第五話 シリウス 7
暗い部屋の中、大きく雨風の音が響いていて、時折ゴロゴロと雷の音が聞こえる。
「……ごめん、お風呂入ったら、戻っていいから」
彼女は手を止め、小さく声を続けた。
「……ごめん、私、今、おかしくなってる」
僕のほうがと思い、頭からかぶせられたタオルケットをとる。見えたのは、闇に染まったワンピースの後ろ姿だった。
「……ごめん、お風呂入ったら、戻って」
目が慣れて、目の前、彼女の肩が震えているのが分かった。
冷房のよく効いた部屋で、濡れている僕はまだ熱くて。気持ちのまま、両腕を伸ばした。
「……ごめん、離して」
両腕の中に、僕は華奢な背中を閉じ込めた。カッパを着たままなので、彼女が動くと音がする。
「……ごめん、誠志郎君に、君のご両親に怒られるから」
僕から離れようとするのを、両腕に力を入れ、させない。
「……ごめん、やめて」
かすれたとても小さい声に、僕は、はっきり返した。
「じゃあ、どうして僕を呼んだんですか」
「ごめん」と、ここに来てから何度も言う。それは、僕の気持ちを彼女が分っているからだろう。
……彼女を好きな僕を分かってるのに、呼んだんだ。
彼女が、僕を求めたのだ。
「僕に、来て欲しかったんでしょう」
うぬぼれるなバカと言って、彼女は僕から離れることはなく。大きく震えはじめたので、僕から離れた。
「沸かしてきますから、お風呂に入って下さい」
足下のタオルケットを、今度は僕が彼女に被せたあと。風呂場に向かい浴槽にお湯をためて戻る。
ちゃぶ台の部屋の隅、電気も点けず。タオルケットを頭からすっぽり被って彼女は座っていた。
「冷房切りますね」と言うと返事はなく、カッパを脱いで玄関に置き、戻って冷房を切る。
「ご飯、食べましたか。お腹空いてませんか」
返事はなく、距離をとって隣に座った。部屋には、少しも治まらない雨風の音だけ。
タオルケットのかたまりからは、声も、少しの音も聞こえてこない。
「今日、夕方に別れるとき、どうしてあんな感じだったんですか」
返ってこないので、僕は勝手な答えを言う。
「寂しくて、何も言えなかったんですか」
「どうして」と、顔の見えない彼女が小さく言った。
「一人暮らしを始めた日、母さんが引っ越しの手伝いに来てくれて、帰るとき今日のあなたみたいでした」
肯定も否定も聞こえてこず、お風呂が溜まった音楽が聞こえてきた。
「寂しいときの背中って、なんか、分るんです。お風呂入って来て下さい、僕、居ますから」
彼女は、タオルケットをかぶったまま立ち上がって、お風呂場に向かった。
……今日の夕方より、……ここに来てからのほうが、とても寂しく見えました。
そう言わなかった僕は、大きく息を吐き、台所に向かった。
電気を点けて冷蔵庫の扉を開く。卵と袋入りのゆでうどんとめんつゆを見つけた。片手鍋に水を入れ火にかける。ぶくぶくとお湯に変わっていくのを見つめ、僕は、自分がとても静かになっているのに気づく。
夕方は金剛寺の名前にイラついたが、今は全然だ。彼女から電話があって、井口の部屋を出たとき、向かっているときの熱さは冷め。
……今は、今の彼女に、僕は何が出来るだろうしかない。
そう思い、ガス台の前で作業をしていると。
「……ごめん、先に入って」
そうとても小さく言い、彼女が台所に入ってきた。ワンピースのパジャマに着替え、バスタオルを頭からかぶっているので顔が見えない。
「髪の毛、乾かしてきて下さい。その間に、うどん作ります。固めですか柔らかめですか、つゆは薄めですか濃いめですか」
「やわらかめ、うすめで」と残し、彼女は洗面所に向かった。僕はドライヤーの音を聞きながら、言う通りのうどんをつくり半熟の卵をそえる。
「それじゃ食べられないでしょう。お風呂入ってきますから、食べておいて下さい」
ちゃぶ台の前に座る、出会ったときの様に、髪の毛で顔を隠す彼女に言い。うどんと箸とお茶の入ったグラスを前に置いた。
「食べられるだけ食べて、そのままにしておいて下さい。眠くなったら、扉開けて寝て下さい」
そう残し、お風呂場に向かい、もう乾き初めている服を脱いで風呂に入った。
温かいお風呂、温かい食事、温かい布団、この三つが病気のときには大事。看護師の母さんが言っていたのをそのままだ。自分の知恵は何もない。
金剛寺なら、もっと、色んなことが出来るんだろう。
……それでも、僕を呼んでくれのだ、出来ることをするしかない。
僕はお風呂から上がり、台所に入ると薄暗かった。電気を点けずちゃぶ台のある部屋に向かう。
食器とグラスは片付けられ、隣の部屋との扉は開かれていた。
僕は、中には入らず、壁をノックしてから言った。
「もう寝てますか、後片付けありがとうございました。僕、隣の部屋に居ます、何かあったら言って下さい」




