一、本棚の森
本棚は森だ。本は木、一つ一つの言葉は葉となって木にくっついている。それぞれの木には〈想像力〉か〈知識〉のどちらか片方の小鳥が住んでいる。
ある本がこの世から忘れられれば、その本の木は枯れて朽ちる。新たな本が生まれれば、また新しく苗木が育つ。
つまり、ここは本棚の中だ。
〜二時間前〜
春休みのある日。丁度昼飯を食べ終わり、俺は康平とこの街のシンボルでもある、大きく長い橋を渡った。
康平とは幼稚園の頃からずっと一緒にいる。家が近かったし、母親同士が友人だった。康平は俺と違って本好きで、運動はあまり得意ではない。人見知りで、大衆の前で話すのも苦手。俺と違ってというのは、俺が康平のほぼ真逆の人間だからだ。俺の場合、本は生まれてから絵本しか読んだことがない。誰とでもすぐに仲良くなれて、運動も得意。学級委員長もしている。
で、本嫌いな俺が何故康平と一緒に、橋の上を図書館に向かい歩いているかというと・・・。大した理由はない。康平に誘われたから。幼馴染だからか、こいつの頼みは断れない。家でゲームをしていたら、いきなり窓を叩いて、
「勝っちゃん、図書館行こう!」
と、近所中に響き渡る様な大声で言いやがった。驚いて手が滑って、最終面をクリアできなかった。康平を外に待たせ、急いで昼飯を平らげて家を出て来たのだ。
横に並んで橋を歩いていると、急に康平が言った。
「勝っちゃん。本、嫌いでしょ。」
「ああ。」
「森とかの自然は?」
「好き。」
いきなりなんの話かと思ったが、黙って聞いていた。
「本棚はね、森みたいなものなんだ。」
「はあ?」
「本棚には、本がいっぱい詰まってるだろ?本は森に生えてる一本一本の木なんだよ。」
ああ、康平お得意の比喩とやらが始まった。康平の家には詩集が沢山あったから、それで覚えたのだろう。少し前にパラパラとめくってみたが、何が面白いのか俺にはさっぱりわからなかった。康平の話は続く。
「一つ一つの言葉は葉っぱになって、木にぴったりくっついている。絶対に落ちないから常緑樹よりすごいよ。でね、一つ一つの木には小鳥が巣を作っているんだ。」
「小鳥?」
「そう、二種類いてね。片方は〈想像力〉、もう片方は〈知識〉っていう。一つの木にどちらか片方しか居ないんだ。仲が悪いから、喧嘩しちゃうんだね。」
「相変わらず、おまえの想像力はすごいな。」
「勝っちゃんだから話すんだ。他には誰にも話したことないよ。」
「なんで俺だけ?」
「からかわないって信じてるから。」
それは…嬉しいな。
「ありがとよ。ほら、ここ右だろ?ついたぜ。」
そう言って、自動ドアをくぐった。あまりの静けさに、少し面食らってしまう。いつのまにか、康平が俺の横を通って、何かに取り憑かれた様にふらふらと本棚の方へ歩いていた。
「ちょっと待てよ!」
走って康平に追いついた。と思ったが、角を曲がったところで見失ってしまった。図書館に来たことはほとんどない。棚の迷路をどうしても抜けられなかった。仕方がないから諦めて、目の前の休憩スペースで、テキトウに取った本を読むことにした。
暖かな春の日差し。昼飯を食べたばかりで腹も膨れていたし、運動後。おまけに苦手な読書時間。俺は数ページ読んだところで机に突っ伏して眠り込んでしまった。
そして、今に至る。腕時計のおかげで時間はわかった。家を出てから二時間後。ついさっきまでいた図書館は消え、一人森の中に突っ立っている。真上まで見上げるような高い木もある。俺の身長とほとんど変わらないくらいの低い木もある。頭上では、鳥が変な鳴き方で鳴いていた。
「チーキシキシ、チーキシキシ」
とか、
「リョクソウリョクソウリョリョリョリョリョ」
とか。よく聞くと鳴き声はこの二つだけ。二種類の鳴き声ということは、鳥が二種類いるということだろうか。二種類の・・・鳥・・・?いやいや、まさかそんなはずはない。あれは康平の作り話だ。本当に〈知識〉や〈想像力〉という名前の鳥がいるなんて、聞いたこともない。
葉っぱが目の前をヒラヒラと揺れている。ある考えが頭をよぎって、葉っぱをつまんで見てみた。ひっくり返してまた見る。まさかとは思ったが、突拍子もない考えが当たると度肝が抜けるということが今わかった。葉っぱには文字が書かれていた。
『雨が降っていた。』
と、一言。文字の書かれた葉っぱ?人が手を加えない限り、そんなものこの世に存在しない。誰かが手を加えた?それもあり得ない。この木の葉っぱ数百枚全てに字を書くなど、人間技ではない。そして、文字の書かれた葉を持つ木はこれだけではなかった。隣の木も、その隣も、文字の書かれた葉を持っていた。康平の話と、気味が悪いほど似ている。もしこの森が、あいつの話の通りなら、ここは〈本棚の森〉とでも名付けるべき存在なのだろう。溜息をついて、目についた倒木に腰掛けた。これからどうした物かな~とか、俺は少し事態を軽く考えすぎていた。