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5.キスをする。



 動物園から帰ってわたしは落ち込んだ。


 わたしは元々尾久川君に付き合うのを断ろうと思っていた。

 そして、昨日彼にきっと嫌われたのだから、向こうから断ってくるはずだ。


 だから何も問題ない。こちらから言う手間が省けた。予定通りのはずなのに。


 胸の奥がじぐじぐと痛む。


 だけどわたしがお付き合いを断って失望されるのと、わたし自身にガッカリされるのはきっとちがう。わたしは、たぶん彼に自分自身を失望されて傷付いているのだ。


 こんな時までわたしはまた、ひとの顔色を窺って、嫌われないようにしたいのだろうか。呆れる。


 尾久川君から連絡は特に無かった。

 明日、月曜日に学校に行ったら、きっと向こうから振るんだろう。


 そしたら今まで通り、暮らせばいい。


 なんだろう。普段表に出ていなかった自分の弱い部分を剥き出しにされて晒されたような感覚だ。心が、くさくさする。悲しくなる。色んな感情がわぁっと混ざり合って押し寄せて、悲しくて涙が出た。





 尾久川君は月曜日、わたしを訪ねて来なかった。


 帰りも特に来なかったので、そのままひとりで教室を出た。


 次に顔を合わせたら、さっそく別れ話をされるものだとばかり思っていたので、なんだかほっとした。

 ほっとするのも妙だけれど、なんだか向き合わなければならないイベントがひとつ先延ばしにされたみたいで、気持ちが少し楽だった。


 火曜日になっても、彼から連絡は無かったし、クラスに顔も見せなかった。


 だんだん、元から無かったことのような気がして来る。さすがに二日連続で会いに来ないんだし、このまま自然消滅する方向かな、勝手にそんな風に思ってまた気楽になって来た。相手の顔を見てあれこれ言ったり言われるより、わたしみたいな人間には余程いいかもしれない。


 そんな気持ちで階段を歩いていると、上りきった先の廊下に彼を見つけてしまう。


 心臓が思ったより大きな音で、ばくんと鼓動した。


 そうっと覗いて見ると、尾久川君は通路のさきで女の子と話をしていた。

 わたしよりスカートが少し短い、長い髪の毛が綺麗に柔らかく巻いてある。尾久川君と話していて、すごく自然で、似合っている。


 なんとなく胸の奥に嫌な感情が広がって、わたしはその正体がわからないまま、来た道を戻って、しばらく息をひそめた。


 色々無かったことになったはずなのに、掻き乱される。


 今さらだけど、わたしのことを好きだと言った彼は一体どんなひとだったんだろう。





「瞳ちゃん、尾久川君て、前彼女とかいたのかな?」


 お弁当を食べながら聞くと瞳ちゃんが目を丸くする。丸くした後に細めた。


「さぁ、あたしが知る限りはないけど、付き合ってるんだし、本人に聞けば?」

「……うん」


 本人に聞くつもりなんてない。そんなこと聞けない。それに、もしかしたらもうきっと終わったのだし。


「ほら、聞きなよ」


 瞳ちゃんが背後を見て言うから振り返ると尾久川君がいた。ひっと息を飲んだ。


「ちょっといい?」


 瞳ちゃんの顔を見ると仙人のような顔で頷きながら「行ってらっしゃい」と送り出された。


 食べようとしていた未開封のパンを片手に持ったまま非常階段に連れて行かれて、尾久川君はそこに腰掛けた。


 しばらく無言で座っていたけれど、不意に彼がこちらを見たのでびくっとしてしまう。それを見て彼が眉根を寄せた。


「すずって、もしかして俺のこと嫌い?」

「…………そ、そんなことない」


 ボソボソと語尾を小さく返すと溜め息を吐かれる。


「でもべつに俺のこと好きなわけでもないよね?」

「……」

「まぁ、付き合ってもらえたっても、俺の方が一方的に好きだったんだから、すぐに期待するのもなんだけど」

「……」

「でも、もうちょっと……」


 聞いてて居た堪れなくなって来た。

 尾久川君と付き合ってから勝手に溜め込んでいた、劣等感、罪悪感、自分や、彼に対するやり場のない怒りが溢れて来た。


「ごめんなさいっ……」


 尾久川君がちょっと目をまるくして、こちらを向いた。


「わたし、昔から、言われると色々断れなくて……ひとに嫌な顔が出来なくて……」

「え……うん」

「だから尾久川君が見たの……掃除代わったのも、先生のプリントも、野球部の試合も、全部、優しいからじゃなくて、断れなかっただけなの」

「……」

「いつも、ひとに合わせてばかりで、気の利いたことも言えないし……男子ともあまり話さないから、慣れてなくて……話しかけてくれてても、まともな返事も出来ないし……」

「……」

「ごめんなさい……つまらなかったでしょ……ごめん、がっかりさせて」


 手の中で握りしめたパンがひしゃげていた。


「すずって、よくわかんねー」

「えっ」

「なんだろ。それだと俺のことわりと好きみたいじゃん」

「えっ」


「……でも、俺のことも断れなかっただけなんでしょ?」


 尾久川君が、わたしの言えなかった核心を、ポロリと口にする。


「……うん」

「じゃあなんでさっきは俺の彼女のことなんて気にしてたの? 興味本位?」


 思わず息を飲む。


「き、聞いたの?」

「聞こえた」

「……それは……動物園で……帰りとかも……尾久川君が、手を繋ぐから……」

「うん?」

「あんまり簡単に繋ぐから! わ、わたし、緊張して……ドキドキして……それなのに、わたしだけ緊張して、そのっ、」


 言いながらだんだん訳が分からなくなって来た。上手く言葉が出てこない。


「だから、前にも彼女がいたのかなって……気になっただけで……」


 唐突に唇が塞がれた。

 柔らかい感触が一瞬だけ触れて、すぐに離れた。


「すずの目って、茶色いね」

「……」


 あまりにびっくりして、立ち上がってその場から逃げた。






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