七、俺達と森
「・・・ちゃん!勝っちゃん!」
体を揺らされている。誰かが叫んでいる。
「起きて!閉館の時間だよ!」
あ、康平の声だ。閉館だって?目を開けて頭を持ち上げ、周囲を見渡す。机の上には俺が森に行く前に読んでいた本がある。本棚が周りを取り囲み、横では康平がやれやれというような顔で立っていた。窓の外を見ると夕焼けが朱色に光り、とてもまぶしい。「ほたるの光」が閉館を告げて静かに鳴っている。
「おう康平。」
「おう、じゃないよ!図書館入るなり勝手に走ってちゃってさ。探したんだよ。見つけたら寝てるから、起きるの待ってたら閉館の時間になっちゃって。」
俺が勝手に走って行った?康平がじゃなくて?
「とにかく、帰るよ!」
「あ、ああ。」
ねぼけまなこで立ち上がって、本をしまおうと後ろの本棚を見る。そのときに、ふとユカリに聞いた事を思い出した。一番近くの本棚、今本をしまっている本棚の、一番長い本。・・・見つけた。一番下の段に置いてあった。その本の名は・・。
「何してるの勝っちゃん!早くしないと閉じ込められちゃうよー。」
「ごめん、すぐ行く!」
康平と並んで自動ドアを潜り、外に出た。
あの本棚で最も長い本。その名は、「源氏物語」。
来たときと同じ道を、来たときと同じようにぶらぶらと歩いた。
「なあ康平、俺、寝ている間森にいたんだよ。」
「森?」
「来るときにお前が話してたのとそっくりだった。」
「夢だったんじゃなくて?」
「・・・そうかも。」
康平の言うとおりだ。あの〈本棚の森〉は本当にあったんだろうか。もしかしたら康平に聞いたことに影響を受けて俺が見た、ただの夢だったんじゃないだろうか。いや、違う。あの森は本当にあった。〈知識〉と〈想像力〉がさえずり、発掘班が北の山で遺跡を発掘して、警備班が森を外敵から守り、採集班が採った食材を夕飯に食べる。そんな生活だった。しっかり覚えている。ガッラの実の味も、ニンガのおいしいスープも、ユカリとたくさん話したことも、何もかも。
「いや、やっぱり夢じゃない。本当に行った。」
「そっか。もし勝っちゃんがまだ寝ぼけてるとしても、勝っちゃんがそう言うなら僕は信じるよ。」
「寝ぼけてねぇよ!」
「もし、の話さ。」
「夢じゃない。」
もし夢なら、崖から落ちたときのあの痛みはどうやって説明するんだ。コウリと握手したときのあの感触は?絶対に夢じゃない。
それから家まで、俺達は無言で帰った。橋を降り、坂を下り、歩道橋を渡って。
分かれ道。俺はまっすぐ、康平は右だ。
「じゃあな。」
「うん、また学校でね。」
康平に手を振って、それからもう一度、大声で
「絶対夢じゃねぇからな!」
康平がにこっと笑ったのが見えた。満足して振り向き、俺は家へと歩みを進めた。
「絶対夢じゃねぇからな!」
勝が放ったその言葉に、康平は笑って返した。満足したように、勝が遠ざかっていく。
「そうだよ。夢じゃない。」
幼なじみを見送りながら、康平は呟いた。
「君の夢でも僕の勝手な想像でもない。君の行ってきた古典の〈本棚の森〉は、実在するんだ。もちろん他の森もね。だから疑っちゃいないよ。短い間だけど、僕が治めた森だから。例え今は人の子でも、僕は森の存在を信じてる。疑ったらユカリを忘れちゃいそうで怖いからね。僕もあの子に忘れられてしまうかもしれないし。」
勝が見えなくなると、康平も家に向かって歩き始めた。
「ウオ ホトゥ クデュン ニニ メイ」
鍵を開け、中に入る前に一言呟いてから、康平はドアを潜った。
「ただいま、母さん。」
既に夕日は身を潜め、薄暗い空には月が輝いていた。




