勇者
1:勇者
特に木が生い茂っているわけでもない、かといって荒野なわけでもない。そんな場所、あえて例えるならだだっ広い原っぱ。そこを歩いている少女がひとり。
少女は肩までの銀髪で、触覚のようなものが左右に生えている。右目を真っ赤な眼帯で隠しており服はいたってシンプル。中学校などの制服に見られるジャンパースカートにブラウス。その上にブラウンのポンチョを着ている。ポンチョの胸元には赤いリボンと、そこからたれるこれまた赤いぼんぼんが二つ。三白眼寄りの赤い瞳はお世辞にも綺麗とは言い難いが、それ故にどこか奥ゆかしさを感じた。
「疲れた……魔王城遠くねぇ……?」
もう棒のような足を引きずりながら、ぽつりと呟く。
雲に先端が突き刺さるほど巨大な魔王城に半日で到着できると思っていた自分がばかばかしく思える。振り返ればまだ、自分が生活してきた村の入り口が見えた。ぼんやりだけど。というのももう夜で、灯など持って来ていないのであった。
見送り、と題した祭りが執り行われた時の、あの賑やかさは忘れられるようなものではなかった。時折感じる嫉妬的な視線も、同じことが言えるだろう。それもそのはずである。惜しくも魔王の前で散った村の英雄シャズナに次ぐ勇者に、役立たずの少女が選ばれたのだから。
「今日はたくさん歩いたし、もう休もう」
賑やかなのは嫌いじゃないけれど、どうにも自分に批判的な視線に、自分のことを言っているかもしれない声に、過剰反応してしまいがちなのだ。だから、ひとりの方が落ち着く時もある。
細々と生えている草花の上に腰をおろした。膝上の靴下から少しはみ出ている肌がくすぐったい。それに、なんだかお尻の下がじっとりする。そういえば、昨日は雨が降っていたはずだ。これでは休めるものも休めない。
少し考えて、少女は手に持っていた段ボールの板を下に敷いて座ることにした。盾の形に切り取られテープで留められているそれは、彼女の唯一の武器だ。勇者として旅立つのが決まったのがおととい。不器用なりに精一杯の努力で作ったそれは、もうよれよれになりかけている。だが、今は休むことを第一に考えようと思う。それくらい、精神も身体も疲れてしまった。
「星が、綺麗だ」
首をもたげて視界に入った空に、独り言が溢れる。昼頃に出発して半日。冬空には雲ひとつなく、見渡すかぎりの星空が広がっていた。いつかこんな空を見たなぁ、なんて昔のことを少しだけ思い出す。あの時は綺麗だな、なんて感じる余裕もなかったものだけど。
「明日はもう少し頑張るか」
嫌なことまで思い出してしまう気がして、思い出を無理やりもみ消した。段ボールの上で大きく伸びをする。反射的にあくびがでた。
生まれてこのかた何もできずにいるが、気力だけはある。それが彼女の–––––フィルの、唯一の取り柄だ。村での辛い仕事も、この気力だけで切り抜けてきた。明日の目標をやんわりと立てたところで、今日は終了。大地を吹き抜ける冷たい風に身震いしたが、すぐにポンチョを膝まで引き伸ばし、なんとか今夜は越せそうだと思う。モンスターの姿を一度として見ていないのは、奇跡か何かか。こんなところで寝るのもどうかと思うが、近くには宿屋はおろか、建物さえ見れない。選択肢はないわけだ。あとは寝るだけ。体育座りの格好のフィルは膝に顔を埋め、一日を終えた。
草原にうずくまる少女がひとり。戦い方も知らない勇者の、長いながい旅の始まりである。
–––––––誰もいない場所でひとり。はたから見れば、変人であった。