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達 人

作者: せいいち

われ関せずも、ここまで来ると一つの芸である。

先日、乗り合わせた車内で人が倒れた。奥の方のざわめいた気配に目を上げると、人々の足の陰に見えたのは、五十年配の男の横顔であった。幸い介抱をよく心得た医師と思しき男性が乗り合わせていて、的確に指示を出して周りの人の手を借りながら、倒れた人への処置に当たっていた。当人も意識はあるようで、眼も開いていて、受ける声に頷き返していた。駅員が駆けつけて担架で運ばれるまで十分程度を要したか。本人にとって、とても長い時間であったろう。

時間の長さを感じている人が、実は、ほかに何人もいた。ちょうど朝のラッシュ時で、車内はかなり混み合っていた。事が事なので、苛立ちとまでは言わないが、心情が表に出て来るような人も見受けられた。なかでも特に注意を引いたのが、ちょうど私の左横に座っていた三十風情のスーツ姿の青年であった。彼は、人ひとりが突然倒れて、運び出されるまでの間、ずっと夢中でスマホ画面に見入っていた。それは、車内で人が倒れて電車がしばらく停まっている状況を、まるで察知していないのではと思わせるほどの集中ぶりであった。横目で覗いてみると、原色きらびやかな画面が躍るゲームのようである。

 ところが、彼の本当の凄さは、さらにここからだった。人が倒れている現実には目もくれず、ゲームの世界に没頭していた男が、自分が降りる駅に電車が着くと、とっさにスマホの画面を閉じておもむろにポケットに突っ込み、席を蹴ってさっと出て行ってしまったのである。本当に何の前触れもなく立ち上がって、疾風のように去っていった。その間、おそらく一秒もなかったであろう。

これは、見事な芸だ。自分のスマホの画面だけが関心のあるただ一つの世界で、あとはすべてが他人事という心象風景も、ここまでの域に達すると達人であろう。存在する言葉ではもはや追いつかないから、彼をどう表現したらいいかが浮かばない。

だが、集中力が過ぎて、くだんの男も一つだけ見落としていることがありはしまいか。自分もいずれ、例外なく迎える事実があることである。死である。いまスマホのゲームに没我して、目の前で人が倒れていることにも関心を及ぼさない彼は、自らが死するときにも、人の情けは要らないと覚悟しているのだろうか。ツィッターもラインもやらないが、訊けるなら彼に、そのことを尋ねてみたい。

ネットの中だけが自分の世界で、干渉はしないから、干渉もするなというような人が、死を迎えるであろう数十年後、この社会はどのような相貌になっているのだろう。見てみたいような気もするし、もはやそのような世界には関係も持ちたくないような気がしているのも、本当である。


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