第五話 シリウス 8
部屋の中を見ずに言い、背中を向けると聞こえた。
「……ごめん、こっち、来て」
「いいんですか、怒られますよ」
「ごめん」と聞こえて、僕は心臓が静かなまま部屋の中に入った。
まだ、雨風の音が大きく聞こえる。部屋の真ん中敷き布団の上、布団にくるまった彼女が居た。顔は見えず、長い黒髪が広がる敷き布団のそばに座った。
「もし、今日のことを誰かに怒られたら言って下さい。僕が、怒り返します」
金剛寺が言っていた、「万が一のこと」など絶対に起きない。そういう風に見てくるほうがと思ったとき。小さく「ごめん」と聞こえ、僕は吹きだしてしまう。
「どうして、僕が来てから、謝ってばっかりなんですか」
「私が、ワガママだから」と返した彼女に、「怒りますよ」と返した。
「悪くないのに謝らないで下さい。僕は、嬉しいんですよ。ワガママを言ってもらえて」
「ごめん」と言わなかった彼女に、僕は続ける。
「僕こそごめんなさい。全然、役に立ってないですよね。金剛寺なら、もっと……」
「別に暮らすようになってから、誠志郎君は、こういうとき呼ばない」
僕の言葉をさえぎり、彼女が小さく続けた。
「おかしくなったときは、来ないでって、言ってる」
「金剛寺、厳しいからですか」
「逆だよ、誠志郎君は私を甘やかすだけ」
「そのほうが、いいんじゃないんですか」
「甘やかしてもらって、この家で引きこもらせてもらって、一年経って気づいたの」
「何にですか」と聞くと、布団から白い手が伸びてきた。指が長く厚みが薄い手のひらに、僕は自分の手を重ねる。
プラネタリウムの時と違い、今は、少し温度を感じた。温度が少しづつ上がり、僕と一緒になったとき、彼女は答えた。
「私と誠志郎君は、こうして、温め合うことは出来ない」
「子供は温度が高いって、母さんが言ってました」
「子供じゃないよ。輝君は、私達より大人かもしれない」
「大人じゃないです。あなたに、金剛寺に迷惑をかけてる」
「迷惑じゃない。私達、もう、どうしたらいいか分らなくなってた。私は消えたいのに、消えられない。誠志郎君は、そんな私を押しつけられた」
彼女は僕の手を強く握り、続けた。
「投げ出せばいいのに、かわいそう。一年経って、ルミ子さんとの約束、呪いになって私達を縛った」
僕は、とても驚く。金剛寺の彼女に対する態度は、「献身」という言葉がぴったりだ。
彼女の言う「呪い」ではなく、彼女を強く想っているからと、出会って間もない僕でさえ分る。
……なのに、彼女は、真逆にとらえてるんだ。
「ふたりで行き詰まってたとき、君を助けた。ルミ子さんに言われてるから」
「なのに」と言い、彼女はのそりと布団から出てきた。
「君は、ごめんなさいって、迷惑をかけてごめんなさいって、意識もうろうとしながら言った。誠志郎君が調べた君の事情を聞いて、目を覚ましてからのやりとりを聞いて、驚いた。私より十歳も下なのに、周りのことを考えて行動してたから」
顔を下に向け両ひざをついている彼女は、少しして続けた。
「私は、いつも周りのせいにして、子供の頃から逃げ続けてる。なのに、君はちゃんと向き合って、行動してた。そんな君を、助けてあげたいって思った。ルミ子さんに言われてるからじゃなくて」
「私が、思った」と、彼女が顔を上げた。目の前、しゃがんでいる僕と同じ高さにある、薄い闇の中で揺れる瞳はとても綺麗だ。
「家族以外に、そんな風に思ったのは初めてだった」
つないでいる手の熱い温度は、どちらのものか分らない。
「君の為に、何かしてあげたいって思ったの。でも、君をおかしくさせてしまった。私が汚した」
そう言ったあと、真顔の彼女は両目から大粒の涙をこぼし始めた。
「私を奪いたかったら、好きにしていいよ」
泣きながら笑みを貼り付けようとした顔を、両腕の中に隠した。
「……あの、あなたの中で。異性から好きと言われることは、奪われることなんですか」
少しして、僕の胸の中から答えが聞こえた。
「好きって、奪う前のあいさつでしょう。誠志郎君は家族同然なのに、言われて、すごく嫌で。嫌な訳を言ったら、言わなくなった」
金剛寺、かわいそう過ぎるだろと思い。僕は少し考えたあとで言った。
「……あの、金剛寺は、あなたから何か奪おうとしてません」
「輝君なら、奪ってもいいよ」
「いや、逆に、僕から、どんどん奪って下さい」
顔を上げた彼女は、涙が止まっていた。
「過去を、勝手に読んでごめんなさい。色々、嫌なことばっかで、決めつけるの仕方ないと思うんですけど。金剛寺は違いますよ」
「輝君も?」と聞かれ、うなずいた。
「金剛寺は、ルミ子さんに言われてるからじゃなくて、あなたと居たくて一緒にいるんだと思います」
多分、今よりひどいときからずっと、彼女のそばに居た金剛寺。僕なんかより、ずっとずっと、彼女のことを想っているからだろう。
「私は、本当に、輝君ならいいって思うよ」
「ありがとうございます」と返して、彼女を抱いたまま布団に横になった。
タオルケット越しに温かさを感じながら、背中をゆっくりさすっていると聞こえた。
「私、すごく歳上なのに、子供みたいだね」
顔が見えない彼女は温かさを感じる声で言い、「そんなことないです」と返す。
「輝君、今日はありがとう、嬉しかった」
僕は、「はい」と返して、じんわりした温かさが胸に広がるのを感じた。
……好きな人の役に立てた。……僕こそ、すごく嬉しい。
「私も、輝君みたいになるね」
そう言ったあとすぐ、彼女は寝息を立て始めた。身体を離し、掛け布団をかけて、敷き布団から距離をとり畳に寝転がった。
彼女の寝息を聞いていると、とろりとした眠気に包まれていく。
目の前、触ってみたかった、美しい髪の毛が敷き布団の上広がっている。人差し指でそっと触れ、柔らかさを感じて眠りに落ちた僕は。
「……と! ちょっと! 起きなさいよ! 不法侵入で警察呼ぶよ!」
嵐に起こされた。
『第五話 シリウス』了




