第三話 ベガ 10
僕でも分かる答えに、ほっと息を吐き。つい、質問をしてしまった。
「どんな仕事をしてたか、聞いていいですか」
「輝君て、漫画とかアニメとか好きで、詳しいのかな」
「普通には好きですけど、詳しくないです」
彼女は、皿の残りを静かに食べてから返してくれた。
「高校生の時に文芸部に入ってて、ネットの小説サイトに部員みんなで小説を投稿して、出版社から本にしませんかって連絡がきたの。妹に話して、断って、高校卒業間近で進学を辞めて、就職先がなかったから本を出すことにしたの。それから、一年前まで、そういうお仕事をしてた」
「……小説家だったんですね、すごい」
「小説家なんて、すごいものじゃないよ。読者さんが読みたいものを書いて、編集さんの言うとおりに書いて、お金をもらってただけ。原作の漫画とアニメの人気で仕事をもらえてるって、ただ、書くだけのロボットみたいって言われてたし」
「……妹さんにですか」
「ううん、直接じゃないけど、編集さんと他の作家さんから。妹からは、私に合ってる仕事で良かったんじゃないって言われたよ。あ、ゆっくりし過ぎちゃったね、輝君、おかわり片付けちゃって」
壁の時計は四時半を過ぎていて、質問は出来ないまま、先ほどよりおいしく感じないカレーを急いで食べた。
後片付けをし、金剛寺にもらった袋のなか見つけた、白い半そでのシャツと黒いパンツに着替える。
髪の毛をセットしたほうがと思ったが、ワックスは持ってなくて買いにいく時間はない。少しでも大人っぽくしたほうがと思ったけど、無理だ。
五時少し前にタクシーが到着し、重そうな荷物を代わりに持って後頭部席に彼女と乗ると、気づいた。
いつもはつけていない甘い香水の香り、今のなでしこさんにはよく似合っている。年の差は分かっていたけれど、すっぴんで無邪気な顔で笑っているとあまり感じなかった。
今、隣にすわる彼女は、とても大人の女性だなと思う。
タクシーはすぐに高架下に着き、「こっちだよ」と案内してくれた。
黒いハイヒールを履いている彼女。細いヒールで器用にすたすた歩き、いつもは見えないつむじが目の前にあった。
「ここが『だいあんさす』だよ。見た目、おばけ屋敷と一緒だよねえ」
振り返り、僕が今の自分をどう思っているか、知らないだろう彼女が言った。
お店に目を向けると、言うとおりの建物。『カラオケスナック だいあんさす』とピンク地に白文字で書かれている色あせた軒。高架下のむき出しのコンクリートの壁には青々としたツタが絡まり、濃い茶色の扉を隠そうと伸びている。
月一と言っていたが、営業しているとは思えない店の扉の鍵を開き、彼女が「どうぞ入って」と言った。
「ここで、おばけ見たことないから大丈夫。ルミ子さん、出て来てくれればいいのにねえ」
そう言って、先に入り電気を点ける。ぴったりとした服の後ろ姿は、彼女の華奢で薄い身体がよく分かる。今、どんな顔をしているかは分からない。
「掃除用具はここね。私はトイレ掃除をしてからグラスを用意するから、輝君は床を掃除機かけてモップで拭いてくれるかな」
僕はトイレもやりますと言い、やり方を聞いて掃除を始める。
背の高い椅子が並ぶカウンター。カウンターの中はお酒のボトルが並ぶガラスの戸棚、外からは見えない低い流しと冷蔵庫。
カウンターと人ひとり通れるくらいの向こう、壁に沿って入り口から奥までソファがコの字型に並び。ソファの前には、テーブルが等間隔で置かれて、天井からはテレビとミラーボールが吊されている。
床は古いのが分かる花柄のビニールで、カウンターの角は削れて他の家具も年季が入っているのが分かった。
もちろん、高校生の僕はこういう店に来たことはなく、ドラマや映画で見るまんまだなと思う。
「ここはおばけ屋敷と違って、中も古いでしょ」
掃除機のあとモップをかけていると、グラスを洗いながら彼女が教えてくれる。
「ここを無くすつもりだったとき、せいちゃんが、俺が責任持ってやるからって買い取ってくれたの」
「……もらったのに、良かったんですか」
「ルミ子さんは、好きにしていいって言ってた。私は、お家もお店も無くして、今度こそひとりになろうとしたんだけど、せいちゃんと、田畑さんや近所のひとに止められちゃった」
『あの家に居て、何か起きたら、すぐにこの辺りの大人に助けを求めなさい。どんなささいな事でもいい、坊主からすれば大人だが、私らからすれば、なでしこちゃんは危なっかしい子供だ』
そう、田畑さんが言ったとき、みんなそう思うんだと思った。子供の僕から見ても、彼女はとても危うく見えるから。
……なでしこさんは、自分への、みんなと、僕の気持ちを知っているんだろうか。
聞くことはせず、モップを終えて和式のトイレ掃除を終えると名前を呼ばれた。
「お腹いっぱいかもしれないけど、味見してもらっていいかな」




