虚ろな夢と儚い現実
陽の光の差さない暗い森の中にいた。村に居場所がないボクは、いつも通り森の動物たちと戯れていたが、その日は動物たちに連れられてつい奥まで行ってしまったのだ。
普段とは違う場所、自分が今どこにいるかわからない恐怖感に唐突に襲われた。村の者たちは自分を探しに来てくれるだろうか。そんな不安を覚えながら、闇雲に森の中を歩む。
すると、ふいに声が聞こえる。
「あら、こんなところに珍しいわね。可愛い迷い人さん」
ふと振り返ると、そこには木に囲われた場所に佇む黒尽くめの女性。彼女はボクの存在に気付くと、優しく手招きをした。不安でたまらなかったボクは、彼女の手招きに誘われるがまま、その傍へと歩みを進める。
「ふふ、お姉さんね、ずっとここにいて退屈なの。少しお話しましょ」
彼女はボクの顔をまじまじと見て、満足そうに笑った。顔がやや火照っているようにも見えるが、暗い森の中のためよく見えない。
それから他愛のない話を幾分か続けた後、彼女の視線がふいにボクの下半身へと向けられる。
「あなた……それ……」
先ほどまでの笑みとは一変し、悍ましいものを見るように睨みつける彼女の視線に、ボクは俯いてしまう。ボクが村で居場所のない理由だ。
ボクの話を聞いてくれた彼女は、少し考える素振りをしたあと、「ねぇ」と甘い囁きを漏らす。
「もし、ボクがここから私を出してくれたら、それ、なんとかしてあげるわよ。大丈夫、この森に住んでいるボクだったら、この木に触れてくれれば封印は解けるわ」
何故彼女は木に囲われた場所に閉じ込められているのか。封印とは何なのか。その時のボクは深く考えることができなかった。ただ、これで村にも自分の居場所ができる。受け入れてもらえる。そのこと以外、頭に靄がかかったように何も考えることができなかったのだ。
「ふふ、ありがとう、いい子ね。お礼に……あら、まだ力が完全ではないみたいね。そしたら、オマケもあげる」
ボクの下半身に触れ、魔力を流し込んだ彼女は、そのまま念じると、下半身を奇妙な塊が包み込んだ。
「それはね、私の魔力が込められていて、ゆっくりとあなたの望む物へと変えてくれるわ。それが十分になったとき、あなたを迎えに来るわ。それまでいい子にして待っているのよ」
彼女はそう言うと、黒い霧に包まれてその場からいなくなってしまった。不思議に思い、周りを見渡していると、急に脱力感に襲われ、意識を手放してしまう。
「……おい! あそこで誰か倒れているぞ!」
遠くでぼんやりと何かが聞こえた気がするが、そんなことはお構いなしに、まどろみに沈むのであった。
「ん……」
外から聞こえる無数の足音で、彼--ルカは目覚めた。
彼のいる薄暗い大部屋には、彼以外に多種多様な種族、年齢の者たちがおり、何人かはルカと同じく外の騒がしさによって眠りから覚めた様子だった。
「またあの時の……夢」
忘れもしない。彼は故郷である森の魔女の封印を解いてしまい追放されてしまったのであった。行く当てもなく森の外を歩いていると、あっという間に奴隷商人に捕まり、ここ奴隷商館へと連れてこられてしまったのである。
ルカはエルフの少年である。見目の整ったエルフは高い金になる。それも少年であるなら、たちまち変態貴族が金にものを言わせて購入するだろう。しかし、捕まってからしばらく経っても、ルカに買い手はつかず、商人たちからことあるごとに罵声を浴びせられるのであった。
「これ……」
ルカが触った先にあるのは、下半身にある自身の感触ではなく、禍々しい魔力を宿した塊であった。
森の魔女の手によって、ルカは性的興奮を覚えることがなくなり、男としての機能は排除されてしまっていた。もちろん、エルフ特有の見目麗しい顔立ちと、華奢な身体に興奮を覚える貴族もいたが、その下半身に宿る魔力の塊を目にすると、たちまち気持ちが萎えてしまい、慰み者としての道を歩むことはなかった。
そのため、未だに商館に売れ残りとして在籍していることとなっているのであった。
「一体、ボクはこの先どうなってしまうんだろう……」
「てめぇ! いい加減にしやがれ!」
不意の怒声によって意識が戻される。
気づけば、部屋の中に商館の世話役たちが入ってきており、方々で準備が行われていた。その一角、金色の長い髪を携えた少女が、商館の世話役の一人と口論を展開しているところであった。
「私は誇り高きエスパーダ家の人間よ! 今すぐここにいる人たちを開放なさい! 民を奴隷として売り払うなんて……恥を知りなさい!」
「このアマ……調子に乗りやがって……!」
「おい! 大事な商品だ! 顔だけは傷付けるなよ!」
「わかってらぁ! オラァ!」
部屋に響き渡る声で何かを叫んでいた少女だったが、次の瞬間世話役から腹へと繰り出された強烈な一撃に、口から内容物をぶちまけながらその場に悶絶する。
「まぁだ分かっていないようだが、てめぇはもういいとこのお嬢様でもなんでもねぇんだ! ただの奴隷なんだよ!」
少女を黙らせた世話役は汚い唾を蹲る少女に吐き掛けると、畳みかけるように蹴り飛ばした。
「おいおい……ちったぁ手加減しろって。まぁ、こんだけの上玉だ。放っておいてもすぐ売れちまうとは思うけどな」
「へっ、ちげぇねぇ。お貴族様の中には、こんだけ生意気な方が遊び甲斐があるって酔狂な奴も多いからな。せいぜい稼がせてくれよ!」
追撃の蹴りによって完全に意識を手ばした少女はそのまま世話役に部屋の外へと連れ出された。それを遠巻きに見ていた奴隷たちは、自分はあのようにはならないようにと、大人しく世話役たちの命に従うのであった。もちろん、ルカもその一人である。
「明日、北の森の魔女様が来るって話だぜ」
「あぁ、なんでも災厄の魔女の封印に一役買ったって女らしい。金はたんまり持ってるだろうよ。今のうちに目玉の連中に磨きをかけておかないとな」
夜になると、館のあちこちでそんな会話がなされていた。
北の森の魔女。通称白の魔女。はるか昔世界に混沌をもたらした災厄の魔女の封印を行った人物の一人である。伝承などに登場する人物であるが、未だ実在する彼女は、不老不死とも、転生を繰り返しているとも、はたまた災厄の魔女の呪いによって死ぬことができないとも噂が後を絶たない。
そんな人物が、どういうわけかこの奴隷商館へやってくるという。おかげで商館の世話役たちはいつも以上に大忙しであった。
「くっ……このような忌々しいところで……私は……」
外で世話役たちがせわしなく動いている中、大部屋の中では今朝方見せしめのように痛めつけられた少女--エレナが歯を食いしばりながら横たわっていた。
軽く治療はされたものの、服を捲るとその痛々しい傷が目を引く。今日に始まったことではないため、その痛々しさに周りの奴隷たちは近づこうとするものはいなかった。
「ねぇ、いい加減大人しくしていたほうがいいよ……」
そんな中、ルカだけが彼女のそばで弱々しく声をかける。唯一、エレナと言葉を交わす仲であった彼は、彼女が商館にやってきたころから続いている世話役から躾に心を痛めていた。だがそれを止める強さなど持たないルカは、こうして夜に彼女の傍にいてやるだけなのである。
「ルカ、あなたはなんでそんなにいつもうじうじしているの。男の子なら、もっと心を強く持って、この理不尽な現状に立ち向かいなさい!」
「無理だよ、そんなの……」
「私にはね、誇り高き騎士の家系エスパーダの一人娘として、弱者を守る責務があるわ! でも、私一人ではどうしようもないこともある。一人一人が、強い心を持っていないとダメなのよ! あなたはもっと自信をもちなさい!」
「ボクなんて……村のみんなと違ってその、おかしな部分があってそれでみんなから避けられて、魔女の封印を解いちゃった挙句呪いまでかけられてこんな姿になって……もう生きている価値なんてないんだよ。大人に歯向かって痛い目に合うくらいなら、大人しく従っていたほうが……いいんだ」
「あーもう! ほんとうじうじして! 私だって何もかも失ったけど、こんなところで諦めてなんていられないわ! 前を向いていれば、きっとチャンスはやってくるもの!」
そう話すと、「寝るわ!」とそのままルカい背を向けるエレナ。そんな彼女を、不思議そうに、しかし羨ましそうに見つめるルカは、本当に自分はどうしたいのだろう。と、今一度自分の胸に問いかけるのであった。