8.告白をする。
その日の朝、わたしはずいぶんと早起きをしてお弁当を作った。
前回のは、ちっとも納得の行く出来ではなかったし、焦っていたのでメニューも今思えばいまいちだった。
何度も味見をしたせいで満腹だったけれど、今度は見た目も割と綺麗に作れた。
それを持って家を出た。
いつもと同じ通学路なのに、どこかふわふわと感じる。鼓動が早い。まだ学校に辿り着いてもいないのに。
昨日、尾久川君が話していた子になんて答えたのか、わたしは聞いていない。こんなにスピードの早い世間のことだから、もう付き合うことになっているのかもしれない。
それならそれで、しょうがないと思った。
わたしは彼に気持ちを伝える。とりあえずの目標はそれだけだ。
けれど、学校について少し前を彼が歩いているのを見たときに、心臓が信じられない音を立てて気が遠くなった。
本当に少し前だったから、早足で追いかければ、あるいは呼べば、すぐに話しかけられる。
けれどわたしはそれが出来なかった。
何度か頭の中で呼んでる自分、追いついて、肩を叩く自分を想像するけれども、なかなか実行に移せない。
結局、そのまま教室に着いてしまった。
授業中も気もそぞろで、ずっとドキドキしていた。
休み時間になったけれど、椅子にお尻がくっ付いてしまったかのように、動けない。
次の休み時間になってようやく重たい腰を上げて、妙に固い身体の動きを感じながら廊下に出て、隣のクラスをそっと覗いた。
尾久川君は窓際の方で友達と話していた。こちらには気付かない。
どうやって呼び出せばいいのか考えていると、この間彼と話していた可愛い女子生徒がこちらを睨んでいるのに気が付いて、逃げるように教室に戻ってしまった。
お昼になって、瞳ちゃんがわたしの席に来た。
「最近小テスト多くない?」
げんなりした顔でもらす彼女はわたしの前の席に座ってお弁当を広げた。わたしはそれになんて返したか、ついさっきのことなのに、記憶がない。
頭が真っ白になって、フリーズしている。
「最近きゅーに寒くなったよね」
ぱくぱくとお弁当を食べながら言う瞳ちゃんを見ながら、わたしもお弁当を広げたけれど、食欲がわかなくて、結局蓋を閉じた。
「すず、どしたの?」
「お腹減らないみたい……」
瞳ちゃんは眉根を寄せてわたしを覗き込む。
「体調悪い? 保健室行く?」
「大丈夫」
「尾久川のこと? また、なんかあった?」
「なにも……」
婉曲だけど、瞳ちゃんはわたしが彼に自分で気持ちを言う、と言ったことを覚えている。だけど、あえて直接的に聞いたり急かしたりはしてこない。わたしの性格を知ってる彼女の優しさだと思う。だからわたしも婉曲に、まだ何も言えてないのだと、伝えた。
お昼の終わりのチャイムが鳴る。
どうしよう。
わたしは緊張したまま、結局何も出来ていなかった。朝作ったお弁当は結局余分なランチバッグの中で眠ったままだった。
ひとにものを頼まれたり、話しかけられたりしたときに、なんとなく答えて、やって来た。考えてみたら、わたしは今までの人生で自分から何かをしようとしたことがなかった。
全く動けないままお昼が終わってしまい、そのまま放課後を迎えた。
机に突っ伏して落ち込んだ。
馬鹿。
何をやっているんだ。
瞳ちゃんは用事があって、先に帰ってしまった。もう教室には何人かしか残っていない。
ずっと緊張していたけれど、今日はもう言えなかったということが確定すると、今度は途端に後悔がわいてくる。
休み時間、何度もあったのに。朝だって、すぐ前を歩いてたのに。情けなくて、落ち込む。
そのとき半開きだった後ろの扉をカラ、と開ける音がして、そちらを見ると尾久川君がいた。びっくりしてひゅっと息を飲んで呼吸が止まりそうになった。
彼もわたしに気付いて、一瞬緊張したように口を引き結んだけれど、すぐに薄く笑顔を浮かべた。
「赤田、もう帰っちゃったかな?」
「う、うん……わかんない、けど」
どうも、友達を訪ねに来たらしい。尾久川君がそのまま踵を返そうとしたので、とっさに呼び止めた。
「尾久川君!!」
尾久川君が、振り返って、動きを止めた。
「うん?」
「……」
なんとも困った顔をしている。
「あのっ!」
勢い良く立ち上がると机に脚をぶつけてしまい、ガタンと音がした。
「いたい!」
「だ、大丈夫?」
尾久川君がその場で心配気な声を出す。
「あの、待って……帰らないで」
わたしは今にも尾久川君が帰ってしまうような気がして、必死に呼び止めた。
尾久川君が、そっと教室に入って来る。
何人か残っていた生徒が入れ替わりで出て行って、その場はわたしと彼だけになった。
夕方の陽が柔らかく射し込んで、彼の顔を照らしていた。
「あの……」
「……」
息を吸う。走ったわけでもないのに呼吸が荒い。
「あのっ」
弾けるように言って、その勢いにびっくりしたのか尾久川君がわたしの顔を見た。
その顔を見たら途端に頬がぼっと熱くなった。言おうとしていた言葉がなんだったのか、混乱する。
わたしと尾久川君はしばらく黙って見つめあっていた。
ここがどこなのか、今がいつなのかを忘れてしまうような、そんな一瞬が通り過ぎる。
「……どうしたの?」
尾久川君の言葉ではっと我に帰る。
「あの、お弁当……」
「えっ」
「つ、つくって、来たんだけど……」
「えっ」
そこまで言って、その場にへたり込んだ。
尾久川君がわたしの目の前まで来て、顔を覗き込んで笑う。
それからわたしの前の席の椅子を出して、そこに座った。
「お弁当」
「うん……」
「俺に、くれるんでしょ? 出して」
「え、いま?」
「うん」
当然のように言われて少し戸惑う。だってお昼はとっくに過ぎて、放課後になってしまっていたから。
「で、でも夕飯、入らなくなるよ」
「気にするとこそこなの? 大丈夫。今食べても夕飯ぐらい入るよ」
お弁当を出すと尾久川君はそれを広げて食べ始めた。
「美味いよ」
また、固まって、じっとそれを眺めていたわたしを見て笑う。
「前のも美味しかったけど、もっと美味しい」
「本当?」
「ほんと、ほんと」
「本当に? 尾久川君、軽くてよくわかんない」
思わずぽろりと口にすると「……ごめん」と謝られる。
「あ、そうじゃなくて……」
尾久川君はまたお弁当に集中し出して、五分も経たないうちにそれは空になった。
「ごちそうさま。ありがと」
そう言って立ち上がろうとするのでびっくりして制服の端を掴んで引き止めた。
「……そんな、必死に止めなくても、まだ帰らないよ」
ちょっと笑って、困ったように言って、その場に座り直す。
尾久川君の顔が見れない。
何かしゃべらなくてはと思うのに、ちっとも言葉が出てこない。
今さらだけど、いつもペラペラしゃべる彼に、救われていたような気がした。
ちらりと視線をやると、尾久川君は頬杖をついてじっとわたしを見ていた。また、恥ずかしいような緊張で顔が熱くなって目を伏せる。
「外、出る?」
「えっ」
「……ここに二人だけでいると、俺、また……しちゃうかも」
ボソボソとそう言って今度こそ椅子から立ち上がった。
「でも、あの……」
帰り道は別方向だ。話をするなら、今しかないと思う。
「あのさ、なんで……」
尾久川君が何か言いかけて、言葉を飲み込む。そのまま扉の方まで歩いて、立ち止まってわたしを待った。
わたしも鞄を持って、そちらへ行く。また心臓がどくどくいって、視界がふわふわする。ごくりと唾を飲み込む。
扉に挟まるような位置にいる彼の制服の腰の部分をぎゅっと掴んで、そのまま背中に顔を付けた。
「……すず?」
自分でもどうしてそんなことをしたのかわからない。ただ、こうしていれば顔を見られずにすむと思った。
「尾久川君、……好きです」
小さな掠れ声だったけれど、彼の背中が強張ったことで、それがちゃんと聞こえていたことがわかった。