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ぼくがわたしになってから二週間が経って、桜が散った。世間の長いGWが終わる。
わたしは五月のこの頃に、どうやら病を患ったらしい。五月病なんて可愛いくらいに厳しい病。
部屋の窓から外を見て、小さく小さくため息をつく。はぁ。
どうしてわたしは女の子で、そこのどこに不満があるのだろう。
わたしは自分の身体が好きだった。ナルシストと呼べばいい、この断崖絶壁の悲しきまな板も含め、わたしはこの身体が好きなんだ。
でも、じゃあ、どうしてこんなに不安なんだろう。
「お嬢様。失礼します」
部屋の扉が叩かれて、返事をすればやって来るのはメイドのアンナさん。
GW、わたしの世界はこの美人と二人きりだった。お父さんもお母さんも帰って来なければ、お友達から一つ連絡もありゃしない。
結局、病の事はスマートフォンで探しても出なかった。頼れる友達は電話帳に一人もいない、この子は、有栖はずっと一人ぼっちだった。
「明日からの学校ですが……」
わたしの様子を見て、アンナさんが言い難そうに切り出す。
大方窓から物思い、明日から通う友の居ない学校に不安を隠せぬ病弱少女が映ったのだろう。
「大丈夫、行けるから」
別に友達が居ない事は気にしてない。それはいつでも作れるし。
だけど問題はもっと複雑で、わたしはどうしても口から出る煩悩の言葉を抑えられない。
心で考えていたこと感じたこと、口を開いてみれば全て溢れ出てしまう。
「お嬢様……精神科のお医者様も皆お手上げと仰いましたが、私はお嬢様の味方ですからね」
アンナさんはそう言って、そっとわたしの頭を撫でる。
その目は慈愛に満ちていてとても優しい。だけどアンナさんの信じていた有栖は、もういないんだよね。
「ありがとうアンナ――わたし、お友達を作って毎日二人でスカートを捲り合うのが夢なの。絶対叶えて見せるわ」
「ええ、お嬢様ならきっと出来ます」
ごめんねアンナさん、わたしこんな子です。
一緒にひしと抱き合って、涙を浮かせほろりとお互いを励まし合う。
アンナさんはもう慣れてしまってわたしに合わせてくれるけど、これが学校だとどうなるのやら。
わたしが通う小学校は、鳳学園女子小等部。
小学校から女子高があるなんて、今までわたしは知らなかった。胸湧き花咲き誇る花の女子小学生生活に、どきどきと不安でいっぱいだ。
まあ一番不安なのはやっぱり、この口なんだけどね。
お口にチャックってジェスチャーをしてみても、それじゃあ友達は出来はしない。
でも有栖、安心してね。
これはあなたに借りたわたしの人生、絶対に真っ当に平和に生きようと、そう決めたのだから。
*
私立│鳳学園、都内に鎮座する名門私立校。
小等部から高等部までのエスカレーター制であり、高校卒業後も名高い大学への進学が約束されている。
それに何かと世間の目が厳しいこのご時世、小等部から男子と女子を分けてそれぞれの学び舎が作られていた。
男の子にとっては小さな時から男子校、これはこれであまり教育によろしくない気がするけどそこは名門、一部授業では男女間の交流も図られていて……って、それじゃ足りないよ!
まあ、わたしにはもう関係ないんですけどね?
ふふん、と足りない胸を張って地に足付ける。硬い石造りの床がこつんと音を鳴らす。
「お嬢様、それではどうぞお気を付けて。……お身体に少しでも異変を感じられましたら早急に連絡を」
「うん、ありがとうアンナ。行ってきます!」
笑顔で手を振ると、小さくお辞儀をしてからアンナさんは姿を消す。
病弱少女の登校は、家の庭から学校の校門まで全て車通いだ。
運転手は謎の黒服サングラス、傍には常にアンナさんがいる。これまでもそうだったし、きっとこれからもそうなのだと思う。
病弱少女有栖は、四年という小学校生活のほとんどを自宅で過ごした。
たまに行くのは入学式・終業式・始業式に、大事なテスト。
だからほとんど友達もいないし、彼女もまた、すぐに体調を崩す自分が同い年の女の子の傍にいるのは迷惑だと避け続けてきた。
けど、今は違う。今の有栖にはわたしがいる。
だからこのGW、わたしは根性で熱に耐えて意地を張ってアンナさんを説得した。学校に行かせてくださいって。
煩悩を全て吐き出すわたしの頭も心配だけど、そうしてまで行きたいのなら、とアンナは海外に飛ぶ両親に許可を取り今日一日の登校がやっと許されたのだ。
「うふふ」
そこまで頑張る理由? もちろんそれは同い年の女の子のお友達が欲しいからで、有栖に友達を作ってやりたかったからだ。
決してやましい理由なんかない。
別に初めての女子校にドキとムネがいっぱいですとか、あら有栖ちゃんほっぺに給食が付いてるわよいいの取ってあげるペロうふふとか、体操着忘れちゃったのいいの貸してあげるでも一枚しかないから二人で着ようねはーととか、そんな下心は一切ない。
「絶対に女の子と仲良くなってあげるんだから!!」
ほら校門の前で高らかに叫ぶわたしは、純粋な子供の気持ちを口にしているだけ。ちょっと目がギラついてるけど安心してね。
早速同じ様に校舎へ向かう学年様々な女の子たちがわたしを見てひそひそと何か言ってるけど、ほとんど姿を見せない病弱少女の登場に驚きを隠せないでレアキャラ扱いしてるだけだ。
よし、そうと決まればわたしも教室へと向かい元気に挨拶を一声、わー有栖ちゃん出てこれたのねとちやほやされに行くとしよう。
いよいよ女子校の地に足を踏み入れたという胸の高鳴りを抑えながら一歩一歩、踏み締める様に歩く。
さて下駄箱だ。
なんだか下駄箱というよりは、作りが堅物過ぎて高校のロッカーみたいだった。小学校の下駄箱ってもっとこう、土と砂で汚れているイメージなのに小奇麗だ。
なんとか記憶を引っ張り出して、自分の出席番号を見つける。まあ1番なんですけどね。
「ラブレターとか入ってないかなー?」
期待して開けたけど中には何も入っていなかった。期待して損した。
がっくりと肩を落とし、靴を脱いで入れて閉める。閉めた。でもあれ、なんか足りなくない?
わたしは周りの子たちを見る。
みんな靴を入れて、上履きを取り出してそそくさと歩き出す。そうだ、上履きが足りないんだ。
でも、登校してなかったとはいえ持ってき忘れた訳じゃない。
最後に学校に来たのは始業式だけど、その時わたしは保健室に運ばれて専用のスリッパを履かされたままだった。
新品の白い上履きはロッカーに閉じ込めたまま。
アンナさんが回収したのかと思ったけど、しっかり者のアンナさんが段取りを決めた登校日に所持させるのも伝えるのも忘れるはずがない。
それじゃあ一体、どこに行ったの?
「――あら、何か探し物でもしているのかしら?」
わたしがキョロキョロしていると、鈴を転がしたような凛とした声が耳を通る。
声のする方を振り返れば、そこにはセミロングの金髪をさらっとかき上げる、蒼眼美人の女の子がいた。
スタイルはすらっとしていて、切れ長の目は気の強さを感じさせる。何事にも動じないとせんばかりの自信に満ち溢れた勝気な表情。
制服は他の皆と違い、本来紅色の上着が薄い桜色に染まっている。
可愛い子ばかりの学校だなんてこの短時間で思い返して見たけれど、こんなにオーラの違う子は居なかった。
圧倒的な存在感、圧倒せんばかりの眼光でその子はわたしをにやりと見やる。
「……マリア、様」
自然と口から言葉が漏れた。マリア……そう、この子はマリアだ。
遠い記憶がわたしに呼び掛ける。
鳳マリアージュ。鳳学園の学園長鳳│和義の孫娘である、この小等部を統べるボス同級生。
「マリアージュ様」
「下の名前で呼ぶのはやめて頂戴」
そうそう、こんな感じで自分の下の名前を呼ばれることを良く思ってないんだった。
マリア様の勝気な表情が、何だか憎悪の籠ったものに変わる。どーどー。
「……まあいいわ。それにしても、本当に今日現れたのね、西園寺さん」
マリア様はそう言って、再び余裕の笑みでわたしを見つめる。見つめてばかりだ。ひょっとしてわたしのこと好きなのかな……?
まさか教室に顔を出す前から告白だなんて、とんだ主人公体質なものだ。
「あら、どうして知ってるかって? おじいちゃんに聞けばすぐ分かる事なの。……落ちこぼれの西園寺さんが、恥も外聞もなく校舎に姿を見せるって」
そう言ってマリア様は高笑いする。あれ、なんだか馬鹿にされた気がする?
記憶にあまり覚えが無いけど、そういえばこの子に会う度何か言われていた気がする。
落ちこぼれ……学校に来てない癖に、生意気にも自分たちと同じ四年生になっているからだっけ。
でもそれは仕方ない。有栖は病気で来れないけれど、しっかり勉強をしてテストに臨んでは合格点を出していたのだから。
それもきっちりと上位をキープ。おかげで学校も問題なく学年を進ませてくれた訳だけど……。
「ところで探し物はこれよね?」
そう言って、彼女はぷらんぷらんと揺れる二足の上履きを見せつけた。
間違いなくわたしの上履き、紛う事なき新品だ。もちろんすぐに反応する。
「それ、探してたんです! ありがとうマリアンヌ様!」
「マリアよ。これがわたしの手元にある意味が分かる?」
「え、そ、それは……わたしのことが、すき、とか……?」
「そう、す――ななな、なに言ってるの!?」
マリア様は狼狽えて、持っていた上履きをわたしに向かって投げつける。
ばちこんと星が舞う感覚がして、それはわたしの足元に落ちた。頭に当たったみたいだ。いたぁい……。
「あ……」
マリア様は痛がる素振りを見せるわたしを見てちょこんと口に手を当てる。驚いているようだ。
えへへ、その動作可愛いなぁ。なんだかリスみたいだ。痛いのなんて飛んできました。
「そ、それは返してあげるけれど分かるわね? あなたにこの場所は相応しくないの」
ふふふ、必死で言葉を繋げて誤魔化そうとするマリア様もお可愛い……。
空をイメージさせる蒼の目はきっとわたしを睨むけれど、その視線が快感だった。
「あなたには三年、いえ二年、いや一年の教室がお似合いなの。わたしと同じ教室で机を並べるなんて許されないの、お分かり?」
「並べるのがだめなら、一緒に二人で一つの席を使いましょうよ! 椅子は半分ずつお尻を乗せればいいと思います!」
「ええそうね、それはとても合理て……あなたやっぱり帰った方がいいんじゃないの?」
可哀想なものを見る目で憐れまれる。えへへ、こういう扱いも大好きです。
って、そうじゃない。ついうっかり煩悩を口走って、本音が出てしまっていた。
「はぁ……。凡人と会話してると疲れるわ。わたしは教室に戻るから、あなたは負け犬尻尾引きずって帰ることね」
マリア様はそう言って大きくため息をつくと、踵を返して校内へと去っていく。
色々厳しいことを言っていたけれど、上履きも見つけてくれたし悪い人じゃなさそうだ。
うん、なんか喜怒哀楽の激しそうな子だけど今の有栖なら仲良くなれそうかな?