第三十九話 老人との会話
「随分と機嫌が良いようだが、何かあったのかね」
供美達のアジト、その一室にて監禁中の身である大西龍三郎は、目の前に座る少女の様子を見てそう言い放った。少女が購入してきた食料を受け取り、こうして向かい合って食事をするのも、もう何度目だったろうか。老人は、供美の感情の変化に気づくことが出来るまでになっていた。
「……あんたには関係ないだろ」
自分の感情を読み取られたことに若干の不快感を感じつつも、珍しく会話を振ってきた老人を邪険に扱うことに罪悪感を感じながら、供美はそう言い返す。
今日の食事は、魚が食べたいとの老人のリクエストに答えて鮭弁当だった。
「あんたから話し掛けて来るなんて珍しいな」
いつもはこちらからの質問や、尋問に対して殆ど口を開くことの無い老人からのアプローチに疑問を覚えた供美は会話を続けることにする。だが食事の手は止めず、目だけを老人へと向けていた。
老人は簡素な机の上に弁当と割り箸を置くと、供美の顔をじっと見つめ、それからその口を開いた。
「君の仲間に話すことは未だ無いが、君とは会話を行いたくなってね」
老人が箸を置いて話すのを見て、食事の手を止めていなかった供美も、その手を止め同じように机の上にそれを置いた。
「どんな心境の変化なのかは知らないけど、質問に答えてくれる気になったってことで良いのか?」
「それは質問によるな」
そう答えた老人の目には未だ力が宿っている。供美の仲間たちからの尋問は、激しいものではなかったが、それでもその目は、老齢の身で一週間以上暴力に晒されてきた老人のそれとは思えぬ印象を供美に与えた。
同時にその目は、供美の心中に老人に対して自分たちが行ってきた所業を強く喚起させた。それは供美の心に激しい痛みにも似た罪悪感を生み出した。だが、供美には彼らと一緒に居る以外の選択肢が思い浮かばない。
悪事を働いている自分には、彼らの傍以外に居場所が見当たらない。
それが、供美の出している結論だった。
その考えに従って、供美は質問を行う。
「あいつらが探している『晴嵐』とやらは何処に居る?」
その質問は、これまで幾度と無く、仲間の男女が老人に向かって行っているそれと同じものだった。
それを聞いた老人は、軽い溜息を吐くと、これも幾度と無く繰り返した答えを放つ。
「そんな事は知らんな。戦闘機なら、知っているがね」
その答えを、供美は予測していた。ここで自分に簡単に話すようならば、一週間以上も監禁される意味が無い。
憮然とした態度の供美を観察していた老人は、今度は逆に供美に質問を行う。
「そもそも君は、晴嵐とは一体何なのか知っているのかね」
「……」
供美はそれに答えなかった。だが、その不満げな表情から、老人は答えを察したようだった。
「君たちが探しているのは、都市伝説にも似た存在だ。そんな者のために、ここまでやるとはな」
「晴嵐ってのは……すごく強いアニマトゥーラなんだろ? 本当は居ないのか?」
供美からの質問に、老人は考え込むように押し黙る。その表情から、何を考えているのかを推し量ることが供美には出来ないでいた。だが、暫く経って老人はその口を開く。
「老人の話は、長いぞ」
その言葉に、供美は思わず姿勢を正す。だが、直ぐに元のだらけた姿勢へとその体勢を戻した。
そんな供美の動きに老人は本当に軽くだが微笑むと、話を始めた。
「晴嵐、とは先の危機的状況下でその力を発揮したとされる『災害型アニマトゥーラ』の俗称だ」
「さいがいがた? 地震とかか?」
老人は頷くと、話を続ける。
「君は、南沙危機を知っているかね。君が生まれる前の話だが授業などで聞いたことはあるはずだ」
南沙危機。それは、供美が生まれるよりも前、今から三十年以上前に起きた軍事危機の名称だった。
南沙諸島と呼ばれる、南シナ海に浮かぶ島嶼群には長年にわたり領有権を巡っての各国の諍いがあった。そして当時中国が進めていた軍事基地設立と合わさり、その緊張状態は高まってきていた。
「そして、イタリアであの事件が起きると世界の情勢は一変した」
アニマトゥーラと呼ばれる力が現れて以降、各国では激しい国内の混乱を収めるため軍事武力が行使された。そしてそれらが収まりを見せると、ヨーロッパを初めとして各地で戦火が上がった。
「日本でも、国内は乱れに乱れたが、なんとか落ち着きを取り戻した矢先の出来事だった」
中国が、兼ねてより建設していた軍事施設を利用して、南沙諸島へと進軍、フィリピン軍などとの衝突が回避困難の事態となる事件が発生した。
「混乱の後、どの国も生贄を欲していた。新しい力の確認、そして国民の不満を晴らすための生贄をな」
その行為に、当然アメリカ軍が黙っているわけも無く、駆逐艦を派遣する事態となった。だが、アメリカ国内も疲弊しており、軍事衝突を行って中国と事を起こす事態は避けねばならなかった。それはあくまでもパフォーマンスとしての意味合いが強い派遣だった。
「だが、彼らが攻めてこないとは誰が言える。そして中国だけでなく、どの国も一触即発の状態となっていた」
世界は弱ったところが一斉に叩かれる情勢となっていた。迂闊に手を出すことは、他の国の介入を許してしまう。
日本は、状況解決を迫られるが、当時行ったのは、海上自衛隊を派遣しての国境警備に留まっていた。
「私たちが仕掛けなくとも、アメリカと中国が衝突すれば必然的に、日本も巻き込まれる。事態は急を要していた」
手詰まりの状況の中、それが動いたのは中国軍進軍から一ヵ月後の七月のことだった。
「私それ知ってる。神風が吹いたんだろ?」
その言葉に、老人は嘗て無いほどその顔を曇らせる。供美は口を挟まれたことに老人が嫌悪を示したのかと思ったが、どうやら違うようだった。
「……そうだ。南沙諸島を三つの台風が断続的に襲ったのだ。それらは何故か事前に察知されなかった」
そのため、そこへ駐留していた部隊は打撃を被った。何故か撤退を行っていた日本の海上自衛隊を除いて。
「当時の防衛大臣に意見を具申する立場に居た私は、状況を鑑みて撤退を意見しただけだ」
「それ本当に偶然か?」
老人は、自分がどう答えようとも、察知されない台風という異常事態を日本だけがそれを避けるように動いたという事実の前には、意味が無かったと答える。そして異常な台風を、まるで来ることを知っていたような人物として、彼は『神風を呼んだ男』と呼ばれるようになったのだった。
「晴嵐などという存在がまことしやかに囁かれるようになったのも、理解できるがね」
「つまり、台風を起こす力のアニマトゥーラが居たって事か!? そんなの出来るわけ……」
「無い……とは君の仲間たちは思ってくれていないようだな」
老人は、そこまで話すと机の上のペットボトルを手に取り、口を付けた。そしてそれを机の上に戻すと、これまでに無い、真剣な表情で老人は供美を見据えた。
「こんな夢物語のような話を鵜呑みにして、これ以上手を汚すのはやめたまえ」
その表情と、強い感情を込めた言葉に、供美は威圧された。苦々しい表情を浮かべた顔を、思わず逸らす。
「自首しなさい。君はまだ若い。老いぼれた私と違って時間はまだ沢山あるはずだ」
供美はその言葉を受けて老人の姿を注視する。それは、まるで枯れ木のようだった。深く刻まれた年輪のような皺が、身体に刻み込まれている。潤いをなくした肌は、染みを所々に発生させている。
だが、その目は生きていた。供美が今まで出会った人達の中でも、これほどまでに力を持った目を見たことは無かった。その目が、供美を真っ直ぐに見つめている。
供美の心が激しく揺らぐ。自分が悪いことをしているのは百も承知だった。だが、親に連れられて向かった宗教施設、その中で行われたあの事件の後、供美は自分の居場所を無くしてしまった。
親を亡くし、事件に巻き込まれ、人を傷付けた自分は、一体何処に居ればいいのか。まだ高校生だった供美は、流れに任せる他無かった。
そして流された先で、一緒に流されてきたゴミに絡まり、最早がんじがらめになって動けなくなってしまった。
供美は自分の右目の眼帯を外す。その下に隠れていた右目が露になった。
瞼が下りていた。だが、その下の眼球による膨らみでなだらかな凸曲線を描くはずのそれは、本来の曲線とは逆の窪みを見せていた。そしてその瞼の中心には、何かが貫通して出来たような痛々しい傷があった。
その傷を、老人はやはりじっと見つめていた。決して逸らすことはしない。正面から、その傷を見据えていた。
そんな老人の様子に、供美は恥ずかしさを覚えた。右手で、その傷が見えないように自分の顔半分を隠す。
「たとえ時間があっても、私にはもう道が見えない」
すっと立ち上がると、机の上に食べかけの弁当を残したまま、供美は出口のドアへ向かった。
老人に対して後ろを向いたまま、眼帯を付け直す。
そのままドアノブに手を掛け、外に出ようとする時だった。供美は思い出したように老人に向かって話しかけた。
「身体拭く用のタオルとか、買っといたから。後でお湯用意する……」
そう老人に伝えると、供美は部屋から出て行った。少し後、南京錠を締める音が老人の耳に届く。
それを聞いた老人は、目を閉じ、暫しの思案の後、机の上の弁当を食べ始めるのだった。




