第一話 アルタイル 2
制服のままだ。汚れるかも。洗濯が面倒。洗濯機は死亡。部屋とバイト先がなくなった。
思考が細切れになり、ジェットコースターの下がる感覚に全身が包まれ。僕は、陰をくれない後ろの建物にふり返った。
辺りで一番古そうな、言い方が悪いけれど、とてもボロボロの二階建ての家。
塀と庭はない。壁はシミだらけでヒビが入り、さびついて赤くなったトタンがくっついてる。
朽ちた木枠の玄関、すりガラスの向こうは真っ黒。二階にはさびついた半分だけのベランダ。
……この、おばけ屋敷みたいな家で、今日からしばらく住めないだろうか。
そう思い、おばけ屋敷の呪いか、僕の視界は真っ黒になった。
両目を開こうとしたが、無理。何も動かせない身体が、ゆっくり浮いた。
ゆっくり、ゆっくり、誰かに背負われて進むのが分かる。
おんぶなんて、いつぶりだ。とても小さいとき、母さんにだろうか。二歳のときに死んだ父さんにか。
――父さん、迎えに来たの、僕が悪い子だから。
母さんはとてもよい再婚をした。義父はすごくいいひと。自分は、今、とても恵まれている。
――でも、僕は不幸だ。そう、思ってしまう僕は……
「悪い子なんかじゃ、ない」
覚えてない、実の父さんの声ではないだろう。高い、女の人の小さな声が続ける。
「君は、いい子だよ」
「じゃあ」と、僕は思うまま言葉を返した。
「いいよ、好きなだけここに居て。だから、今は、少し寝てね」
身体が寝かされ、僕は言われたとおりに意識を手放し。
目を覚ますとおばけが居た。
*
「おはよう、大丈夫? 気持ち悪くない?」
おばけが口を利き、僕を心配してくれている。
「大丈夫? 顔色が悪いけど、気持ち悪いかな?」
伸びてきた白い手を払い、上半身を起こす。ぐらりと視界が揺れ、背中が柔らかく着いた。
「大丈夫? 喉乾いてない?」
おばけの手にあるスポーツ飲料のボトルを奪い、寝たまま、こぼしながら飲む。
「大丈夫? ゆっくり、飲んでね」
おばけは、横向きで咳き込む僕の背中をさする。
「ゆっくり」をくり返す。僕は言うとおりにし、空けたボトルの底でおばけを指した。
「……あんた、……僕を、どうするつもりだ!」
身体を起こせず寝たままで、今、出せるだけの声で言った。
黒く長い髪の毛に覆われて顔と首は見えず、着ているワンピースと見える肌はとても白い。
目の前に居る、テレビや井戸やスマホから出てくるおばけ。
おばけと出会ってしまったら殺される。
物語を思い返したとき、おばけの腕が僕に伸びてきた。
「うん、元気出てきたみたいだね、お腹空いてない?」
閉じてしまった両目をゆっくり開いたのに、視界が黒い。
髪の毛に隠れたおばけの顔と僕の顔がとても近いからだと気づき。頭が真っ白になり、とても大きな腹の音を返してしまった。
「ご飯、用意するから。まだ寝ててね」
おばけは、僕の手からボトルを取って離れ、立ち上がった。
「……僕を、どうするつもりだ。……おばけ」
僕は、先ほどよりも声が出ず、ドキドキと心臓が嫌に鳴っている身体を起こせない。
情けない僕に、白い首の後ろ姿が答えた。
「えっと、ご飯を食べてもらって、寝てもらって、元気にするつもりだよ」
「……それから、……僕を殺して、食べるのか」
ゆっくり、黒い髪の毛に覆われた顔がこちらに向き。僕は、なんとか、両目を閉じなかった。
「えっと、食べないよ、これから一緒に住むんだから」