顔の男が「助けてくれ」と言い、僕は男に返さず中に入り。自分の首へ包丁を突き刺す、彼女に言った。




