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わくわく女の子との楽しいランチライムから帰ると、机の上が豪華に彩られていた。
いや比喩でもなく、なんか白とか青とか赤とかとにかく様々な花……薔薇もあれば、百合もある。
それらが1本ずつ入った小さな花瓶が、ぽつんと机の真ん中に置かれていた。
「あ、西園寺さん、これ……」
一緒に帰った姫路さんがわたしの机を見て動揺しているような、想像出来ていたような、何とも言えない表情のまま言葉を詰まらせる。
まあ、これじゃあ無理もないよね。
わたしも同じく目の前のそれに目を奪われて固まる。これは、一体誰がこんなものを……?
「くすくす……」
「あら西園寺さん? まだいらしたのね」
すると少し遠くの席で、マリア様の声と彼女を囲っている何人かの女の子の笑い声がした。
多分わたしたちの方を見て笑っていたのだろう。
なるほど、そういうことか。
わたしはマリア様の空を映す蒼色の瞳をじっと見つめた。吸い込まれそうな錯覚がする。
「……なに? それはわたしからのプレゼント、ほんの気持ちよ。これで分かったでしょ?」
「くすくす。マリア様に楯突くと、もっと酷い事されちゃうかもよ?」
「変な事言わないで頂戴。私は親切心から言ってあげてるだけなんだから」
「それもそうですね、くすくす」
「ま、マリア様……西園寺さんはやっと今日出て来れて、それなのにあんまりです……」
「あら、お勉強だけが取り柄の貧乏路さん。賢いのだから、妙な誤解を起こすとどうなるか分かっているのでしょう?」
「……う」
姫路さんが俯いて、わたしはその肩を慰めるようにそっと叩く。
合法的に女の子に触れることが出来た。嫌だなあ、わたしは十歳の小学四年生なんだから肩くらい気安く触れたっていいじゃない。
「……、ごめんなさい。私、力になれなくて」
「大丈夫だよ姫路さん。ちょっとびっくりしたけど、これで充分に分かったの」
そう、マリア様がわたしに何を言いたいのか、どうして教室に着いてからの態度が素っ気なかったのかとか、これで分かったんだ。
余計なことが今漏れないよう、口を一文字に結んでつかつかとマリア様の元へ歩み寄る。
そして、目の前で彼女を見つめるわたしを、いつの間にかクラスの女の子たちが固唾を呑んで見守っていた。
何人いようが構わない。わたしは、今言うべきことを言うだけ!
「あれ、マリア様がやったんですね?」
「ええ、そうよ。頭の悪いあなたにも分かりやすく――」
「そうですか」
マリア様が何か言うのを途中で遮って、行動に移る。
大丈夫、知りたい情報は教えてくれた。これがマリア様のご好意だというのなら、それはきちんと応えなくてはいけない。
「ですがマリア様、わたしたちはまだ知り合って初日……では無いかもしれないですが、まだ関係は浅くてお互いの事をよく知らなくてはいけません」
「ええそうね、まずはお友達から……は? 関係?」
「そう、まずはお友達からです! さすがのわたしでも気持ちの固まっていないうちに勢いで関係を持っちゃうのは、後々の事を考えると良くないと思いますし」
「ちょっと待ちなさい」
「お友達としてお互いの下着の色を知ってからでも遅くない、いや遅いんだ! わたしたちは一刻も早く仲を深めるべきなんです! だから失礼します!」
「あんた、何い――」
そして次の瞬間。
狼狽えるマリア様の隙をついて、わたしは家で何度か練習した成果を発揮する。
つまるところ、夢の一つ。
わたしはバサッと、マリア様のスカートを捲り上げた。
「………………ふぇ?」
「………………はい?」
まるで自分が何されるか想像も付いていなかったかの様に、凍てつくマリア様。
姫路さんや他の女の子たちも皆、何が起きたのか分からないというように固まる。
わたしも含めた彼女たちの目に写し出されたのは、ただ純白な下着。
スカートの下の、親しき仲で確認すべきその存在が御おっぴろげに民衆の元へ晒される。
そうしてマリア様のスカートが浮いて、ひらひらと元の位置に気を付けするまでの時間がゆっくりと過ぎていった。
「な、なん……?」
「さ、次はマリア様です」
やっと口を動かしたマリア様。
さあ夢の達成まであと一歩という所だ。
「わたしのスカートもお捲り下さいませ、マリア様!」
にっこりと鏡の前で何度も練習した、渾身の微笑み。
上品という概念を仮面に張り付けたかのような完璧な笑みはしかし、愛情を向けてくれた女の子へのわたしなりの恩返しだ。
色とりどりの花、昼休みのうちに用意されていたささやかなプレゼント。
全くマリア様も素直じゃない。どうして一緒にお昼を食べてくれないのかと思えば、このためだったなんて。
それにしてもお金持ちは洒落てるよね、愛情表現のプレゼントがお花だなんてさ。結構高いんだよね、花って。
「い、い、いや……」
「さあマリア様! どうぞ! わたしのもお捲り下さいまし!!」
「…………へ、変態ですわーーっ!!」
と、言うや否や。
マリア様はあちこちの机と椅子に身体をぶつけるのも構わずに、なりふり構わず教室の外へと飛び出していく。
「ま、マリア様!」
「あ、あのマリア様が……逃げた……?」
その後を数人の女の子が追って行って、あらあっという間。教室にはわたしを中心として巨大なサークルが出来上がる。
姫路さんは固まったままで、周りの子たちはやがてぽつりぽつりとつぶやき始める。
変態。西園寺有栖は、へんたい。たいへんだい。
「……あれ?」
……そうして、わたしはやっと煩悩から解放された気分になる。
酷い悪夢を見ていたみたいに、夢から覚めた感覚がした。わたしは何を言って、何をしたんだっけ……。
ただ、紺色のスカートだけが所在無さげに揺れていた。
*
「――ということがあったの」
「なるほど、それでその後こうして運ばれてきたのですね」
所変わって、いや戻っておうちの中。普段はあまり見ない書斎の中で、わたしは書類を前にアンナさんと睨めっこをしている。
時はあれから数時間。とっくに学校は終わったけど、わたしは結局最後まで授業を受ける事は無かった。
何故かってそりゃ、理性がまるで亀とうさぎのかけっこ勝負みたいに遅れて追いついた時には色々と手遅れだったからだね。
唐突に自分の言動・行動に対する羞恥心が芽生えてきたっていうのも正しい。
慌てて口を塞いでも意味は無くて、そうしてるうちに熱が出てそのままノックダウン。
誰が伝えたか先生が飛んできて、わたしは保健室を経由しておうちへと帰ったというわけだ。
「鳳学園長の孫娘、マリアージュ様。なるほど、随分と……やってくれましたねお嬢様」
「うぅ、わたしのも捲ってほしかっ……ちがっ、ごめんなさい」
「……本当に、厄介な病気ですね」
アンナさんが大きくため息をつく。わかる、私もつきたいくらいだよ。
口を開き何かを話そうとすれば、言いたい事より先に煩悩が洩れる。
今みたいに冷静な時は頬をひっぱたいたりしながら止めることも出来るんだけど、学校ではそうもいかなかった。
長らく学校でまともに生活しなかった有栖は、思ったより疲労していたらしい。
多分慣れない女の子たちの空気に触れ過ぎたせいもあったのだと思う。いや、あの、妹的な意味でね。
「とりあえず、これを書いて認められるまではまたお預けです。しっかり療養してください」
「はぁい……」
アンナさんが書いているのは、今回の騒動の始末書……とはいっても、体調が管理できず倒れてしまったという方向のものだ。
これからも通わせて体調的な意味で大丈夫なのかどうか、といった内容を一筆書いて学校に提出。
生徒が教室で倒れるというのは、お嬢様学校としてもそれなりにまずい。
「まあ折角の機会ですから。今度有名な霊媒師の先生でも連れてきましょうね」
アンナさんはアンナさんで、ついに精神科ではなくオカルトの力に頼ろうとし始めていた。うんいや、まさかオカルトなんて……。
あれ、でも? わたしはふと気付く。
オカルトなんて、と信じていなかったけど今は違う。しっかりと転生といったものをして、今この姿でこの世界にいるのだ。
だとすれば、もしかしたら。
このネックである口、言いたい事より煩悩を優先してしまう災いの元も、まさか……。