王と奴隷
世界には法則が在る。
火は熱を帯び水は場所を選ばず、人の一生は短い。魔法も所詮は、けして侵せない世界の決まりに乗っかているだけの代物にすぎないのだ。
魔法士は世界に最も従順な生命である。
「聞き飽きた」
国で最高と名高い魔法士の集団が、一人残らず地に伏していた。天才と呼ばれ続けている魔法士ゴンドゥルは、現実逃避した頭で声の主を見上げる。
闇に溶ける黒の短髪、特別でも何でもない黒い瞳は、空間を満たす魔力反応して赤く染まっていた。魔力の量の桁が違う。目の前に立つ存在は、世界の法則を大きく逸脱していた。
「飽きたの。在り得ないとか、嘘だとか……。世界の法則なんて知ったこっちゃないわ」
魔法士は大半が貴族だ。魔力の保持は貴族の証と言っても、過言ではない。
しかしこの存在は貴族ではありえない、簡素な出で立ちだった。村娘と言われても、疑問すら沸かなかっただろう。装備らしい物は、そこら辺の枝を削った様な杖だけ。
それでも異常な存在である事は、誤魔化し様の無い事実だ。
「こういう上から存在を否定する奴が居るから、私みたいな人間が生きにくい世の中なんだろうな」
杖の先を振る、余りに雑な動作。その動きに連動して顕現した現象は、まるで別の次元の出来事だ。理解が全く追い付かない、常識が否定を心中で叫ぶだけ。
無詠唱で生まれた火球の大きさに、驚愕する暇は無い。存在を守る強風、放出を待つ水、携えた氷槍、床を破る岩石。
人が習得出来る属性は一つという前提を、根本から壊す光景である。
そして最後に見た光景である。
「―――よし、消そう」
迫る魔法は、神罰のようだった。
防音と頑丈さだけが取り柄だった石造りの塔は、見るも無残な瓦礫の山と化した。頂上で煙がくすぶる場所に立つ下手人は、自らの行いの余韻に浸っている。魔力を開放し盛大にばら撒き、人を殺した。
「―――ぅ――――――」
常識から自らの意志だけで外れたのは、今回が初めてだ。そもそもただの村娘が魔法士集団に抵抗する、という選択肢を持てる事が異常なのだが。選んだ以上、これは自らの行いである。
殺人は他人の未来の強制消去だ。
「くぅ……ぅぅ―――」
自らを見下し、果ては化物と罵った連中の死体。何も分からないまま生命が終わった者の顔は、恐怖と絶望と驚愕で染まっていた。
その顔が酷く―――快感だった。
「くふふふふふふぅ、ふっあははははははははははハハはははははははははハハハハはあ――――――――――――!!!」
耳障りな雷鳴も目に入る雨も、不快とならない程歓喜し、笑顔は狂気に満ちていた。稚拙な足捌きで弾む心臓を更に高め、高笑いは雨音と合唱している。
「あああ!!ああ!人間は社会を構築する!本能で、届かない場所を目指す不合理な生き物だ!!」
灰色の空に手をかざす。
絶対手中に収まらず、届かないと知っていても―――。
「飛べない人間がその他大勢を潰して足場にするのは、飛んでいると勘違いするからだ!!近付けていると思い込み邪魔な奴を殺すのが楽しいのは、人間が飛べない生き物だからだ!!」
自我を持った時から空いていた穴に、ねじ曲がった鍵が通ったような感覚。
此処に一人の生物が生誕した。
「世界よ私の踏み台と成れ!!空が欲しいと望み、あの野郎共を殺した私は普通の人間だ!!!飛翔を叶える私は空の王!!人間の頂点となる私の名はエイール!!私こそが空を掴む者だ―――――――――!!!」
フョトゥルは奴隷だ。
生まれた時から命令を聞くだけの道具、人の形をしただけの肉の塊。主人が乗る馬の方が好待遇で、フョトゥルは怒りを買わないよう静かに生きていた。抵抗して筆舌し難い死を迎えた同胞を、幾度と見ている。
その度怯える他の同胞に疑問を抱いた。何故恐怖を感じるのだろうと、まるで人間のような反応にフョトゥルは意味が分からないまま。何も考えず主人の道具で居続けた。
何人もの部下を持ち女を侍らせた主人は、この辺りでは敵無しの強者である。奪い、殺し、暴虐の限りを振り撒く災害の男。地方貴族が保有する程度の軍隊では手に余る主人に、真っ向から逆らおうとする者など存在しなかった。
しかし所詮は奴隷の世界の常識だったらしい。
最強だと思っていた主人は、村娘の椅子になっていた。
「ふむふむ……。生命が発する魔力と自然が発する魔力が結合し、魔法という現象が起きるのか」
転がっている主人も含めた数十人を、圧倒的な魔法で殺し尽くした少女は、『基礎魔法学一ノ巻』を読んでいた。基本高価な書物は主人の戦利品で、魔法学の本もその一つだ。ちぐはぐな行動だが、呆然とする奴隷にそれを問う者はいない。
「魔法の規模は魔力量に比例し、効果は魔力の質、形状は詠唱で決定される……。詠唱なんて知らん、質って何だ、魔力量なんて気にした事も無い」
魔法を知らない奴隷でも分かった。少女の身体から吹き荒れる可視化された淀み、それこそ魔力なのだろう。自然体なのか、溢れる魔力がフョトゥルに付いた血を飛ばしている。
数分前、散歩の最中に集る虫を払うように、火や水が主人を超える質量で放たれていた。部下の中で唯一魔法が使える者も居たが、天地に等しい差があった。それがこの世の常識からどれだけ逸脱した技か、学の無いフョトゥルには知る由も無い。
「私が使っている魔法が何かコレでは全く分からん、ごみだな」
背後に放られた本は、少女の視界の外で炎と成り消滅。ちょっとした財産になるだろう書物の扱いとしては、一部から大批判を受ける程酷かった。
信じられない暴挙で視線に力が入ったのか、少女は奴隷の方に目を向ける。短い悲鳴が聞こえた。やはりフョトゥルには、他の奴隷の恐怖が理解出来なかった。
少女はどうでも良さそうに手を振り、本の山に興味を戻す。
「既に土台となった人間に興味は無い。精々私の邪魔をするな、とっとと失せろ」
主人から奴隷という道具を奪った当人による、責務の放棄。信じられなかったフョトゥルだが、周囲からは喜びの声が上がった。奴隷からの解放、生まれついての奴隷であるフョトゥルには生存理由の否定に感じる。
最近入った奴隷の男が、主人に似た笑いの表情で主人の部下を蹴った。
「この!この野郎共が!よくも顎で人を使いやがって!クソがっ!地獄に落ちろクソ野郎!」
ついさっきまで奉仕していた者に罵倒と暴力、奴隷とは思えない暴挙である。その奴隷の死体蹴りには、他の奴隷も顔を強張らせていた。気が収まらないのか、死体を見付けては念入りに蹴り踏んでいる。
「おい」
「……え?」
まさか声を掛けられるとは思わなかったのだろう、一拍遅れて反応した男奴隷は瞬きの間に壁まで吹き飛んだ。状態を理解出来たのは、壁と自身を貼り付ける氷槍の存在を目視したからだ。腹を貫通した氷は熱い臓腑に濡れてなお、変わらぬ硬度と冷気を纏っていた。
「あ、がああぁ……な……え……」
微かに動いていた口も、額に刺さった第二射で永遠に止まった。少女は男奴隷を見るどころか、杖すら構えていない。主人の部下だった魔法士は、身の丈に匹敵する杖を片時も離さず、魔法の行使時に必ず振り回していた。
開いた本から目を動かさず、他の奴隷に聞こえる声量で独り言を零す。
「邪魔をするな、早く失せろ。言った筈だが?」
緩和していた箇所に緊張の火を垂らされた。伸びた背筋に電気が走り、神経まで侵略する。
気付けば死体と本と少女の居る場所には、フョトゥルだけが残っていた。
少女から腹の虫が叫ぶと、数時間ぶりに読書以外の動きをする。上体を伸ばし長い息を吐くと、目がフョトゥルを捉えた。正座した薄汚れの男奴隷が居れば、普通は驚く。
「……あんた誰、何やってんの?」
「奴隷、です」
「あんたの主人死んだけど」
「けど、奴隷です、から」
奴隷と言えば全てが上手く進んだ。最初の主人は満足そうに何度も聞き、その度に機嫌を良くした。椅子になったこの主人は、一度聞いた後会話もしなくなった。奴隷と会話する主人がまず希少なのだが、気に入らない答え方をする奴隷をいたぶるのも、この主人の趣味の一つだったのだ。
少女は困惑の表情を作るが、何か考えるように呟く。
「土台が土台にしてたなら私の土台か……?この本はちょっと読み込みたいし、器量を判り易く示す手段としては悪くない……。目に映る威厳は大事だな、うん」
立った少女は思ったより小柄で、未発達な体躯が簡素な服に包まれていた。凡庸な恰好、気迫を上着にする姿はフョトゥルの目を眩しく焼く。
「付いて来い、特等席で―――空を見せてやろう!」
朝日が惨劇の部屋を照らせば、絵画の如き光景が在った。フョトゥルは罪を抱き生まれて、初めて美しいと感じる心を知る。
黒く変色した血痕は朝日で影と成り、死体は細部まで世界に晒された。
中心で両手を広げる少女は、そんな世界の王となった。
目に映らない紐で引かれる心臓が、輝く王の足下へ我が身を導く。膝を着いてでしか人と接した事がないフョトゥルにとって、この行動は自然なものだった。
足を畳み頭を地面に着ける。膝しか見えなかった視界を閉ざし、両手は地面に投げ出した。
望みなど無く、心の存在すら今まで知らなかったのだ。心とはこんなに痛くて、苦しくて、辛くて、―――眩しいものなのか。
肉眼で確認出来ない物を他人に与えられる存在を、人間は神と呼称するだろう。
フョトゥルは神の奴隷となった。
王を名乗る少女は、生涯の剣を手に入れた。
その後世界には空の王が誕生するのだが。
王様か女王様かは、この時点では決まっていなかった。
知るは無窮の空のみか――――――。
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