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たとえば女の子と組みたい組体操の技No.1を決めるとき、重視するポイントはどこだろう?
ぼくはこれが世の悩める健全男性諸君を救う議題だと考え、毎日の様に考えている。
やっぱり両手両足をぴったりくっつける扇だろうか。いやいや、基本技である補助倒立こそ至高だとする者もいる。
でも、ぼくにとってはどれもナンセンス。
真の王者「ピラミッド」の存在を忘れてはいけない。
ひしめき合うは己の両手両足そして両腕両膝、ありとあらゆる信頼を仲間に預けて一つの技を完成させる。
特にここで重要なのは土台なんだ。
全ての女の子を支える土台、その一番下に堂々と佇むはまさに縁の下の力持ち。
決して目立たないポジションはしかし、唯一にして最大と言えるメリットが存在する。
ぼくの上に乗るたくさんの女の子、こんなにたくさんの女の子に踏まれるなんて最高じゃないか。
この日の為に、何だってやってきた。
皆から頼られる委員長に率先して立候補し、クラスのボスに毎日媚び諂いパシリになり。
水泳部で潜水を極め体力を、勉学では保健体育で常に校内主席。
日直の名前は毎日自分に書き換えて、給食のプリンは毎回譲る。
やがて信頼と実績を得たぼくに、女の子ピラミッドの土台になる事を拒否できる者なんて存在しなかった。
その苦労の全ては快感だったけど、それも今日の為だったと言える。
頑張ってよかった、報われたと、涙を流して倒れ込んだ。
「キャー!! 立花さんが潰れるー!!」
必然のように起きた悲劇的な光景だが、僕の人生に後悔は無い。
クラス25人分の女の子の重圧が一気に僕の背骨へ集まって音を鳴らし、遠のく意識の中で微笑む表情に嘘は無い。
でもただ1つ、いや2つ、もしもの話をするならば。
ぼくは女子更衣室にうっかり入っても牢屋に入らないで済む女の子に生まれたかったし、
自分の本当の気持ちをこんなに苦しくなるまで隠さず正直に生きたかった。
クラスで、世間で皆が僕を指して言う。
「あの子はとってもいい子なんだ」って。
違う、そうじゃない。ただ僕は欲望の為に生きてきて、それを隠していたのだから本当のいい子に失礼だ。
だからきっともし来世があるのなら。
ぼくは可愛い女の子で、そして、ありのままの自分で生きていけますように。
「その願い、聞き届けたり」
この世最期の瞬間に、無情にも聞いたその声は。
雨の日のヒキガエルみたいに潰れてしまったぼくへと、やさしくじんわり溶けていくのだった。
*
西園寺有栖。10歳、小学4年生。
それがかつてぼくだった今のわたしの名前です。
前世の事を思い出したのはついさっきで、わたしはそれまでベッドで熱にうんうんと魘されていた。
女の子の土台になるためにあんなに身体を鍛えたのに、今世のわたしは病弱で引き籠りがちな幸薄少女。
そういうのも嫌いじゃないけれど、そんな事はこの際些細な問題だ。
長く艶もよく、さっきまで横になってたのに整えられた綺麗な黒髪。
日本人みたいな名前してるのにうっすらとピンクのかかった、白桃みたいなぱっちり二重。
歳の割に小柄な幼い体躯は、まだ女の子特有の成長の兆しも少ししか見せていない。
水を弾くシルクの様に滑らかな肌は病的に白くて、その手足はほっそりとしている。
今日までのわたしがわたしとして生活してきた記憶はあるけれど、こうして前世を思い出すと見慣れた身体も不思議な気分になる。
ぼくは、わたしに生まれ変わったのだ。ちょっと病弱だけど元気な女の子です! おめでとう!
さて男の子が女の子になったらまず気になるのって、やっぱり男女の違いだよね。
保健体育主席(前世)のわたしはそれを知り尽くしてはいるのだけど、でも実物で確認することはどんな事でも大事だ。百聞は一見にしかずって昔の人も言っている。
だからこれは必要な行為でありやましくなんかない。
イエスロリータ・ノータッチはネットの名言であり至言と讃えてきたけれど、これはわたしの身体なんだ。司法も介入できまい。
「まずパジャマの上からこんにちは。なるほど、これは女の、子……?」
ただちょっと悲しいことに、上半身はその実感を感じさせてくれない様だった。
圧倒的なまでの壁、絶壁。あれおかしいな、まな板だよこれ。
その点下半身は正直だ。
あるべきものはそこには無いと確認するまでもなく分かる。
なんだかちょっと悲しいけれど、女の子なのに男の尊厳を気にして落ち込むのも変な気分だった。さよならわたしの息子、君と過ごした日々は忘れないよ。
「お嬢様、失礼します」
そんな中、一人の若い女性の声がして部屋の戸が叩かれる。どうぞと自然に口が動いてメイド姿のお姉さんが入ってきた。
西園寺家の住み込みお手伝いさんで、アンナさん。フルネームは教えてくれないって、わたしの記憶が言っている。
ところでメイドさんなんて普通の家には居ないけど、西園寺家はどうやら名家らしくて、これまでの生活もお嬢様そのもの。
海外を飛び回っている父と母の代わりにわたしの面倒をよく見てくれているのがアンナさん。
病弱で気弱、学校にもほとんど行けてなくてお友達も少ないわたしの唯一心を開いている相手……らしいよ。
ところでちょこっと問題が。
これまでの有栖は有栖として自然に振舞えていたけれど、ぼくが入った有栖はそうもいかない。
アンナさんはスレンダーな美人さん、黒い髪を結わえて後ろで結んで、凛とした佇まいのクールな女性。
男の子なら初見は誰でも緊張して固まってしまう、優しく手解きされながらお世話されたいタイプだね。
「あら、まだ寝てないとだめですよ。お身体に障ります」
そんなアンナさんがひょいとわたしの身体を抱えてお姫様抱っこなんてするものだから、わたしの心臓が危険で危ない。
だめよ有栖、その人は異性だけど同性、同性だけど異性、あれ? だから問題は無いの? やったね!
馬鹿な事考えているうちにベッドに運ばれるわたし。
「熱が下がったようで良かった。……食欲は?何か欲しいものはございますか?」
アンナさんは上から優しく見下ろして、そっとわたしの髪を撫でる。
今一番困っているのは、対話。対人。有栖がそうしていたように、これからもきちんと振舞えるだろうか?
とりあえずゆっくりと慣らしていくほか無さそうだ。
今はこの場を適当に流してもう少し静かに考える時間を作ろう。
折角来てくれたアンナさんをすぐに追い返すのは忍びないけど、後でじっくりしっぽりと2人の時間を作るのだ。
わたしはとりあえず「今は大丈夫。下がっていいわ」と、これまでの有栖がそうして躱してきたように言葉を紡ぐ。
「わたし、アンナが食べたい!(今は大丈夫、下がっていいわ)」
ん?
空気が固まる。
絶対零度の北の大地が、北は北でも北海道の名家の一室で暴れている。
理由は明白だ。わたしは今何か、とんでもない事を口走った気がする。
まずい、絶対有栖じゃ言わないことを言ってしまった。早く訂正して、凍てついた大地に緑を戻さなくては。
今度は間違えないように、今のは何でもないわって、
「違うの、アンナ! わたしはただあなたとしっぽり2人きりで――あぶ!」
「お、お嬢様!?」
ばちーん! と、自分で自分の頬を叩く。危ない、咄嗟の判断だった。卓球選手の様に反射神経の鋭いわたし。
アンナさんは心配そうにわたしの手を取り、頬を摩ってくれる。温かな指のぬくもり。
ところで一体何が起きているのか、何故か思っている事と言いたいことが逆に出てる気がする。
有栖は聡明だし、そんなお馬鹿な子じゃないはずだ。ううん、わたしはそういう抜けてる子も可愛くて好きだけど……。
だけど、今だけはドジっ子属性なんて芽生えないでほしい。
「お嬢様、どうされました? 先ほどの言葉の意味は一体……」
「もうアンナ、そんな事も分からないの? 私はあなたの頭のてっぺんから足の指先まで、余すことなく食べたいと言ってるの」
「……お嬢、さま?」
「ふふふ、これはお嬢様命令よ? お嬢様って特権いっぱいあるイメージだし色々出来そうで正直興奮す――」
大変だ。わたしの中の卓球選手が行方不明。ついでに自制心も行方不明。
反射神経なんて関係なく、言い訳をしようとすればするほど口から漏れ出るわたしの煩悩。
一体全体どうしちゃったって言うんだ!?
「……お嬢様、よほどお疲れのようで、あの。その、あの……えっと、失礼、します」
結局言い訳のできないまま、引き留める言葉も口に出せないままアンナさんは気まずそうに来た道を引き返してしまった。
わたしはただ口をぱくぱくとさせながらそれを見送ることしか出来なくて、羞恥に顔を真っ赤にする。
なんだいこれは。いくらわたしがちょっとアレでも、こんなプレイはお好みじゃないよ!
でも有栖だってそんな子じゃなかったって、記憶が言っている。でもそれならわたしだって。
前世でも本音の言葉はずっと隠してきていたのに。
もしこれが有栖の病気なら、調べられることは調べたい。わたしは震える手でスマートフォンを取り出して、ゆっくりとフリック入力を終えた。
――転生して美少女になったけど、わたしの煩悩が駄々洩れな件について。