1話 始まりは静かなお部屋から
こんにちこんばんは。
初めましての方も前作を読んでいて知っている!という方もいらっしゃるかと思いますが、作者の仁科紫です。
今作のノリは前作と似ていますが書き方を変えたので、以前の方が良かったという方は感想にてお伝えくださいませ。できる限り応えたいと思っております。
それでは、良き暇つぶしを。
何処からか歌が聞こえる。懐かしいような、何処か寂しげなそんな歌が───
窓から差し込む陽光に照らされ、宙舞う埃がキラキラと輝く。粉雪のようなそれが静かに漂う様は、正に室内の穏やかさを象徴しているようだった。
周囲には誰も居らず、あるのは今すぐにでも動き出しそうな人形たち。通称、ビスクドールと呼ばれる少年少女を模したものだけだ。
まるで訪れた人を見下ろすかのように、少し高めの棚にずらりと並ぶその様はいっそ不気味でさえある。
そんな場所で目を覚ました私は辺りを見渡し、余りにも自分の置かれた環境の不可思議さに内心首を傾げていた。
いや、本当は首を傾げようとしたのだ。体が全くもって動かなかっただけで。
はて?この体、ちっとも動いてくれやしないのですが。流石に動かないと困るのですけど...。
そう思い、どうにか動かそうとしたり、念じてみたり、一周まわって飛べないかと考えてみたりしたものの、全て徒労に終わってしまった。
どうにも出来ない現状にため息が溢れる。
なんなんでしょう。この状況。私、こんな所は知らないのですが。
……ん?ちょっと待ってください?
今更な疑問なのですが、ここは何処で私は誰なのでしょう?
…………。
我ながら 呆れた思考回路してますねぇ。あはは。
そう!なんと、私は記憶喪失というなんとも数奇な状況に置かれているようなのです!
……脳内でテンションを上げてみたものの、状況に変化はありませんね。やめましょう。
やれやれ。難儀なことになったと思いつつもこれには流石にどうすればいいのかもさっぱり分からない。とにかく、こうなっては仕方がないということで、何か行動を起こすことにした。
よし。寝ましょう、と。
……?何やら困惑した声が聞こえた気がしましたが、きっと気のせいですね。
そもそも、かなり非現実的な状況なんですよねぇ。この状況は。何せ、目線は目の前に並ぶお人形さんと全くもって同じ高さであり、更に、なんとか動く目をちらりと下へ向けると、そこに見えますは遠く向こうにある地面と私が座っているらしい木の板。
これらから想定されうる結論はひとつしかないですよねぇ。
つまり、私はお人形さんと同じように陳列されたお人形さんのような存在なわけです!
……分かりにくいですね。というか、本当に私、お人形さんになってません?動けないくらいですし。
元が何だったのかも分かりませんが、ここが巨人の国だとかそんなオチでもない限り、私=お人形さんという方程式が崩れそうにないんですよ。
ただ、私自身がそれをお人形だと認識している以上、元は人間だった可能性が濃厚ですが。人間だの人形だのは元々人の認識でしかありませんからね。まあ、決めつけるほどのことでもないでしょう。
とはいえ…まぁ。なんとどうしようもない状況でしょう。手足は動かず、声さえも出ない。記憶もなければここにいる理由すら不明。誰かが来て助けてくれるのかも分からない。……誰か来たとして、助けてくれるかも怪しいですしね。
さあ、この状況であなたが取れる行動は?……寝るしかないですよねぇ。大丈夫ですって。誰かが来たらきっと起こしてくれますから。…永眠しちゃったら〜という恐怖案件を考えないなら、ですけど。
そう考え、自分が想定していたよりも重いまぶたを閉じようとしたその時。
入口の扉に付けられていたらしいドアベルの軽やかな金属音が来訪者を告げた。
おや。誰か来たみたいですね。
その正体が気になり、そちらへと目を向けた。
扉の前に居たのは、目鼻立ちが整いすぎて人間味が薄れた神様のような男の人だった。形の良い眉に切れ長の目。強い意志を感じる黄金色の瞳は正に宝石のようであり、ますます神々しく見えた。煌めくプラチナブロンドの髪は男性にしては長く、後ろで軽く結われているのが唯一、粗雑さを感じさせる人間味のあるものだった。
いっそ、目の前のお人形さんよりも人形らしいのではないだろうか。それほどまでに美しい男だった。
……これ、話せたとしても到底話しかける気は起きなかったでしょうね。私でしたら絶対に避けさせていただきます。確実に。
だって、面倒そうじゃないですか。目立ちそうな方ですし。
とにかく、自分がここに居ると知られるのは御免だと他の人形と同じように黙って正面を向いていることにした。
さて。このイケメンさんは何をしにいらっしゃったんでしょうね?
入ってきたイケメンさんは辺りを見渡して首を傾げた。まるで何かを探しているかのようなその姿に冷や汗がつたう。
……これ、私を探していたりしませんよね?あはは。自意識過剰ですよね?流石に。ヤダナー。私ッタラ自意識過剰ナンダカラー。
そう考えたとき、まるで心を見透かしたかのようなタイミングでくるりと私の方へと体の向きを変えたイケメンさんと目が合った。
いえ、目、目なんて合ってないのです。ほら、目は閉じてますからね!
そう脳内でいくら主張しようにも視線というものは目を閉じていても感じるものであり、見られているということが分かるほどの視線の圧力を感じた。
……流石に無理ありますよねー。今、目を閉じちゃいましたし。つまり、動イタノミラレチャッタヨネッ。
…あははっ。私ったらお茶目さん☆……んな事考えてる場合じゃないですよねー!私のアホバカおたんこなすっ!ですよっ!なんで目を閉じちゃいましたかねぇっ!?
脳内で現実逃避している間にもキラキラとしたイケメンさんは徐々に私に近づいているようだ。
「...うん。君が今日、生まれた子だね。ハッピーバースデー。僕らは君を歓迎するよ。」
かけられた穏やかなその声に、イケメンさんは声までイケメンなのかとぼんやりと思ったものの、何故か引っかかった。
どこかで聞いたような気がする。しかしながら、思い出すことの出来ないそれに、私は戸惑いを隠せない。
はて?一体何処で聞いたというのでしょう。ありもしない記憶に尋ねても返ってくるのは当然ながら『知らない』の四文字だけ。なんとも不便なことですね。自分のことが分からないというのは。
……というか、今日生まれた子ってどーいうことでしょう?
もしや、私は記憶喪失なのではなく、今、生まれたばかりだから記憶がないのでしょうか?……世界五分前仮説みたいですね。全く違いますが。あ。私、混乱しているのかもしれないですね。これ。
自分でもマトモではないと自覚出来るほどの考えの纏まらなさに苦笑が漏れる。そんな自分に呆れはしたが、それよりも今はと思考を切りかえた。
何はともあれ、元々お人形さんだった説が浮上した訳ですし、唐突に生まれた私という概念はそこまで珍しいのでもないかもしれません。まだよく分かりませんけど。
とりあえず、今は情報収集でしょうか。
頭の中で整理しつつ、尚も私の方を見るイケメンさんに観念して目を開く。
思ったよりもその顔は近くにあり、イケメンさんは背も高いのだと知った。
「やぁ。やっと見てくれたね。てっきり寝ているのかと思ったよ。」
起きていて良かったと朗らかに笑うイケメンさんを見て、皮肉で言っているのか、それとも純粋にそう思っているのかは判別がつかなかった。
とはいえ、それに声を返すのが不可能な私は、どうするべきかとイケメンさんの綺麗な瞳を見つめ返すしかないのだった。
えーっと、どーしろと?この展開。
そうしてキラキラとしたイケメンさんを眺めること数分。先に痺れを切らしたのはイケメンさんだった。
「何か話してくれないかな?こうして何時までも見つめあっているわけにもいかないし。」
困ったように笑いながらそう言ったイケメンさんに、私は目を伏せることしか出来ない。
話せるものなら話していますからねぇ。この口は開いてくれそうにもないのですよ。とーっても重いのです。
沈黙の続く空間に変化が訪れたのはそれから更に数分後。いくら待っても口を開かない私の様子に何か思い当たることでもあったのか、少し考えるように口元に手を当てそれからニコリと笑った。
……くっ。イケメンさんの笑顔は綺麗ですね!って、違いました。この状況の打開方法でも見つけたのでしょうか?
「もしかして、話せない?肯定なら瞬きを一回。否定なら二回してくれるかな?」
ふむ。納得ですね。実にシンプルでわかりやすい方法です。イケメンさんは頭のスペックまで高いんでしょうか。
……あれ。なんでしょう。無性に腹が…いえ。今は、それどころではありませんね。答えてあげましょうか。
そう考えながら、私は肯定するために瞬きを一回した。
…これ、二回するとか瞼が重すぎて嫌なんですが。どうにかなりませんかね?
「なるほどね。...バグか、精神的問題か...?」
考え込むようにそう言ったイケメンさんは悩ましげに眉間に皺を寄せた。
むむ?バグ?バグですか?精神的問題が何かしらの関与をするのであれば、それは病気や疾患と呼ぶべきもののはずです。バグと言うからには、その言葉を使うことに何らかの意味が……?
その言い回しが気になり、目を伏せてイケメンさんが言った言葉を考慮する。
バグ…bug…悪い虫?
……いえ。そんな訳ないですね。この言い方はシステムの不具合、システムエラーの方の意味でしょう。
……うん?記憶はなくともこんな無意味な知識ばかりは持ち合わせているものなのですね。全くもって煩わしいです。それよりも経験した過去の記憶の方が欲しかったところですよ。
……話が逸れましたね。コホン。システムエラーということは、この世界、案外システムの中なのかもしれません。……うん。意味がわかりませんね。
考え込んで伏せられていた目を私に向けたイケメンさんは、困った様子ではあるもののとりあえず話を進めようと思い至ったらしい。口を開いて先程の続きを述べようとしている。
…というか、この状況ってイケメンさんがひたすら人形に話しかけているだけですよね?
わぁ。はたから見たら変人ですね!面白いなー。
……今度、からかう材料にでもしてみましょうかねぇ。どんな反応をしてくれるでしょうか。今から楽しみです!
そんな事を私が考えているとはつゆ知らず、話し始めたイケメンさんの声に耳を傾ける。
「何はともあれ、君は今日からこの世界の住人だ。楽しんでくれると...いや、でも、その体では難しいか...。
うーん。とりあえず、会話が成り立たないと話にならないね。...よし。これは出来るかな?」
何やら頷いたイケメンさんに私は心の中で首を傾げた。
……動きはしないんですけど、軋むんですよねぇ。首を傾げようとすると。
でも、軋むだけで結果は得られないという…ちょっと悲しい……。
そんなことを考えていると、そう時間がかかることなく答えはすぐに分かった。
『やぁ。聞こえるかい?』
耳元どころか頭に直接響いたその音に目を見開く。
おお!この瞼、こんなにも早く動かせたんですね!驚きです!って、うん?何やらクスクスと笑われている……?うーん?どうしてでしょう?
何やら私のその様子を見ていたイケメンさんはクスクスと微笑ましげに笑って言葉を紡いだ。
『パスは繋げたから、そのまま、頭に言葉を浮かべてみるといい。きっと通じるよ。』
暖かく見つめられ、大人の余裕を感じるその声になんとはなしに動揺させたくなり、不思議に思う。
どうしてでしょうねぇ。初対面の相手のはずなんですが。
慌てさせたいし、困らせたい。でも、好かれていたい。相反しているようで私の中では矛盾していないその気持ちに戸惑う。
よく分かりませんが...少しくらい、イタズラしてもいいですかね?
『こーんにーちわーっ!!』
ほんの少しの悪戯心に後押しされて、頭の中に思いっきり大音量の挨拶を思い浮かべてみる。
すると、相手にもそれが聞こえたのか、顔を顰めていた。
あはっ。いいですね。なんだか知りませんが、満たされました。
満足している私とは裏腹にイケメンさんは何やら呟いていた。念話ではない事から無意識だったようだが。
「いきなり、大音量は流石に頭にくるな。設定でも間違えたか…?」
暫く眉間を揉んでいたイケメンさんはそこまでのダメージを受けなかったのか、そうそうに切り替えてニコリと愛想のいい笑顔をうかべた。
ちっ。折角崩せたと思ったのですが。…いえ、まあ、別に問題はないんですけどね。
……うーん。どうして私はこんな事をしたんでしょう?むぅ。分からないですね。
自分でも理解出来ない行動のことを考えていると、イケメンさんが話を切り出した。
『とはいえ、これで言葉が通じるようになった訳だ。』
『ですね。ところで、お名前を尋ねても?』
そこでイケメンさんはまだ自己紹介すらしていないことに気づいたようだ。
慌てることなく口を開いたイケメンさんはその麗しい美貌を最大限に引き出す笑顔をうかべながらすらすらと自分の名を告げる。
『自己紹介が遅れたね。僕はアルベルト・テオズ。気安くアルベルトと呼んでくれて構わないよ。』
ふむ。どうやら、このイケメンさんはアルベルト・テオズと言うみたいですね。
そして、初対面からアルベルトと気安く名前で呼んで欲しいと……ふふふ。誰がそんな事するかぁっ!ですね!
テオズさん…と言うのもいいですが……うん。気に入りません。テオズ…テオス?……あれ?テオスと言えば、古代ギリシア語で神という意味だった気が…あら。あらあらあら!良いじゃないですか!神様!なんてからかいがいのあるお名前なのでしょう!
『ふふふ……』
『……どうしてだろう。名前を読んでもらうだけなのにすごく不安なんだけど。』
僅かに念話から笑みが漏れていたのか、名前を呼ばれるのを待っているらしい神様は落ち着かない様子だった。
ふむ。神様とお呼びするには少し頼りげないですが…仕方がありませんね。圧倒的にからかうこと優先です!
故に、今はまだ言いませんよ?ええ。こういうのはタイミングが重要ですからね!
『そんなに心配しないでください。ちょっと考えていただけですから。』
『そこが怖いんだけど……まあ、いいか。ところで、君の名前は?』
おっと。からかう事を考えていたら現在進行形で最大の問題を投げこまれましたね。
うーん……名前、ですか。困りましたね。記憶がない=名前も知らないって事ですから。
とはいえ、しばらくの名前がないのも不便ですね。名称不明は昔からunknownと称されることが一般的とはいえ、普通すぎて嫌です。少し考えてみましょう。
名無し…noname…名がない…ない…空…ソrっう……!?
……いったいですねぇ。まさか、言葉遊びでダメージを受けることになるとは思わなかったです。
それにしても、『ソラ』という言葉には何かあるようですね。そうでもなければ、頭が痛むようなことにはならないでしょう。ならば、考えるべきはソラですね。
ソラ…sky……空っぽ……empty?
ふむ。そうですね。『エンプティ』そう名乗るとしましょう。もし、私に本当の名があったとしても、空っぽなのだから埋めることができます。そういう意味でもピッタリでしょう。記憶も空っぽですからねぇ。
そこまで考え、おかしくはないかと再度考え直してからようやく名前を告げた。
『エンプティ。私の名は、エンプティです。』
これが私、エンプティと後に神様と呼び、崇拝するまでに至るアルベルト・テオズとの出会いだった。
それにしても、『エンプティ』と自ら名乗るとは随分と酔狂なことをしたものです。
『空のエンプティ』なんて、ね。
次回、イケメンをいじるのって楽しいですね?
それでは、これ以降も良き暇つぶしをお送りください。