第三話 ベガ 4
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「おかえり。あれ、その日傘どうしたの?」
僕は黒い日傘をさして、いちごちゃんとおばけ屋敷に戻り。彼女に何もなかったみたいな笑顔で迎えられ、驚いた。
「……金剛寺に渡されて。もう、大丈夫って言ったのに」
「せいちゃん、過保護だからなあ」
なでしこさんが腕を伸ばしてきて、僕はびくりと肩を揺らしてしまった。
彼女の元から大きな瞳が開かれ、あっと思ったと同時。
「朝ご飯途中だったけど、用意しようか?」
そう言われ「はい」と小さく答えると、なでしこさんはふっと笑って背中を向けた。
彼女の後ろ姿を見送ってから、僕はちゃぶ台の前に座りいちごちゃんがそばに寝そべる。
「……あの、いちごちゃん、帰さなくていいんですか?」
「奥さんの病院行ってくるからって、それまでお願いされてるの」
台所に立ち、てきぱき動く後ろ姿。それ以上話しかけることは出来なかった。
ちゃぶ台に二人分のお茶碗と汁椀におかずの皿を並べたあと、彼女は向いに座り「食べようか」と言った。
「これからは、一緒にご飯を食べてもいいかな?」
今日、彼女は紺色の半袖ワンピースを着ていて、髪の毛をうしろでひとつの三つ編みにしている。出会った日、隠していた素顔を見せてくれたときと同じ笑み。今、なでしこさんは綺麗な顔に浮かべている。
僕は、彼女の笑みを見ていると胸がぎゅっとして、狭くなっている喉で返した。
「……僕に、どうして聞くんですか」
「私が食べること、生きようとするのを見るのは気持ち悪いでしょう」
「……何で、そんなこと言うんですか」
「事実だから。妹に教えてもらって、その通りだなって」
目の前には湯気を上げる皿達。その向こうには、笑みを浮かべる整った顔。見ていると胸がすごく痛くなってきて、視界がぼやけてきた。
「輝君? どうしたの? 大丈夫?」
僕は、突然の止まらない涙のせいで、返せない。
「どうしたの? どこか、痛くなった? 大丈夫?」
近づき、覗き込んでくる顔。笑みを消して、僕を本当に心配してくれているのが分かる。
……それが嬉しくて、同時にとても悲しい。
そう思い、今感じているぐちゃぐちゃな感情のまま言った。
「……大丈夫じゃない…のは、……なでしこさん…です」
「輝君?」と彼女は首を傾げ、僕はかすれた声で続ける。
「……どうして、そんな風に自分を言うんですか、……僕は、嫌です」
「嫌です」とくり返し、今の僕は意味が分からないと自分で思った。だけど、涙が止まらないくらい、強く嫌だというのは分かる。
……彼女が自分で自分を悪く言い、妹さんに教えてもらって納得したと言うこと。
それに、幸せになったら死ぬ、生きていたくないと言うの。
……僕は、すごく嫌だ。
「じゃあ、私と一緒に住むの、嫌になったかな」
いつの間にか、下がっていた顔を上げる。僕と正反対に見える、笑みを浮かべ落ち着いている様子の彼女は言った。
「ごめんね、嫌な思いさせてしまって。私のことは忘れてね。夏休みの間はせいちゃんのところに居られる様に、今から頼んでくるよ」
そう言ったあと、彼女は立ち上がる。細い腕をつかみ、涙が止まった僕ははっきりと言った。
「あなたから。僕は、嫌な思いはしてません」
じゃあ、何からと聞かれたら。答えられず、笑みを浮かべたままの彼女は僕を見下ろして言った。
「私のことを聞いて、同情してくれたの」
「そんなの。なでしこさんも、僕にしてるでしょう」
「そうだね」と言われ、顔を下に向けないだけで必死だ。
「同情って、優しくしたいって思うことなんだって。ルミ子さんに教えてもらった」
「すごい」と続け、彼女は僕の正面にしゃがんだ。
「私、自分が輝君に優しくしてもらえると思ったの、私も優しくしたいって思ったの」
「すごい」と、腕にある僕の手を取り、両手で包んだなでしこさんが続ける。
「輝君、ありがとう、君のおかげだよ」
彼女の言葉の意味は分からず、目の前にある笑顔は初めて見るものだ。
見とれてしまうもの、胸が痛くなるものじゃない。ただ、自然とそこにあるものに思えた。
「私、君と居たい。輝君と居れば、感情が分かっていく気がするから」
「ダメかな」とキラキラ光る瞳で言われ、断れるはずがない。
「……僕なんかで、いいんですか」
「輝君がいいの、困らせてるかな」
「困ってないです」と返すと、彼女は「良かった」とにーっと笑った。僕の心臓が大きく高鳴り、柔らかい手が離れた。
「冷めちゃうから、ご飯食べようか。今日のピーマンとパプリカと豚肉のオイスターソース炒め、自信作なんだよ」




