シュライプヴァーレンの夜
魔法+文房具がテーマの短編。オチなんてなかった。ほとんどバトル。
「ラディア!さっさとこい」
「あ、はい、すみませんフィラーさん!」
冷たい夜風が路地裏を通り、私は思わずコートの襟を立てた。石畳とレンガ造りの壁からも冷気が伝わってくる。上を見上げるとオレンジ色のガス燈の奥に青々とした半月が夜空に浮かんでいた。私はぶるぶると震えると、前をいく、くたびれたロングコートを着たフィラーさんの後へとついていった。フィラーさんの軌跡に咥えタバコの火と煙が残る。
フィラーさんの後頭部を見て、随分と白髪が増えたな、と思った。私、ラディア・グーミがフィラーさんの下に来て三年。ここ数年、この中核都市シュライプヴァーレンで急増している、【BBG】犯罪。フィラーさんは、警察からも協力依頼がくるほどの【BBG】専門家で、ただの探偵ごっこをしていた私とは格の違う探偵だった。
「フィラーさん、やっぱり今回のも【筆箱】絡みでしょうか?」
先を行くフィラーさんの背中にそう声を掛けた。
【BBG】。それは、適正のある者しか使えない、魔法と呼ばれる異能の力の触媒になるものの総称。それはこの世界ではなく、異世界から持ち込まれたと言われていた。本来は国が厳しく管理しており、我々市民の手に届く事は滅多にない。しかし、近年、とある【BBG】の密売人【筆箱】の暗躍により、【BBG】犯罪が急増していた。フィラーさんはその密売人を追っていた。今夜は匿名のタレコミがあり、この先で密売があると聞いた私達は寒い中、こんな裏寂れた路地裏へと来たのだった。
フィラーさんからの返事はなく、路地裏の角で立ち止まっていた。
「ラディア、これ以上こっちに来るな」
「はい?」
「いいから見るな!」
フィラーさんに追い付いた私は、その警告の意味を、目の前の惨劇を目にしてようやく気付いた。
路地裏の角。曲がった先は行き止まりになっており、錆びた扉があった。
その扉に、一人の女性が、縫い付けてあった
売春婦だろうか?ケバい化粧に胸元が露出したドレスに厚い毛皮のコート。しかし、その腕も、足も、腹も、扉にコの字型の鉄のような奇妙な針金で固定されていた。身体中から夥しい血が流れ、まだ、温かいのか、微かに蒸気を漂わせていた。
「うっ……」
生臭い血の匂いが、冷たい夜の空気で際立ち、吐き気を催した。
「ち、だから見るなと言っただろうが。とりあえず警察に連絡だ」
「は、はい!」
私はポケットにある携帯から短縮ダイアルで連絡。その間にフィラーさんは、死体に近付き、その死体を縫い付けている針金をまじまじと観察していた。
「これは、【神綴器】の仕業か……いや、奴は五年前に死んだはずだ。まさか」
「……よく、覚えていますね」
「……!ラディア伏せろっ!」
私は鋭いフィラーさんの声に反応し、素早く屈んだ。思わず手から離した携帯が宙に残された。その瞬間後ろから私の頭のすぐ上を何かが通り過ぎ、破砕される音が耳を打つ。
屈んだ私の前へと携帯だった物が落ちた。その画面に、針金が食い込んでおり、ひび割れていた。
「ちっ!まだ現場にいやがったか!ラディア!【油性球筆】を使え!」
私は、屈んだ状態から素早く後方へと振り返り、腰に付けていた【油性球筆】を取り出した。一見ただのプラスチックでできた棒状の物。しかし、それには、尋常ならざる力が宿っていることを私は知っている。
私の位置から数メートル程先に一人の男が立っていた。痩せぎすの男で、長くボサボサの黒髪は浮浪者のようだが、その目だけは爛々と輝いていた。その右手には、不思議な器具を持っていた。金属製の何か、ワニか何かの口のような形状で、ハンドサイズのトングのような見た目。しかし、それがただの器具でない事は既に分かっている。
「はああああああああああ!」
私は構えた、【油性球筆】に魔力を通していき、少し頭痛がするが気にせず振り抜いた。
「喰らえ!【それは筆である存在証明】」
【油性球筆】から、黒い奔流が放出し、振り抜いた軌跡をなぞる。男は驚き、目を見開くと、とっさに前へと回避行動。私の黒い斬撃を避け、私へと肉薄。男の背後の壁が真っ黒に染まり、削られた。
「話が違う!」
そう男は叫びながら右手に持つ器具を私に向けてきた。肌を粟立たせる悪寒。とっさに男に蹴りを入れ、横方向に避ける。私の後方に金属音。後方の錆びた扉に再び針金が刺さる。
腹に蹴りを受けた男は、呻きながら、後退。私が避けた為空いた空間にフィラーさんが飛び出す。
「やはり【神綴器】!!!!五年前に死んだはずでは!」
フィラーさんはリボルバーを構え、後退した男へと発砲。しかし、男は素早く角を曲がり逃走した。
「く、ラディア!追うぞ!」
「はい!」
フィラーさんと共に、路地裏を駆ける。白い吐息が後ろへと流れた。男は思ったよりも足が速く、既に路地裏を抜け、大通りへと出ていた。
男がこちらへと振り向き、右手の器具を再び構えた。
「しまった!誘われたか!」
「私がやります!」
私はフィラーさんの前に躍り出て、【油性球筆】を突き出す。頭を襲う痛みを歯を食いしばって耐え、魔力を通す。男の器具から射出されたコの字型の針金が迫る。私の突きと同時に黒い奔流が噴出。針金がガラスのようにパリンと割れ、消失。そのまま私は大通りへと飛び出て、【油性球筆】を男に向かって薙ぎ払う。
「くそ、騙したな!」
男がそう言った瞬間、黒の波濤に飲まれた。
「はあ……はあ……」
流石に【油性球筆】を二連続で使うのはきつすぎた。頭が焼き切れそうなほどの痛みに耐えながら私は息を整えようと深呼吸をした。
「ラディア!大丈夫か!」
すぐ追い付いたフィラーさんが珍しく私の心配をしてくれた。
「あ、はい、大丈ーー」
そう私が答えようとした瞬間。フィラーさんが、縦に真っ二つになった。
ばさり、とフィラーさんの背後に着地する人影。
そして、フィラーさんの切断面から炎が吹き出た。
「フィラー……さん?」
目の前の状況に理解が追い付かない。え、なんで?何が起こった?
「素晴らしい!!!パーフェクトだ!まさかボールペンをここまで使いこなす者がこの世界にいるとは!!!俺ちゃんびっくり!」
黒く炭化した、フィラーさんの死体の後ろに、一人の男が立っており、パチパチと手を叩きながら軽薄な笑みを浮かべていた。
「しかし怖ええなあ、ただの赤青鉛筆が両刃剣になるんだもんなあ!しかも炎と氷の属性付き!かっくいいい」
男の髪の頭頂部の生え際は黒色だが、それ以外は金色に染まっており、ジャラジャラと銀色のアクセサリーを付けていた。見たこともない服を着た男は、その手に小さな棒状の物を持っていた。棒の両側が鋭く削られており、中心から右側が赤く、左側が青色だった。
「まさか……それも【BBG】?」
「あん?ああ【BBG】ね。まあ正確には【文房具】だが」
「ああああああああ!よくも!フィラーさんを!!!」
私は激情のまま、【油性球筆】を振り抜いた。その金髪の男は、ひょいとそれを避けると、持っていた赤青色の棒を無造作に振った。
「っ!」
私は咄嗟に屈み、赤と青の斬撃を避けた。大通りが一瞬で炎と氷に覆われる。
「フィラーさん……くそおおお!」
私は立ち上がると、掴みかかるように金髪の男へと突進。しかし、その動きを読まれていたのか、男は私の腕を逆に掴むと、そのまま地面へと薙ぎ倒した。地面に背中を強打し、一瞬息が止まる。私の胸を男が足で思いっきり踏み付けた。激痛が走る。
「まあ落ち着けよ。さてさて【筆箱】に呼ばれて来たのはいいが、こんな女いるのは知らなかったぜ」
「離せ!足をどけろ!」
立ち上がろうとするも、男の足によって、私は地面に縫い付けられたままだった。
「しっかしどうすっかなあ。ねえお姉さんどう?筆箱役やらない?楽しいよ?」
「何を言っている!」
「あーもしかして知らないパターン?あーうわー俺めっちゃ悪者っぽい感じになってる?しょっくー」
「黙れ!」
「君の上司?父?師匠?だかなんだか知らないけど、あのフィラーってやつが【筆箱】なんだぜ?」
「嘘を付け!【筆箱】はフィラーさんが長年追っている密売人でフィラーさんが【筆箱】であるわけがない!」
フィラーさんが【筆箱】?まさか。それは私自身が一番良く知っている
「お姉さん、フィラーといつも一緒にいたんだろ?不思議に思わないのか?たかが探偵にしちゃあ文房具に詳しすぎるし、それを使った犯罪の現場に遭遇し過ぎだって。国で厳しく管理されている物を一般人がそんなに知るわけないだろ。今日だってよ、なんで、あの変態ホッチキスがここに来るのが分かった?」
「そ、それは、フィラーさんは優秀な探偵で、今日についてはタレコミが」
「タレコミねえ。密売があるってタレコミ?お前、実際にそれを聞いた?」
「……聞いてない」
「今までの事件のは?」
「……」
「そう、全部フィラーから聞いただけだ」
「……」
「まあ証拠もない。確証もない。というかもはや俺はどうでもいいんだ。でもなあ筆箱役がいないとなあ。俺自身でやるのもめんどいし。こっちの世界に持ってくるのはいいけど、こっちは不慣れだから分からねえんだよねえ売買ルートとか」
私は必死で抵抗するも、男の圧力で動けずにいた。よくもフィラーさんを!それは、私の想定外だ!
私は右手の【油性球筆】を握り締めた。
「はあああああああ!」
頭が割れようが、焼き切れようがかまわない。だが、この男だけは許せなかった。
私は【油性球筆】を手首のスナップだけで、地面へと向けた。
「うお!」
背中から衝撃。地面が爆ぜ、私の身体が男ごと、吹き飛ばされる。【油性球筆】だけは離さぬように握り締めて私は、吹き飛ばされながらも、男から視線を外さなかった。吹き飛ばされた位置には、黒い斬撃の跡があり、小さなトングのような機器が落ちていた。私はそれを左手に取り、立ち上がった。
男は数メートル程離れた場所に着地。私の鼻からドロリと血が流れるが、左手で拭い、男を睨みつける。
「いやあすごいすごい。やるねえ。なるほどなるほど。よしなら俺ちゃんの最高傑作で殺してやろう」
夜中とはいえ、これだけの破壊音に火事。遠くからサイレンが響く。もう少しすればきっと応援が来る。
だが、この男だけは先に私が始末しないと。
男がズボンの後ろのポケットが長方形の物体を取り出した。そして男はそれを投げた。それは見る見る巨大化し、ズウウウンという地響きと共に道路へと現れた。
「まさか!」
あれは……多機能筆箱!?
「懐かしいだろおおおお!?さあ行くぜえええええ」
大通りに現れたのは巨大な青い多機能筆箱。その上部分がぱかりと空いた。そして、その中に収納されていた何本もの細長いミサイルのような物が斜めに持ち上がっていく。
「鉛筆ミサイルはっしゃああああああ」
男のハイテンションな声と共に、ミサイルのような鉛筆が次々と多機能筆箱から発射され一度空へと向かい、そしてこちらへと真っ直ぐ向かってきた。私は、多機能筆箱へと疾走。迫りくるミサイルは間一髪で私の後ろへ着弾、地面を破砕する音が響く。
「はあああああ!【神をも綴る接吻】!!!」
左手に持つ、【神綴器】を多機能筆箱へと向けて、閉じた。予め魔力を込めた芯を消費し、力を発動。巨大化した針が多機能筆箱を襲う。
「おっと効かないぜ!消しゴムガードだああああ」
多機能筆箱の側面から引き出しが現れ、その中から真っ白い長方形の物体が真上に発射された。私の針はその真っ白い長方形に食い込む。
「というかお前なんでいきなりホッチキス使えんの?というか一般人はボールペンですら使えないのに……まさかお前!」
私は、【神綴器】を連続で閉じた。カチカチと音がなり、内部の針が消費されていく。【油性球筆】と違い、魔力を消費しないのは助かる。
いくつもの針が多機能筆箱に食い込む。
その隙に私は、多機能筆箱に近付くと跳躍。多機能筆箱の上で男が目を見開いた。
「死ねええええええええ!【私である証明終了】!!!」
最期の魔力で振り抜いた【油性球筆】。
「くははは、なるほど、次はお前の番か。楽しかったぜ。あばよ」
黒い極光を前に男はそう呟いた。
★
空が白んできた。大通りは破壊の限りが尽くされ、パトカーではたどり着けない為か、徒歩で瓦礫を登り警察達が現場に駆けつけてきた。私は満身創痍で、フィラーさんの遺体の近くで座り込んでいた。
「貴女は…フィラーさんとこの……?ここで何が?」
「【BBG】所持者に襲われました…なんとか撃退しましたが、フィラーさんは……」
「襲撃者の【BBG】は?」
私は、ポケットに入っている多機能筆箱を服ごしにぎゅっと握った。この場にあった全ての【BBG】を収納してある多機能筆箱。
「襲撃者は、私の【BBG】も奪って逃走しました。すみません……」
「なんと。すぐに緊急手配だ!。顔は覚えていますか?」
「ええもちろん。フィラーさんの仇です。必ず見つけ出します」
私は立ち上がった。もう既にこの世にいない男をでっち上げ、警察にはせいぜい存在しない男を追ってもらおう。そうすれば【筆箱】としての仕事もしやすくなる。しかし、まさかフィラーを、私の隠れ蓑をあいつに殺されるとは予想外だった。これまで【筆箱】役と思わせていた苦労が全て水の泡だ。しかし、その代償にあの異世界人を殺せた。
この世界に【BBG】、いや【文房具】をもたらした異世界人。だがその役目はたびたび代替わりするという。そのやり方がようやく今分かった。殺せばいいのだ。そうすれば殺した者が新たに異世界へと渡る力を得られるのだ。
私に身体中に溢れる力に思わず震えた。
新たな【文房具】も集められた。しばらく身を休めたら、異世界とやらに行ってみよう。さぞかし面白いに違いない。
空が明るくなり、シュライプヴァーレンの夜は明けた。
朝日が、私にはとても眩しかった。
新作連載してます!
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【竜血姫の国崩し〜拝啓妹よ。俺様は国家転覆を狙う姫様の下僕になってしまったが案外悪くないぞ〜 】
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