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桃色展開を期待して飛び込んだ教室は、案外普通だった。
お嬢様学校とはいえそこだけは普通の小学校を思わせる教室風景、今年29になる婚期を逃しそうな女性教師。
わたしから見れば黒いスパッツなんか履いて校内を闊歩するその御姿はたまらないものがあるけれど、若い女子小学生たちには違うらしい。
陰でおばさん、なんて呼んでる子までいる始末。
そんな事を知ってか知らずか、先生はとても子供たちに冷たいように見えた。
だからなのか、お久しぶりですと挨拶をしても「ああ来たのね。さっさと座りなさい」くらいしか言われず、どうにも微妙な雰囲気のまま席に着くことになったわたし。
もっと女の子たちに囲われるのを期待していたのに、皆どこかよそよそしくて近寄って来ないまま授業が始まった。少し先の席で、マリア様が女の子たちに囲われているのが凄く羨ましい。わたしも囲いたい!
とはいえ初日だ。いくらわたしでも歓迎ムードで無い事だけは分かるので、少しは大人しくしていよう。
まあ、昼休みなんかになれば多少展開は進むよね。女の子両手に花で仲良く給食を囲おうね。給食って近くの机同士をくっつけて食べるものだし、否が応でも相手してもらうよ!
だからわたしは退屈な算数や国語といった時間を、ただ黙々とこなした。
*
さて来るべき昼休み。
チャイムと同時に日直さんの号令で頭を下げて、わたしは早速彼女の元へと向かう。
「まーりーあーさまっ! 一緒にランチタイムで食べさせ合いっこしましょう!」
「……あなた、よく堂々と来れるわね」
わたしは笑って、マリア様は笑わなかった。ただわたしたちを見守るように囲う女の子たちは笑っていた。
そう言えば、教室に来るなって言ってたっけ。雰囲気があまり良くない場所だからお身体に危険よ、と気遣ってくれたのだろう。嬉しい感激!
「わたしたちはやっぱり相思相愛ですね、マリア様! ほらそうと決まればしっぽり二人で」
「誰が相思相愛なのよ、あなたが行くべきはカフェテリアではなく保健室よ。ほら皆、行くわよ」
振られてしまった。案外恥ずかしがり屋さんなのね……。
マリア様が女の子十数人を連れて出て行ってしまうものだから、すっかり寂しくなった教室に取り残されるわたし。
給食は教室じゃなくてカフェテリアなのを忘れていたし、わたしも間抜けなのだけど、これではすっかり一人ぼっちだ。
とりあえず記憶を頼りにカフェテリアへ向かうと、大勢の生徒がカウンターでランチメニューと睨めっこしていた。
どうやらここは男女共用らしく、男の姿もちらほら見える。いっちょまえに女の子を侍らせている男の子までいるもの。
わたしもとりあえずランチを注文して、何かミディアムな牛肉とほくほくポテトに艶の光るコーンの乗ったプレートを受け取る。
さて受け取ったはいいものの、どうしよう? まさかこのまま一人で寂しく食事はしたくない。
だって周りにこんなに女の子がいるのに、そんなの絶対もったいない!
ちょっと友達作る機会を逃したからって、まだ小学四年生、遅いという事は無いはずだ。でもじゃあ、一体誰と食べればいい?
孤独な有栖は常に一人ぼっちで、カフェテリアで何かを食べた記憶なんて片手で数えたくらいしかない。そしてそのどれもが、灰色の思い出として胸に仕舞われていた。何とかして色を取り戻したい。
なんて思っていたら。
「……あの、西園寺、さん?」
突然後ろから肩を突かれて、不意の出来事に持っていたステーキを落としそうになる。おっとっと、危ない。
勘違いでなければ今名前を呼ばれたはずだ。上品に返事をして振り返ると、後ろにでっかい子が立っていた。
薄いピンク味のかかった髪のロング、毛先に軽くウェーブなんてかかっていてふわふわ。
身長はわたしが小さいのもあるけれど、それでも高い。頭一つは抜けていて、平均的な女子小学生どころか中学生以上にも見える。
そしてなにより――大きい。
わたしが断崖絶壁のまな板だとするならば、この子はひっくり返ったどんぶりをまな板の上に張り付けたようなものだ。倍とかの差じゃない。
そんな子が、わたしの名前を呼んだのだ。驚きと感動で口をあんぐりしたままフリーズしてしまう。
「その、珍しいですよね、出て来れるの。良かったら一緒にお昼いかがですか? ……大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫! 全然オッケー、むしろこっちからお金払ってお願いしたいくらい! でも小学生でそれはまずいよ! 大丈夫? いくらとるの?」
「え? えっと?」
しまった。思わず煩悩が余計な事を口走った。
折角お友達が出来そうなのにこんな事で棒に振るのはごめんだ。過ぎ去れ煩悩、今だけは!
しばらく念じて、こほんと咳払い。
「ええ、それじゃあご一緒させてくれるかしら!」
わたしがそう言うと、少女は恥ずかしそうににっこり笑った。
天使。聖母マリアを思わせる天使と心とその他色々大きい子だ。
適当に空いている席を見繕って、隣接されているテラスのテーブルに座る。
ここは周りにカップルのような男女が多い気がするけれど、何の問題もない。わたしたちも似たようなものだしね! 大丈夫すぐそうなる。
でもわたしにはマリア様が! ううん、強欲な女の子。
「……えっと、それじゃあ改めまして。わたし、姫路唯って言います」
「西園寺有栖です! 趣味は女の子(読書)、好きなものは女の子 (ホットココア)、座右の銘は女の子!」
って、これじゃあドン引きだよ!
ちゃんと喋ったつもりなのに、煩悩が邪魔して頭おかしい人の自己紹介みたいになってしまった。
「ふふ、西園寺さんって結構ユニークな方だったんですね」
だけど姫路さんは引く事もなく笑顔で対応してくれた。いい子だなぁ。
「思い切って声を掛けてみて良かったです。前から、お話したいと思ってたんです」
「え、そうなの?」
有栖の記憶を必死で探るけど、こんな子がいたなんて覚えていない。交流があった生徒なんてほとんどいなかったし、それも事務的なものばかりだから尚更かもしれない。
まあある意味、一部限定的な場面でしか姿を見せないレアキャラではあるから記憶に残るといえば残るのかも。
「姫路さんみたいな大き――可愛い子にそんな風に言ってもらえると、嬉しいな」
「いえいえ、私なんて西園寺さんや皆と比べて、おうちは貧乏で……」
「おうち?」
お嬢様学校である鳳学園に通えるくらいなんだから、貧乏という事は無いだろう。
けれど姫路さんは寂しそうに首を横に振る。
「わたし、学力推薦で入ったんです。学費とか、色々免除してくれて。だから通えているんです」
「え、すごい!」
まだ小学校なのに推薦があるの……。
お金持ちの世界っていうのはよく分からないなぁ。
「ありがとうございます。……でも、皆みたいにお金持ちの家柄でもないので、中々上手くいくことが無くて」
ああ、あるよね。こういう所だとどうしても如実に現れてしまう。
推薦なら尊敬の眼差しを向けられることもあるけれど、もしそれをよく思わない人がいたら家柄は格好の餌食にされてしまうだろう。
まだ小学生なのにそんな話が出てくる時点で世界が違うものだ。
「でも、そんな私にも西園寺さんは分け隔てなく接してくれましたよね。嬉しかったんです、すごく」
「えっ」
そんな記憶は有栖にはない。
まだよく思い出せていないだけなのかな。でも、名前を聞いても聞き覚えが無いくらいだから実際に覚えていなさそうだ。
こんな可愛い子を覚えていないなんて罪だぞ有栖!
なんて自分を叱咤しても変わらない。わたしはうん、と頭を悩ませた。
「……いいんです! 西園寺さんにとってはきっと普通の事で、大したものじゃないと思うので」
「ううん、ごめんね。この前熱を出してから実はちょっと記憶が曖昧というか」
「記憶が? ……なるほど、それで、なんですね」
姫路さんは何かを納得したようだ。
そして、どことなく真剣な眼差しでわたしの目を見つめた。
「その、とっても言い難いんですが……」
「ん?」
「西園寺さん、もうしばらく学校には来ない方がいいかと思われます」
「ふぇ!」
あれえ! なんかマリア様と同じこと言ってる!
おかしいな、マリア様もだけど姫路さんともそんな変な話はしてないつもりだったんだけど、何か嫌われる要素があったの!?
「あ、その、違うんです。私は西園寺さんが来てくれて嬉しいし、一緒にお勉強したりしたいと思ってるんです。ただ、あの、マリア様が……」
「嫉妬する?」
「そう、嫉妬……するんですか? いえ、その、西園寺さんの事をあまり良く思ってないそうで」
「あはは、姫路さん。それは無いよ! わたしはマリア様のこと好きだし」
「え、えぇ!? でも、マリア様には……とにかく誰も逆らえないんです、先生も。だから何されても西園寺さんが……」
「ありがとう。心配してくれてるのね。でも、そこは大丈夫! わたしマリア様となら仲良くなれるって思えてるの」
「……そう、ですか」
姫路さんはどことなく不安げだけど、わたしはその感情が不思議だった。
まあ確かに、そこまで好意は持たれてないのかなぁと少しは思ってきたけど、逆らえないとか、そんなのは何も感じない。
ちょっと素直じゃないだけで、可愛くて良い子だと思うんだよね! ああいうのをツンデレっていうのかな!