だいだぼうさま
このお話は石川県につたわる「たいたん坊の足跡」をベースにドラゴン・アノマリー風味で再構成したものです。この世界のダイダラボッチは妖怪ではなく山の神扱いです。
アタシが思うに、出世とは責任ある立場に就くことだ。
与えられた権力は責任を果たすために動員できる範囲を規定しているに過ぎない。
そして、偉くなるに連れて全うすべき責任も命懸けになる。
――黒姫語録より
ようやく眼帯ができた。
アタシの魔眼を覆い隠すための装身具だ。下手に縁飾りや金銀をあしらってみても妙な感じになるものだから、結局、服や鎧に合わせた黒色にしたのだが、見た目が山賊や海賊の雰囲気そのままな点はどうにも改善のしようが無い。
それもこれも、村のチビ共はアタシの四足歩行形態には何も文句を言わないのに、どうしたことか魔眼を怖がるせいだ。
それに、ムロック連合全域に共通する習慣として、挨拶の距離が非常に近い、という問題がある。要するに、親愛や歓迎の意を表現するのに互いの頬に接吻するのだが、これもアタシの魔眼に見つめられたままでは具合が悪いらしいのだ。
アタシも王族だったからな、手の甲や指輪を差し出して接吻を受けることはあったが、互いの頬に接吻となると不慣れでぎこちない。
バケモノだって興奮もすれば上気もするんだ。文句あるか。
確かに、無防備を晒す意味ではこれに勝る親愛表現もなかろうが、相手に近接された状態で邪眼の視線を眼帯で塞ぐのはどうなんだ。これではアタシの保安上問題がないとは言い難いだろうに。
しかし、郷に入っては郷に従え、ではないが、アタシも人間を辞めた以上、魔族の掟には従わねばなるまい。
守るべきチビ共の笑顔と別にどうでもいい接吻の為、私は眼帯を身に着けることに決めたのだ。
近隣住民との円滑な交流のため、というやつだね。
そのせいでウチの庭がチビ共のたまり場になってしまった。アタシの顔を見れば一緒に遊べと催促する。アタシは静養に来ているのだ、と言っても聞こうとしない。手足を動かすのは確かにいい運動になるが、散歩の旅にチビ共が群がって鈴なりになってしまう。
なるべく怪我をさせないように注意しているアタシを見て、親共も安心しきっている。アタシは子守じゃないぞ。全く。
アタシは復讐のために生き恥をさらして生きているんだ。
身体が本調子になって一人旅をできる状態になったら、ムロックを出てアタシの身体をいじくりまわした変態共を雇った黒幕の痕跡を追うんだ。金を稼いで情報屋を雇ってもいい。何年かかってでも追い詰めてアタシの鎌と鋏で思う存分刻んでやる。
そのための鎌と鋏、魔眼、異形の姿なんだ。
でもな、チビ共と触れ合うたびに、何と言うか、決心が鈍る。あいつらの純な心が沁みるんだよ。人殺しをためらうようになっては復讐などできるはずもない。
いつぞやの役人のように顔が見えているお決まりの悪党がそうそういるはずもなく、平和になった村にこれ以上長居をしては、復讐の炎が消えてしまう。
こうなったら復讐心及び戦闘技術の維持と資金稼ぎを兼ねて、生死を問わず悪党を消す賞金稼ぎにでもなろうか、そう考えていたある日のことだった。
その日は村の中央にある大樹の太い幹にぶら下がって懸垂能力の具合を確かめていた。慣れれば壁や天井にも貼り付くことができるらしい。動物の蜘蛛は細かい毛が足の裏にいっぱい生えていて接着力を出しているのだったか、アタシの場合は瞬間的に接地した足裏の一部分を風魔法で空気を抜く構造になっていて……まあ、細かい説明は抜きにして、とにかく練習次第で逆さま姿勢も自由自在、だそうだ。
(やれやれ、頭に血が上る問題は解決しそうにないな……頭が百八十度回転する機能をつければいいのか?いやいや、フクロウでもあるまいし、そんなの魔族でも見たことないぞ。ただでさえ人間らしい外観が少なくなってるのに……)
人間を辞めはしたが、人間の見た目を残そうと苦慮しているのには理由がある。今それを言うつもりはないが、ある人との再会に備えている、とだけ言っておこうか。
とにかく、新しい身体の機能を確かめながら、あれやこれやと考え事をしていたわけだ。
「あ、黒姫のお姉ちゃんだ」
「ほんとだ」
「何してんだろ?」
「きっとミノムシごっこだよ」
聞こえてるぞチビ共、誰がミノムシだ。
気づけば大樹の下に見慣れた顔が並んで見上げている。そんなに口を開けて虫が飛び込んでもアタシは知らないぞ。
やれやれ、降りてやるか。
「わあい、乗せて乗せて!」
「あッ、ずるいぞ」
「わかった、わかった。小さい奴から順に乗せろ。年上のやつは手伝ってやれ」
「はあい」
「よろしい」
人間で言うと膝下だけを動かしているようなものだから、大して速度は出ない。子供が大喜びなのは目線が上がることで違う風景が見えるから、だと思う。アタシが初めて馬に乗った時もそうだった。
「黒姫の姉ちゃん、魔王様にもらった剣は使わないの?」
「うん?あれか?返そうかと思ってるんだけど」
「ええー!どうして?」
「何でご褒美くれたのか分からないからなー。なんでだろうなー。人違いかなー」
悪徳役人と手下を二度と悪さができないようにしてやったのは公然の秘密、というやつだ。村長の息子さんは美男だったが演技力に問題があった。魔王がお忍びで部下を粛清した、という彼の話が受け入れられたのは表面上のこと、ものすごく乱暴なやり方で配達された魔王の褒美は隠すことができなかったので、世直しはアタシの仕業、というのが暗黙のうちに村人全員の共通理解となってしまった。
「嘘だあ」
「いいじゃん、もらっとけば」
「みんな喜んでるのに?」
「いいから、そういうことにしておいてくれよ。アタシは目立ちたくないんだ」
「なんで?」
「重いものは背負いたくない。身軽が一番なのさ」
意味を勘違いしたチビ共がアタシから飛び降りたので、違う違う、と説明しながら乗せ直したよ。
「荷物のことじゃない。責任の話。わかる?」
「セキニン?」
「職人さんを見ろ。お金をもらう以上はカンペキな仕事をするよな?」
「うん」
「見張り中に居眠りしている戦士さんを見たことがあるか?」
「ない」
チビ共相手に真面目腐った話をする日が来るとはね。
「魔王様からご褒美もらったらダメなの?」
「ダメってことはないけど、魔王軍に勧誘されてもな。次に何か頼まれたら断りにくい、ってのもあるし……オトナの事情……だ」
「よくわかんないよ」
「ああ、もう、だから、こんなのはチビ共が考えなくてもいいんだって。チビはたくさん食べて勉強して、父ちゃんや母ちゃんを手伝ってろ。わかった?」
つくづくアタシは教師に向いていない。
生徒の疑問に正面から答えようとせず、もうすぐムロックを出て行く者に魔族との縁は足かせだ、という本音を隠してチビ共を煙に巻いている最低の人でなし。勘繰ることもなく元気よく返事をするチビ共を見ていると情けなくて涙が出そうになる。
「黒姫のお姉ちゃん、お腹痛いの?」
いたいの飛んでけ、を一斉にやられて本当に泣きそうになった。アタシは、その優しい気持ちに値する生物じゃないんだ。
しかし、どうにかして魔王に会う段取りをつけたいな。
村長に聞いてみるしかないけど、人となりぐらいはチビ共でも知っているかもしれない。
「このへんを治めている魔王さんは……」
「だいだ坊様だよ」
「ダイダラボッチのことか?」
「おッ?黒姫の姉ちゃん、今度は知ってたんだな」
「いいから詳しく教えろ」
ダイダラボッチ、だいだ坊は東方諸島に伝わる巨人伝説だ。
大ぶりの岩石で組まれた遺構をだいだ坊の寝床と称したり、それらしい大きな足跡状の地形をだいだ坊がたたらを踏んだ場所として有難がっているのはアタシでも知っている。と言うか勉強したんだ。チビ共にばかり勝ち誇った顔はさせないぞ。
「とっても大きくて、力が強くて、優しいんだ」
「気は優しくて力持ち、か」
「日当たりを良くするために山を削っちゃたりさ、川を曲げて水を引いてきたり、とにかく魔族のくらしを良くしようとした、って聞いた」
「ほほう」(かつ、魔眼の探知範囲外から飛翔体を過たず送り届ける魔力の持ち主……)
「でもね、足を怪我しちゃって上手く歩けないの」
「そうだったのか」(それで領内の巡察が滞っていたのか)
「魔王様、見ないよね。私たちが生まれる前からずっと……」
「おい、魔王さんはいったい何歳なんだ?そもそも、なんで東方の巨人がムロックで魔王さんになってる?」
アタシの質問にチビ共が顔を見合わせている。
これは何かあるぞ。
「お姉ちゃん、だいだ坊様、って十回言ってみて」
「おッ、早口言葉か?」
「うん。まあ、そんなもんだよ」
「ハア?いやに勿体ぶるなあ……よし、言うぞ。ダイダボウサマ、ダイダボウサマ……」
こういうのは大体が発音の妙というやつで、連続して口にするうちに使い慣れた文字列や語句へと意識が誘導される仕組みが多い。
「ダイヤボウサマ」
結果はこの通り、チビ共は大喜びだ。
「黒姫の姉ちゃん、噛むの早いよ」
「あはは、その調子、その調子」
「ダイヤボウサマ、ダイヤオウサマ、ダイア王様……うん?まさか、大魔王様!?」
アタシが自力で正解にたどり着いたことが嬉しいのか、チビ共がはしゃぐ。
名前に謎解きをこめていたとは驚きだ。
しかも、大魔王はアルメキアが放った勇者に討ち取られ、魔族侵攻を終結へと導くきっかけをつくることになった、と歴史書にあったがムロックでは事情が全く異なるらしい。
「どういうことだ?」
「だからさあ、勇者なんかに大魔王様がやられるわけないんだよ」
「だよねえ」
チビ共が不死身の大魔王を口々に讃える。要約すると、大魔王の戦死は偽りの歴史だった、という事だ。
しかし、納得がいかない。
いったん九割以上占領したアルメキアから撤退し、なおかつ体面を保つために大魔王を討伐した体にしてやる必要がどこにあったと言うのか。
「もともと大魔王様は何かが欲しくてアルメキアと戦ったわけじゃないんだな、これが」
「アタシが聞いていたのと違うな」
「黒姫のお姉ちゃんがいた国ではそうなのかも知れないけど、もともとはね、魔石欲しさに魔族を狩るのはやめてくれ、って何度お願いしても聞いてくれなかったから……」
「な、なんだって!?」
魔石には地中から産出するものと生体由来の二種類が存在することは知っている。人狩りの阻止はムロックの開戦事由として十分すぎる大義名分だ。一方で、身の毛もよだつ所業を隠しておいて“突然魔族が攻めてきた”とは、アルメキア人の厚顔無恥には恐れ入る。
「大魔王様が、二度と魔族に悪さをするんじゃないぞ、ってこらしめたんだよ」
「ニンゲンなんか皆殺しにしても良かったのにね」
「ね、大魔王様は優しいでしょ?」
大魔王の慈悲で国境線は元通り、アルメキア人は降参して命拾いしたはずなのに、勝ったような大きい顔をしているのには笑うしかない。勝利など獲得してはいなかったのだ。それでも、みじめな勝ちを譲られる形でなんとか講和にこぎつけたのは、勇者による略奪の損害がムロックに蓄積していたことと、大魔王の負傷が原因だろう。
「大魔王さんはその時に怪我した、ってのか」
「物陰から毒矢を放つ勇者がいてさ、大魔王様が踏みつぶしたんだって……勇者のついでに釘でも踏んじゃったのかな?」
なんとも情報量が多い。
手段を選ばない卑怯な勇者、というのも興味深いが、大魔王の図体と力量を考えれば踏み抜いたのは釘ではあるまい。もっと大きくて強い魔力を秘めた何かだ。
ともあれ、魔王軍は引き上げてアルメキアから姿を消した。と言うか、歴史をいじくって勝ったことにしたアルメキア人が居座っている、のほうが正しいか。
「なんだか物凄い話だな」
「こういうのオトナのジジョウって言うんでしょ?」
「あッ、コイツめ!」
皮肉をたしなめはしたが弱々しいったらない。
歴史には表と裏がある、とはよく聞くことだが、こうもアルメキアの非道を聞かされると複雑な気持ちになる。何しろ私は……いや、よそう。過去と本名はもう捨てたんだ。
「ねえねえ、本当にご褒美返しに行くの?」
「いや、話をしたいだけ……大魔王様は会ってくれるのか?アタシはよそ者だろ?」
「会いたいんだったら行くしかないよ。だって動けないんだもん」
「そうか。そうだったな」
「じいちゃんに聞いてみなよ」
そう言ったのは村長の孫だ。
母親がイケニエになるところを助けてやったせいで、うっとうしいぐらいに懐いている。いや、正直に言おう。可愛い弟妹たちの純粋無垢な心に触れると復讐の刃が鈍るのだ。心の中で訂正して詫びておいた。正しくは、本当の家族のように懐いていた、だ。
結局、アタシは大魔王の居城を訪ねることに決めたが、同時に村を去る決意も固めていた。研ぐ必要があるのは鎌や鋏だけではなくなりつつあったのでね。
大魔王との面会は拍子抜けするほど簡単に話がついた。
居城を何かの観光名所のように一般開放して、面会要求にも気さくに応じる王族なんて信じられない思いだったが、とにかくうまくいったことを喜ぶとしようか。
村の皆に別れを告げて、魔獣車と川下りの旅を何日か楽しんだ後にたどりついた場所は、基礎部分の起伏が特徴的な山城と少し離れて周囲を取り巻くように繁盛している城下町だった。つまり、大魔王との面会には順番待ちがあって、順番を待つための宿屋が集まって町を形成しているのだ。
面会は願いあげの段だけではなく、婚約者同士が連れ立って祝福をもらいにきたり、生まれた子供の名前を付けてもらう者もいるらしい。
これでは魔族の王というよりは人気のある司教だ。
そうだ、大魔王自身の警護はどうなっている、と他人事ながら心配になったのだが、王宮で言うところの近衛のような人数があまりにも少ない。
アタシは首をかしげながら面会希望者を受け付けている役所に顔を出した。
この日の為に村長に書いてもらった手紙と布に包んだ宝剣を役人に託し、順番待ちの番号札をもらう。宿泊を予定している宿の名前を申込書に書き込んだら署名をして終了。宿に着くと旅の疲れから飲まず食わずで泥のように眠りに落ちた。顔ぐらい洗ってから寝床に入るべきだったな。
「おはようございます、お客様」
「……んん?なんだい、えらく早いな」
「お役人様が来られてますよ。ひょっとしたら面会の順番が回ってきたんじゃないですかねえ?」
「昨日の今日で?」
「日頃の行いですよ、きっと。朝食は戻られてからでよろしいですね?」
宿屋の女給が入ってくる前に魔眼の警告があったのでうっすら目をあけていたからね、寝ぼけてはいない。濡らした手ぬぐいで顔だけ拭いて応対に出ると、昨日、村長からの手紙と宝剣を預けた役人が階下で待ち受けていた。
「昨日は失礼しました、黒姫様」
「お、おう」
「始業時刻前にだいだ坊様がお会いになります。勝手ながらお支度を願います」
「今すぐ行けるよ」(始業?役所なのか?)
「それは重畳。では、私について同道してください」
まあ、道行は愉快なものだったよ。
小高い丘の上まで続く折り返しの傾斜が商店街になっている。寺院や神殿の門前町の雰囲気とでも言えばわかるか、露店や屋台まで並んでいるのにはビックリだ。だいだ坊飴にだいだ坊手ぬぐい、だいだ坊パンなんてのもある。焼き印や縫い取りの意匠はなんだろう、簡略化された笑顔のように見える。
「役人さん、今日は何かのお祭りなのかい?」
「いえいえ、いつもこんな具合です、黒姫様」
王都にもよく似た賑やかさはあったけど、王宮前が何の祝賀行事もない日にお祭り騒ぎにはなりはしない。国王飴とか摂政妃殿下パンも存在しない。
「そうか。いや、楽しいな」(どうやら大魔王様はいろんな意味で規格外だぞ)
用心と好奇心が半分ずつ混ざった目であちこち見物している間に、大魔王の居城に着いてしまった。城と言ったが、塀もアタシが難なく飛び越えられるカワイイものだし、尖塔がそこかしこにあるわけでもない。強いて言うなら、きれいな庭園と聖堂のような建物が一番目立つ。聖堂正面の扉前には守衛が二人いるが、丸腰で長い木の棒だけの軽装備だ。
「私はここまででございます、黒姫様」
「ああ、悪いね。案内してもらって」
「とんでもございません。どうぞ、扉の中へそのままお入りください」
「……身体検査とかは?一応、無腰だけど」(鎌と鋏は置いていけないよ)
「無用です」
すぐにお分かりになると思いますが、と役人は言いながら扉を開ける。
「うおッ」(ええーッ!?)
アタシは天国を見た。
大きな広間にあふれんばかりの花、花、花だ。王都の庭園でもこれほどの花の種類は揃わないだろう。所狭しと置かれた貢物や焚きしめられた香の間を縫って進むと、突き当りの壁が大きな六方体の厨子のような形状になっていて、側面には飾り窓、正面にはバカでかい簾が掛かっているのがわかった。
簾の手前には応接椅子があり、わき机には水差しと杯が置かれている。
「ようこそ、黒姫さん」
室内に声が響く。東方諸島人の発音だ。音声は簾から聞こえるような気がするがどうも方向がおかしい。奇妙な方向にずれるんだ。
「ささ、立ったままも疲れるやろから座ってんか」
「あ、はい、失礼しまーす」
アタシはさりげなく椅子に腰かけつつ、眼帯越しに魔眼で簾を探る。このための透視機能だからな。
「そないジロジロ見んといてえな。照れるわあ」
「ご、ごめんなさい」
一瞬見えたのはすだれ一杯の顔だ。
頭部の大きさから大よその身長を割り出す学問はかじったことがある。顔がこの大きさだとするなら、この丘の標高は身長の半分か座高に近い数字になっているはずだ。
「せや、その通りや。さすが黒姫さんや」
「!」(心を読まれたッ!?)
「ああ、堪忍。気い悪うせんとってや。つい、いつもの癖で。神さんいうのも難儀なもんやで。見たくないもんが見えて、聞きたくないもんが聞こえてしまうんや」
「こちらこそ、無礼をお詫びします。だいだ坊様ご本人なので?」
「せやで」
謝りはしたが実体を有する神とはどういうことだ。不可知にして不可視の存在ではなかったのか。それともアタシはどうかしてしまったのか。
「黒姫さん、何もおかしいことないで。この世界では受肉してる神さんや代理人はぎょうさんおったんや。数はえらい減ってしもうたけどな」
「あなたは東方におられた、と書物で読みましたが」
仕方ないだろ、本物の神様が相手なんだ。アタシは少々上品になってしまったけど、大魔王はそれを敬意として受け取ってくれたみたいだし。
「せや。まだ東方半島、て言うてた時代やな。そこの山の神やったんやけど、ちょっと他の神さんが暴れはってな、国中ちぎっては投げちぎっては投げして、ばらばらにしてまいはったんや」
「止めなかったんですか?」
「それが、怒るのもしゃあない理由があったんや。一時期、勇者召喚て流行りましたやろ?」
「……はい」
勇者召喚は魔族侵攻からアルメキアを救った最終兵器の一形態だ。自前で勇者候補を用意するのではなく、異世界から連れて来るってことだな。召喚魔法は今や失われた魔法の一つになってしまっているが、間違っても制御不能な勇者を召喚することがないように葬り去られた、という説がある。アタシもだいぶ勉強したもんだ。
「東方人もあれに手え出して便利に使うとったんや。ほんで、用済みになったんか邪魔になったんかポイしようとして、勇者さんがブチギレたんですわ」
「勇者が神!?」
「冒険の途中でごっつい神器を手に入れはったんか、何か食べはったんかしたんちゃいます?知らんけど」
「神になる方法があるのか……」
「せやから、そんなええもんとちゃいますって。とにかく、山の神は住むとこものうなって、流れ流れてムロックへ。居着いたところの魔王さんに目えかけてもろて今に至る……は、端折りすぎか。なんや魔王になったりアルメキアともめた時は大魔王いうて大将になったりもしましたわ」
アルメキア人もひどいが東方人もなかなかのものだ。
それにしても、地形を跡かたなく変えてしまう神様とは何とも恐ろしい。触らぬ神、の言葉通りじゃないか。勇者にそれほどの力を与えた何か、というのも興味深いな。
「やめとき」
「は?」
「大きすぎる力なんか、怖がられるだけや。気になったら探したい、探す以上は手に入れたい、手に入れたからには使いたい。な、忘れとき。悪いことは言わん」
規格外の図体で何を言う。
「今は違うのですか?」
「それはな、この部屋を見てほしいねん。大魔王とは名ばかりでもう一歩も動かれへん。せやかて腹は減るし喉も乾く。結果、大便小便も垂れ流しや」
「それは、なんとも、お気の毒なことで……」
「ちゃうちゃう、そんなんとちゃうねん。その肥やしが回りまわって土壌を栄養たっぷりにし、このへん一帯を花や作物の実りがええ土地にしてるんや。ムロックではありえへんやろ?」
室内にはむせ返るような花の香りが充満している。もちろん、誰かが生けたり鉢植えを持ち込まなければこうはならないのだろうけど、ムロックどころかアルメキアでもそうそうないであろう花々の共演は、もとをたどれば大魔王の尻なんだ。
大魔王の存在自体が国を豊かにしている。これは間違いのない事実だよ。
「あはは、えらい持ち上げてくれるなあ。せやな、いつの日か、この部屋のなかが国中に広がったらええな。こら、まだまだ死ねまへんで」
大魔王は人類にとって恐怖の権化ではなかったのか。どうやらアタシは心得違いをしていたらしい。この場所にしても玉座と言うよりは温かい気持ちに包まれる祭壇のようだ。
「ここは、もともと特別な場所なのでしょうか?」
「いや、偶然やで。戦争中に足を怪我してんけど、帰りしなに痛みがひどうて座り込んでしもた場所やな。通りがかりの人らが雨や雪がかからんように天幕張ってくれたりな、寒いやろう、言うて、土を盛ってくれたんが最初やったんや。そのうち、面倒見てくれる人が増えて、泊まるところやら買いもんするところやらができて、最後は頭だけ残して山にしてまいよった」
要するに、この参道と歓楽街がごっちゃになったような街並みは大魔王の意図しないところで勝手に発展した、というわけか。
「そう言うこっちゃ。こうなってしもたら快適で、寂しくないんやけどな。動かれへんようになったら国中見て回るどころか、他人さんにお願いして代わってもらわなあかん。そこが大魔王としてはイタイところやな。いつぞやは黒姫さんのお手を煩わしてしもうたし」
期待していた話がやっと来た。
はるばるアタシがここまで足を延ばした理由だよ。腐敗役人と手下を殺害した申し開きをする必要はともかく、不相応な金品は返却して相応の罰を受けなきゃね。
「罰?罰なんかあらへんで。代わりに手を汚さしてすまんな、て言わなあかんぐらいや。ホンマはそんな時こそ大魔王の力を見せつけなあかんかったんやけどな」
「アタシはムカつくから殺しただけです。ご褒美をお返しにきたのもそのためです」
「あんた鬼か?それでもホンマに悪党かどうか調べるくらいはしたんやろ?」
アタシはもう二度とするまいと決めていた圧縮芸を披露することにした。
「なんや、潜入捜査もお手のもんかいな。恐れ入ったわ」
「お目汚しをいたしました……賞も罰もなし、ということでお目こぼしいただけるのなら、暇乞いをしたく存じます」
「ちょっと待ちいな。黒姫さん、あんたもともとええ種の娘さんやろ。それがからくりだらけになってもなおやることがある言うねんから、鬼は鬼でも復讐の鬼や。違うか?」
ええ種とは高貴の生まれのことを指すらしい。
そうだ。かつてのアタシはある国の王族だった。捨て去った過去の最後半は苦痛と血の臭いしかなく、それが復讐の炎を燃やし続ける原動力になっている。
僅かなやり取りから全てを見通す神眼の力を軽く見ていたな。大魔王の前では嘘も誤魔化しも通じないんだ。
「ひゃあッー!」
「な、なんです?」
「うう、なんちゅう畜生や。こんなん人間のすることとちゃうで」
「はぁ」(アタシの過去を見たのか。まあ、当然の反応だな)
「復讐なんてアホらしいからやめとき、て言おうと思うたんやけど、これはしゃあないな。むしろ当然や」
「ひょっとして手伝っていただけるんですか?」
「うーん、せやなあ。ひとつ取引せえへんか?」
村を出る前にチビ共と話していた“オトナの事情”の時間だ。
贈り物をうけとってしまえば頼まれごとを断りにくくなる、というアレだよ。アタシは差し出す物がこの身体だけなんだけどな。断る自由が残されてたらいいけど。
「まあ、そう言わんと聞いてえな。やらしい話やけど、これからいろいろと物入りやろ?からくりの身体は金食い虫や。稼げる仕事に就いとかんと整備すらままならん。復讐を果たすには金と健康な体の両方が必要や」
アタシはうなずくしかない。結局、金で縛られるのか。
「縛ったりはせんよ。仇が見つかったらいつでも出て行ってかめへん。それまでは大魔王の代理でムロック中を回って各地の役所で記録に当たるなり、えぐい悪党がおったら、調べるなりこらしめるなり好きにしたらええ。黒姫さんを痛い目にあわした悪党のこともわかるかも知らんしな。そうそう、給金も出すで。オマケに各地の工房で整備することになったら費用はこっち持ち……でどないや?」
「巡察使ですか?」
「そない肩ひじ張るもんとちゃう。ちびっとでもムロックが風通しよおなったらええねん。その気持ちは黒姫さんかて同じやろ?さっきは、ムカつくから殺した、言わはったけどワイは信じてないで」
もう降参だ。
大魔王は民を思いやる心に満ち溢れている尊敬すべき統治者だ。臣下の礼をとらされるわけでもなく、お金だけもらってムロックをうろつくこともでき、さらには退職の自由が保証されているのだから破格の雇用条件なのは間違いない。
「乗った」
「ホンマか?おおきに!おーい、誰か、巡察使の印章と書面持ってきてんか!」
やっぱり巡察使じゃねえか。
でもまあ、話してみると悪い奴じゃないし、聞きなれない言葉遣い以外は問題がない。それにいろいろと知ってそうな大物とお近づきになっておくのも悪くない。
「せやせや、この際やから何でも聞いてや……おい、まだ時間あるか?」
大魔王が入室してきた役人に質問する。
「ございます」
彼は水差しと杯を片付け、てきぱきと契約の準備をわき机に整えながら即答した。
「終わったら呼ぶわ」
「ここに控えております」
「そうか、すまんな。さて、黒姫さんのお話をうかがいましょか……あ、一応、書面よう読んでんか」
「はい、えーと、そう、以前にいただいたお手紙の血判は大魔王様のものではないですよね?」
「ああ、あれ?あれは扉の前におる守衛さんのどっちかや」
「血判……」
「何か演出らしいわ。痛いからやめとき言うてんのに、要は偽造されへんかったらええねんしな?」
「部下を信じておられるので?」
「守衛さんも魔王を騙ることの危険は承知しとる。ワイはこの通りやから、人間の大きさにあわせた書面を作るのはとてもやない。手紙は鳥さんに頼んだらええし、物は念動力で飛ばせるんやけど、我ながら案外不器用やな……えーと、最後に署名してくれる?」
その不器用な部分に付け入ろうとした役人がいたではないか。聞いたぞ。バレても魔王のせいにすればいいんだ、とか言ってたぞ。
「せやから、黒姫さんの出番やと思わへん?」
「あッ、しまった、チクショウ!」(仕事が増える!)
「まあまあ、そない言わんと。お天道様が見てる、と思い出させるだけでも効果あるで。汚職に対するごっつい抑止力や」
大魔王は策士だ。
基本的に国民想いの策士だから問題ないのだろうが、この上手く利用された感をどうしてくれる。元を取るには時間いっぱい質問してやるっきゃない。
「アルメキアのごたごたについてはご存知ですか?」
「ああ、うん。いろいろ聞いてるけどな。悪いけど、国境を越えてこっちに来うへん限りは興味ないねん。首謀者は全員捕まるか殺されるかしたんやろ?逃亡犯の潜伏先としてムロックは考えにくいけど、絶対にない、とはよう言わんな」
「……あと、そうですね、不勉強で、神とかその界隈の話に疎いのですが」
「うーん、どっからしゃべったらええかな。大昔はタイモール、いや、この星をずっと見たはった至高神みたいな方がいはって、その当時は今みたいに、この神さんやないとあかん、ていうようなことがなかったんや。八百万の神々言うて、ワイもその一人、あー、一柱やね。それがいつからか、至高神さんの姿が見えんようになって、他の神さんもみるみる数を減らして、なんやけったいな世界になってしもうた」
「だいだ坊様はどうして無事だったんです?」
「東方半島の時代からほとんど山と同化して動かんかったからとちゃうかな?神殺しなんかそうそうできるもんとちゃうけど、何があったかまではわからんなあ」
ダメ元のつもりが予想以上の収穫だった。
神を神とも思わぬ連中こそアタシを思う存分いたぶった実行犯たちだ。奴らが国をひっくり返してまで何をしようとしていたのか、動機部分は未解明だからな。どうも“神殺し”なんて言葉は物騒だし、耳にしたこともないけど、もしかして、アタシが巻き込まれたごたごたはその一部ってことか?誰がそんなことを思いついた?そそのかされたのか?
「あの……」
「だいだ坊様、お話し中のところ申し訳ございませんが、そろそろ始業のお時間でございます」
「うん?ああ、もうそないな時間か。黒姫さん、また今度ゆっくり話そか」
「承知しました」(仕方ないな)
「次は順番取ってきてや……おい、すまんけど簾上げてくれるか。黒姫さんの顔をよう見ときたいんや」
命令を受けた役人が巻き上げ機を回して簾を上げる。
「!?」(石像?)
「驚かせてすまんな。口も動いてないし目も塞がっとるけど、ちゃんと見えとるし、黒姫さんの意識に直接語りかけとるんやで」
「そ、そんなことが……」
「そら、まあ、神様やからね。近くで見たらえらいべっぴんさんだけやのうて、なんや悲しそうやな。なあ、やっぱり復讐なんかやめて……いや、もう決めたんやったな」
アタシは魔族でもなければ大魔王の崇拝者ではない。
でも、アタシを家族のように心配してくれる異国の神様に感謝と親愛の情を伝えなきゃ、この時はそう思ったんだ。
だいだ坊様の頬というよりは下あごに近い位置への接吻は土と草の味がしたけどな。
「ほ、ほ、これで黒姫さんもムロック人やな」
「……お世話になります」
「よっしゃ。頼むで!」
宮仕え、ということになるのだろうか。
これは初めての経験だ。
自由裁量の広さは責任と信頼の裏返しでもある。これは気が抜けないぞ。
そう思いながら帰り支度をしていたんだが、ひとつ質問を思い出したんだっけ。
「だいだ坊様、あとひとつだけ」
「なんや、忘れもんか?」
「いえ、戦争中の負傷を覚えておられますか?神を傷つけることができる物など存在するのでしょうか?」
「ああ、それな。戦争も終盤の頃や。えげつない勇者がおってな。民家や女子供を盾にして自分は安全なところからちくちく削ってきよるんや。黒姫さんやないけどムカついてな、なんやお社みたいな建物と一緒くたにして踏みつぶしてしもうたことがあった。お社の中に柱みたいなもんがあったんかな、ええ角度で刺さって取れへんねん。何とか抜いてここまで足引き摺って帰ってきたけど、足が地面に吸い付いたみたいになってなあ。とどのつまりはご覧の通りや」
自嘲気味に笑う大魔王に健勝を祈って暇乞いをし、今度こそアタシは花があふれる面会施設を後にした。役人と守衛は今まで以上に愛想良くなり、あれこれと手続きを手伝ってくれるけど、これ、どう見てもアタシは大魔王の手下だよな。
まあいい、目的達成の為には大事の前の小事だ。巡察使の身分証で交通費も宿泊費も無料になるから、給金を蓄財して情報収集に費やすこともできる。
ムロックにアルメキア動乱の黒幕や逃亡犯の手がかりは薄い、と大魔王は助言をくれたが、それなら“神”と“神殺し”の線を追ってやる。アルメキアへ戻ったら“神を傷つけた何か”を探すのも面白い。
けど、まずは給金分ちゃんと働かないとな。
せいぜい励むとするか。
おしまい。
いかがでしたか。
ダイダラボッチは日本各地に伝わる巨人伝説ですが、彼が特に何か怖いことをするわけではなく、山や池をつくったり力比べをしたり、実害があったとしたら、足跡には草が生えない、とかその程度のものでした。少数ですが人助けをした事例も残っています。
元々は国作りの神であった説が有力で、一寸法師が小だとすれば、大がダイダラボッチということなのでしょう。
しかし、ダイダラボッチのウィキペディアでは怪談百鬼図絵の画像になってますね。鬼や妖怪のイメージは誰が混ぜたんだろう?
あと、下記は書く前に読んだ本のリストです。関西方言の参考文献はドラゴン・アノマリー本編でも使用しています。最近見た漫画の中では邪剣さんの関西弁が一番しっくりきました。
※お話の参考文献 数字は西暦
『日本の伝説 北陸』藤沢衛彦「たいたん坊の足跡」(2019初出は1955)
『木島日記』 大塚英二+森美夏 第一巻 第二話「春来る鬼」(1999)
※関西方言(中~南河内)のための参考文献
『南河内ことば辞典』富田林河内弁研究会(2001)
『じごくのそうべえ』田島征彦 桂米朝 地獄八景より(1978)
『大阪府の民話』日本児童文学研究者協会(1982)
ドラゴン・アノマリー本編との関連では、竜の祠が破壊された経緯や神世界の設定、国家転覆を目論んでいた悪党たちの目的は何だったのか、と言ったあたりにつながります。
本編と併せてお楽しみいただければ幸いです。